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死後の世界(3)

死んだらどうなるか。

どうにもならない。

何も起きない。

“生前の世界”から“自分”が消えるだけである。


一つの命が元になっているのに、“生前の世界”ではこれまでの歴史を見れば分かるようにさまざまな出来事が起きている。

これは奇跡である。


“生前の世界”は絶対に二度と繰り返すことのできない世界。

“自分”という人格を持つ人間は“生前の世界”には二度と生まれない。


“死後の世界”では“一つの命”だから、死んでしまってもいい、と思うか。

“生前の世界”では“一つの命”だから、なるべく長く生きたい、と思うか。


どちらが正しいか正しくないかは誰も審判できない。


これは破る事のできないこの世界のルール。

ルールを知ることでがっかりする人、使いこなそうとする人、それぞれいる。




果たして今“生前の世界”にいる人はどう判断してどう行動するだろうか。


わからないが、いずれにしても自分の命だったものは、散り散りになり新しい命への変わっていく。

そして誰かの心に少しでも作用するのかもしれない。


そのときは、なるべく馬鹿な考えを起こして命を断たないように、小さな声を上げたいと思う。


このような状態になったから、コウノに死後の世界の事を伝える事はできなくなってしまった。

もしかしたらコウノの細胞になって、伝える事ができるかもしれない。


コウノは、小さな声に気づいてくれるだろうか・・・。


―――――――――


「コウノさん、これは息子の机に置いてあったものです。あなたのものでしょう。お返しします。」

全く身に覚えのない本だったが受け取った。

なんとなく、だ。


帰宅後、本に手紙が入っていることに気づいた。

手紙には死後の世界を確かめるから死ぬということが書いてあった。

こんな理由で死ぬってバカじゃないかと思った。

人ってもっと思いつめて死を選ぶんじゃないのか?


指示通り、一通りやってみた。

アイツの名を呼んでみた。

心で叫んでみた。

墓参りには月命日に行っている。

自分の部屋やお墓や仏壇の写真を撮りまくってみたりもした。


突然現れてもいいように、メモ帳とペンは常に持ち歩き、変な指のジェスチャーも覚えた。

もうそろそろ1年経つが、いっこうに現れる気配がない。


霊となって現れるのはこの世に未練がある人らしい。

アイツは、俺に伝えたいという想いはあっただろうが、それを未練というなら出てきてもおかしくない。

だが、出てこない。

気配もない。


たぶん、天国でよろしくやってるんだと思う。


アイツが生前気に入っていた同じゼミの女の子が葬式で号泣していたこと。

アイツが生前読んでいた週刊漫画が先週打ち切り最終回だったこと。

アイツが生前聴いていたアーティストが先月出したアルバムが最高傑作の出来だったこと。

アイツが生前話していた同級生で世界一周の旅に行ってた奴がCDデビューしたこと。

いろいろあったよ。


俺が死んだら、天国でそんな思い出を話したいと思う。


だから俺はなるべく長生きして、いろんなことを経験して死ぬ。

だからもうこれ以上、呼び出すような事はしない。



一周忌の法事を最後に、それから墓参りにも行っていない。

だけど、アイツのことは毎日思い出している。

俺の心にアイツがいる限り、アイツは生きていると思うから。

さいごに


この物語を最後まで読んでくれたかた。

ありがとうございました。

そしてなるべく最後まで読んでいただきたいです。

途中で止められると自殺賛美のように思われるのは心外だから。


死後の世界、本当はどうなっているのか誰にもわかりません。

語り継がれている死後の世界の事は、理論的に整理するとつじつまの合うものは一つもないでしょう。

自分自身は特定の宗教にどっぷり浸かっているわけではなく、かといって完全な無宗教というわけでもありません。


宗教に触れるときって、大体普通の人は、“葬儀”の時ではないでしょうか。

そして、このお経はなんなのか、この儀式には何の意味があるのか、疑問に思った人もいるでしょう。

自分もそこを起点にしてさまざまな宗教を調べてみたものです。


自分の中ででた結論は、宗教は“昔の科学”であり“心の法律”であり“儀式の指導書”であると思います。


まだ科学が発達していなかった時代、当時の科学力では理解不能なことがたくさんありました。

例えば、昔は地球は球体でなく平面で陸地を中心に外周に海があり、その先は存在しない、そう信じられていました。

しかし時代が進むにつれだんだんと真実がわかってきました。

今だに答えのでていない理解不能の事は、たくさんあります。

これから明らかになることもあると思います。


宗教は国をまたいで支持されているものも多いです。

それは、それぞれの国の法律とは別に規律や戒律といった形で人々に守られています。

それを守る事で秩序が生まれています。

宗教間で相反する場合は争いが生まれてしまっていますが・・・。


人が死んだとき。

どうすればいいんでしょうか。

国、地域、人種によってさまざまです。

埋めるのが最適な場合、燃やすのが最適な場合、放置するのが最適な場合。

結果的にその場所によって最適な方法が選ばれています。


そして“心”はなんでしょうか。


この世界で自由に動かせる人間は、自分ひとりだけです。

自分ですらちゃんと動いてくれない時があるのがもどかしいですね。


コロコロふわふわした“気分”は誰かの生まれ変わりの心かもしれませんね。

自分の中心の“心”は気分で左右されないものだと思います。

それに気づいたら、本当にやりたい事が見つかるかもしれません。

この物語の主人公は気づかずに逝ってしまいました。


気分で人生を左右するような決断をするのはやめよう。


そういう話です。


長々とありがとうございました。

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