死を考える(1)
「あー死にてぇよーーー」
高校から同じ大学に進んだあいつがまたボヤいている。
こういう死にたいとか辞めたいとかいう奴に限って、実行しないものだ。
いつもの通り「さっさと死ね」と返したが、全くする気はなさそうだ。
生きるとか死ぬとかについて、全く考えた事がないから、こういうことを言っているのだろう。
身近に死に接したり、そういう死にそうな目に遭ったりしたら、軽々しく死を口に出す事はないはずだ。
全ての生き物はいつか死ぬ。
時の権力者が不老不死を欲したのも、死の恐怖から逃れたかったのだろう。
死んだ後にどうなるか、誰もわからない。
昔の人は死後について想像をし、それが現代までなんとなく受け継がれているのだろう。
あれから、暇を見つけてはいろんな宗教の死後の世界について調べてみたが、天国は処女の楽園とか、女性は天国にいけないとか、その時代が男子優勢であったことがわかる。
つまり天国は、その時代背景が反映された夢の楽園のようなものだろう。
宗教によっては、そういった煩悩からも解放された世界であったりする。
ちゃんと死んだら天国に行く。
天国は素晴らしい場所。
天国で先に亡くなった人と会える。
ほとんどの人がなんとなくこんな幻想を抱いているのではないだろうか。
しかし、天国が素晴らしくて良い場所だとすると、今度はなぜ生きているのかということが問題になってくる。
ほとんどの人が考えた事があるのではないだろうか。
「何のために生きているのか?」
これも昔からいろいろ答えとなる考え方がいくつもあり、宗教の根幹になっていたりする。
人間で考えるから難しくなってしまうのではないか。
死にたいが口グセのあいつに、何のために生きているのか聞いてみた。
「そりゃあもちろん女の子とイチャイチャしたいじゃん。アイドルでハーレム作りたい!」
いつもどおり「さっさと死ねよ」と返してしまった。