ばあちゃんの葬式(5)
翌日の朝からは結構慌しく、考える暇もなかった。
一息つけたのは、ばあちゃんを荼毘に付す・・・火葬場で、ばあちゃんの火葬が終わるまで待つ間だった。
みんなそれぞればあちゃんの生前の話をしている。
身体に良いからとどれだけ薦めても頑なに野菜ジュースは飲まなかった話。
じいちゃんが亡くなった時にお経の最中、正座で足が痺れた状態で立ち上がろうとしてよろめいてお坊さんにぶつかっていった話。
どちらかというとちょっと笑える話題が多い気がする。
係の人から案内され、ばあちゃんの骨を骨壷に納める。
骨を箸でつかんで、隣の人と箸で骨を渡しながら、骨壷に入れていく。
この作業をしたことや見たことがない人は、渡し箸が行儀が悪いと言われてもピンとこないだろう。
骨の部位を説明しながらどんどん骨を納めていく。
晩年、関節に入れた金属はそのまま焼けずに残っていた。
ばあちゃんを納めた小さな骨壷を持って、ばあちゃんの家に向かった。
あとは、特に必要ないということで帰宅する事になった。
慌しく荷物を整理して車に積み込み、残る親族に両親が挨拶して車に乗り込んだ。
走り出した車からばあちゃんの家を振り返ってみたが、いつも見送りしてくれたばあちゃんは当然いなかった。
ばあちゃんは死んでしまったが、ばあちゃんにもらったお金で買ったパソコンは、なにか特別な感じがする。
両親は、次の法事について話をしているようだが、その話に入ることなく火葬されたばあちゃんを思い出していた。
そういえば昔気になって調べたことがあった。
中世ヨーロッパでは魔女狩りが行われていた。
魔女は火あぶりにされた。
あちらのほうの宗教では、土葬が基本。
魂が復活した時の寄り代が必要なので、ピラミッドのミイラのように肉体を残している。
魔女は復活しても戻れないように火葬する、という話だ。
火葬する宗教とは全く異なる考え方なのだろう。
生まれ変わりが、“自分として生まれ変わる”か、“新しい命として生まれ変わる”かの違いだろう。
両親に何気なく聞いてみた。「生まれ変わるなら何になりたい?」
母は、もう一度自分で生まれて、違う人生を歩んでみたい、今度は父じゃない人と結婚したいと言ったので、心なしか車のスピードが上がった気がした。
少し間をおいて父は、俺はクジラに生まれたい、海を優雅に泳ぎたいと言った。
海が好きな父らしいなと思ったけど、鯨を食べるのも好きな父は、自分が食べられるかもしれないとは思いつかなかったのだろうか。
自分が何に生まれ変わりたいか、少し考えたが、すぐに無意味だと思って考えるのを止めた。