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ミスター・ペイン  作者: 尾川亜由美
4/5

ピュアマルス


社会人から学生たちが学業と仕事をこなす為の午前

ラクサが我が家に訪れて、アルヴィと作曲の話をしていました。

ラクサは、音大に通う学生。

学校はいいの?何か悩んでいるの?と聞くと、言いました。

「俺は悩んでない。ましてや迷ってなんかいない。俺はそういう時、常に考えているんだ。」



ミスター=ペイン ピュアマルス



珍しく、その朝はアルヴィが焼きたてのパンを買ってきてくれて

朝食は早くにすすみました。

向かい合ってテーブルに座り、お水の代わりにレモネードと

お手製リンゴジャンムをつけた食パン。

それにサラダをつけて、いつもの朝ごはんは完成です。

アルヴィは、ペティナイフで幾らか自分の腕を滅多刺しにしたあと

口笛を吹いて食パンに手を付けます。

血はアルヴィの、肉の削げた腕を伝い、黒いジャケットに染み込んで同化していくけれど匂いまではごまかせない。

つんとする鈍い血のかおりは、私を椅子から立ち上がらせ

包帯を持ってくる準備をさせます。



アルヴィの自傷癖を知ってから、このおうちに包帯や消毒液

ネット等の治療道具は暮らしていく費用の一部となるほどいっぱい。

きっと、こころの奥底で

私はアルヴィの怪我が怖くて仕方ないんだと思います。

加減を忘れ、いつか死んでしまったら。そう考えるだけで、肩がぶるぶる。


夏が近づきつつある朝は、換気と風入れの為に窓を開放してあり

区画にある庭いじり好きのおうちから

甘酸っぱいオレンジの樹のかおりがしてきます。

そこの主であるおじいさんは、気のいい人で、パンを買いに出かけたアルヴィに幾らオレンジをくれて、今日の夕食のデザートになるつもりだったけど

昔にお祖母ちゃんが教えてくれた傷薬に使ったほうがよさそう。


「メインストリートの方のご婦人だが、捜査は難航中らしいね。

僕はつくづく、運がいい。」

私が包帯と消毒液を持ってきていると

アルヴィはペティナイフを舐めながら言います。

メインストリートのご婦人。この前の朝に殺した女性のことでしょう。

確かに、紙面では大した騒動にならなかったのは

ここの治安が元々悪いからだと思いました。

気のいい人は多いけれど、事件も大い町だから

警察は他の事件を追ってるんじゃないかしら。


アルヴィの腕に消毒液を含ませたコットンを当てていると

唐突に玄関の扉が蹴破られました。

そこには、赤茶けたスーツの青年が立っていて

気に食わなさそうに頭にかぶったボーダーのつばをいじくっています。


「―――やあ、ラクサ。いい朝だね。扉を足蹴にしなければだが。」

扉を蹴っ飛ばした人物、ラクサは、椅子を手繰り寄せて首をかしげました。

「じゃあアバズレのおふくろに、そう言っといてくれ。お前の息子が人ん家の扉を蹴っ飛ばして入るって。

もっとも、あんなに酒浸りじゃ聞きもしねえだろうがな。」

そう言って、ラクサはあの甘い香りがするタバコを取り出します。


ラクサは、普段は音楽の専門学校に通う学生です。

朝には勉強を学び、夜にバーで小銭稼ぎをしているようですが、

今日はサボりみたい。

「学校に行かなくていいの?ラクサ。」

私がもう一つ分のレモネードを持ってくると、ラクサはそれを蹴り飛ばして、テーブルから落としました。

「レモネードは嫌いだ。で、音大のことだったか。今日の講義はとらねえよ。」

「どうして?何か悩んでいるの?」

すると、ラクサはこちらを見て言います。

「俺は悩んでない。ましてや迷ってなんかいない。

俺はそういう時、常に考えているんだ。」

皮肉屋のラクサらしくなく、感慨深い言葉に首を傾げます。

今日は4月じゃないけれど、嘘じゃないみたい。


「―――あのデブ女は、リコーダーの弾き方すら知らないんだぜ?俺が先公の先公になってどうする?だとしたら、俺は迷わず次の曲を書きに相方のもとへ行くね。その方がインスピレーションは刺激される。」

ラクサの言い方は、いつもとっても悪意に満ちた言葉。

トゲトゲしくて、意地悪そうな目つきや態度とおんなじ、とんがったトーンで繰り返されます。


「いいじゃないか。先生になってみたらどうだ?」

私に包帯を巻かれ終われ、礼を言ってからアルヴィがにこやかに言いました。

でも、ラクサはきょとんとした顔で悪辣に言葉を吐くの。

「…なんだって?バーの給金と、ビルの便所掃除やらの掛け持ちで漸く入れた学校で、俺は教師をやれってのか?

おい、アルヴィ。そいつは面白くない、ジョークにもなってないぜ。」

そんなアルヴィの軽いジョークにも全力で悪意を向けるなんて、本当にラクサは実直なひと。私はそう思いました。

嘘を吐けず、どんな言葉にも噛み付く。

ラクサは友達が居ないみたいだけど、そういうところが原因なんじゃないかしら。

尤も、本人も友達なんて欲しくないみたいだけれど。


「ラクサとアルヴィは…似てるのね。」

ふと言った言葉に、私は自身納得してしましました。

ラクサもアルヴィも

素直ゆえに世間に順応できない、でも生きている、不思議な人達。

素直な悪意と、素直な殺意は、もはや類は友を呼ぶってものなのかも。

「アルヴィと?俺は自傷行為も殺人もしてないぜ。世間に後ろ指差される謂れもねえ。」

「その割に、ベストが洗剤で汚れてるのは僕の目の錯覚か?またいじめ?」

いじめなんて、初耳。

ラクサのベストを見ると、確かに不自然な滑りが見えます。

私が憐れむような目で見ると、ラクサは不快そうに言いました。


「能力で勝てない奴は、いつも遠まわしな攻撃に出る。

俺が気に食わないならフックでも悪口でもかましゃいいのに。

女々しい奴らだ。」

「それこそ、暴力にでも出ればいいじゃないか。君らしい行動だ。」

「俺らしい?違うね、俺だったら悪意をもって精神的にぶっ壊してやる。

今日限りでソイツは精神病院送りだ。」


ラクサらしい言葉、表裏のない、ただただ悪意を持った言葉。

ラクサのおうちは母子家庭で、お母さんは娼婦勤めでアルコール中毒だけれど

環境がラクサをそういうふうにしたとは思えないの。

ラクサは、生まれ持って誰も愛せないし、愛そうとも思っていないのでしょう。


アルヴィが愉快そうに笑い、レモネードを啜ります。

「そこまで来たら、君も立派な殺人鬼だ。この人殺し!」

「電気椅子に送られて、死んじまえ。」

こんなやり取りさえ、ただの二人のジョーク。素直な意見。どこか歪んだ、細い線みたいな。


かわいそうな、ひとりぼっちのラクサ。


こころの中でそう唱えましたが

聞こえていたのか、ラクサは私に向かって中指を立てて来ました。


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