死を考える(5)
死んだ後どう伝えるか。
まず基本的なことだが、死んだあとの事をどのように伝えるかを考えなくてはならない。
全く自由が利かない、自分の“意思”がない、といった状況の場合はもうどうしようもないが、“あの世は存在する”という事を前提にする。
まず、“あの世”が、天国や地獄のようなこの世界とは別の世界の場合は、連絡する事はできない。
もしくはそのような世界だが、この世界と行き来する方法があるのかもしれない。
“お盆に帰って来る”とかいうのも行き来する方法である可能性はある。
誰かに呼び出された時に、この世界に来る事ができるという可能性もある。
ただし、イタコや霊媒師といった手段は、お金が必要な上に、商売として行っている可能性があるので信用ができない。
なんらかの手段でこの世界に来られたとしたら、いわゆる“お化け”や“霊”の状態でくることになる。
その事をあらかじめ誰かに伝えておけば、あまり恐れられずに伝えられるのではないだろうか。
伝える方法についてだが、これも一考が必要だ。
まず、自分が“霊”なら、他人から見れるか見れないかわからない。
よく“霊が見える”と自称している人もいるが実際はどうだろうか。
もし見えているなら、自分も霊としてこの世界に来られる可能性がある。
姿かたちは見えないが、ポルターガイストのように物理的な干渉をすることができるのかもしれない。
声を出す事ができるかどうかも心配だ。
古典では「うらめしや」と言う例もあるから、発声しているか、もしくは一種の思念かテレパシーのようなものかもしれない。
もし、話せるなら、言葉で伝える。
もし、触れるなら、文字で伝える。
もし、見えるなら、ジェスチャーで伝える。
ジェスチャーで伝わるかどうかが問題だ。
今から手話でも勉強したほうが良いかもしれない。
霊が手話を使うのを想像するとなかなかの滑稽さである。
次に誰に伝えるか、だ。
まず両親の場合。
自分が霊となって登場したとき、それを“現実の出来事”と受け止められるかどうかが問題だ。
霊を見たとき、ショックから起きた幻覚と思うのが普通だろう。
だからあまり自分に近い人達に伝えるのは、得策ではない。
これまでの人生で話の通じそうな人を思い浮かべてみる。
小学校、中学校の友人は、卒業してからほとんど会っていない。
高校の友人には仲の良い奴もいるが、逆にちょっと近すぎて、両親と同じように“幻覚”と思われそうだ。
知り合い程度の奴の場合は、まず葬式にも来ない可能性がある。
そうすると、もう大学しかない。
アイツだ。
大学の同期の死にたいが口グセの奴。
学内ではよく話すほうだが、実際のところ名字が“コウノ”って事しか知らない。
コウノの漢字が、河野なのか高野なのか幸野なのかそれすらもわからない。
わからないが、アイツなら、自分の遺志を汲んで素直に受け入れてくれそうな気がする。
逆に言えば、こういうことを受け入れてくれるのは、アイツしかいないのではないかという気すらする。
死んだらどうなるか、確かめる。
コウノに宛てて手紙を書くことにする。




