ナイトクライ
今朝方、起きた時に恋人がベッドのヘッドボードに、贈り物を置いていってくれました。
「BAR.RIP-アルヴィとラクサの舞踏会-」と刷られた、黒と赤のチケット。
その色は、まるで地獄への片道切符みたい。
ミスター=ペイン ナイトクライ
ある時、一週間ほどなのですが
明け方になるまで、恋人のアルヴィは帰ってきません。
バーで歌うのが彼の本業。その仕事の、打ち合わせなのだそうです。
どうやら、私が寝ている間にこっそりとチケットを置いて、暗に「今日バーにおいで」と言っているみたい。
とりあえず、シーツから出てきて一通りの家事をこなし、夜頃になると家を出ました。
夕食は、アルヴィの歌を聴きながらバーで食べようと思います。
「BAR.RIP」は比較的近くのネオン街にあり、煉瓦造りのお洒落なお店。
私も、アルヴィのおすすめでたまに、ここに来ます。
ガラス戸を開くと、今日も少し寂しいバーの風景がありました。
お客さんは結構入りがいいけれど、誰もあまり喋らないし、騒がないのです。
「―――スイ!久方ぶりか?」
バーカウンターに居た、小奇麗なバーテンダーの格好をしたマスターさん、リップさんが声を掛けてくれました。
「ご無沙汰しています。リップさん。」
リップさんが筋骨隆々の腕でこっちに招いてくれたので、カウンターに座り、お水を頼みます。
相変わらずの下戸だと、リップさんは大笑いしながらもグラスにお水を注いで渡します。
「そいで、今日来たのはアルヴィのことか?」
「ええ。それにしても、どうして舞踏会なのかしら。誰も踊らないのに。」
「さあな。気の利くジョークだとでも思ってんだろ。…ん、なんだ。飲みに来たのか?」
なるほどと頷きながらお水を頂いていると、リップさんが急に私の後ろに声をかけたので、振り向きます。
そこには洒落た帽子を傾いでかぶった青年が立っていました。
ラフなスタイルのスーツは、安物の生地だとわかりますが、装飾品の上手な扱いでふしぎとオシャレさん。
「よう、キチガイ女と根暗ハゲ。俺に死に急ぐ最高の気付薬をくれよ。」
尊大で、悪意の篭った言葉。不快そうな表情。
なのに、口の端はいつもニンマリ。
アルヴィの書く詩に、作曲をしてくれる音大生のラクサは
口は悪いけれど、得意としているピアノ演奏は一部に人気があります。
私は、正直苦手。
どうにも、ラクサの弾くピアノは黒板を引っ掻いたような音だとか、人の断末魔みたいに聞こえることがあるもの。
リップさんは寛大にラクサの物言いを赦し、ビールを取りに棚の方へ向かいます。
実は、ラクサとリップさんは、アルヴィの殺人と自傷癖を知っています。
でも、ふたりとも入り込んでこないのは
ラクサ曰く『あんな頭のネジが吹っ飛んだ野郎に糾弾したら、ぶっ殺される』という危惧と
リップさん曰く『正直、殺人鬼だとか言われてもピンとこない。悲しい青年なのだと所詮他人事に見えてしまう程度』とのこと。
それを見て、ヒマそうにラクサが私の横に腰掛け、煙草を喫いだしました。
その煙草のにおいは、どうにも甘ったるくて、苦手です。
咳をする私を見て、面白くもなさそうに笑ったラクサは言いました。
「で、SM殺人鬼の恋人やってるキチガイ。久しぶりじゃあねえか。
アルヴィなら裏の楽屋だ。リップのハゲも、俺とアルヴィの楽屋なんて作るんなら妻の病院代に使うべきだな。」
バーに来たのは、リップさんやラクサが言うように本当に久々だったので
彼らに何があったのかはサッパリです。私は聞きました。
「リップさんに、何かあったの?」
くるり、とバースツールを廻し、ラクサはビックリしたような顔で私を見ました。
「―――コイツはとんだ時代遅れだ。情報には敏くなれよ、使わないと、体は腐るぜ。」
「もう、悪口はわかったから、何があったのか教えてちょうだい。」
肩を掴むと、いまいましそうにラクサはそれを振りほどき、紫煙を吐き、一言。
「ハゲリップの娘が拳銃で自殺したんだ。それだけ。」
聞かなければ、いい言葉でした。その時、真っ先にそう思いました。
―――リップさんの娘さん、ジュシャは今年で五歳になる可愛い女の子。
私がはじめてこのお店に来たときのことを、まだ覚えています。
夕食の買い物に出かけたら、とても雨が降っていて困っていると
ジュシャがお店を開けて、中に入れてくれました。
「ごめんなさいね。お店は…まだ、やっていなさそうだというのに。」
くりくりした瞳と、そばかすが愛らしいジュシャは、にっこり笑って首を横へ振ります。
「困っているみたいだったから、いいの。でも、たまにお店に顔を出してね、おねえちゃん。」
「うーん、私、下戸なの。それに、こういうバーって所もなんだか怖くて…。」
戸惑っている私に、小さな手でドンと胸を叩いてジュシャは高らかに言います。
「ごはんを食べにくるだけでも十分、お客様。
それに、開店時は私も居るから、何かあったら守ってあげる!」
アルヴィと付き合い始めて、彼の残酷な貌を知っていた私は少し疲れていて
ジュシャの明るい言葉は優しく沁みました。
それからは、お店に寄るとジュシャとよく女の子同士のお話をしたり
秘密に買っているというビスケットを一緒に食べたり、とても楽しかったです。
そのジュシャが、少し目を離したら、自ら命を絶った。
私が言葉を無くしていると、ラクサが嘲笑を送ってきます。
「なにビビってんだ?殺人の黙認をやってるてめェが、ジュシャやリップに同情する権利はねぇよ。」
ラクサの言いたいことは、わかります。
アルヴィの殺人を認め、時には間近で見ていても止めない、それどころか彼を傷つける手助けもする。
そんな私に、人の死を悼む謂れはない。
だけれど、ジュシャの死については、どうにも納得がいきませんでした。衝撃が強すぎます。
「…どうして、ジュシャは死んだの…?」
「さあな。遺書だの日記だのはねえって話でさ、交流関係にも特に問題なかったから動機なんざあの世送りになったジュシャにしかわからねぇや。
でも、その所為でバーの雰囲気は最低だよ。
リップの女房も、発狂して自宅監禁だ。
ジュシャはとんでもねぇギブアップをしやがった。はた迷惑なクソガキが。」
生への諦念。
命を奪うアルヴィでもやらない行為は、重く重く胸にのしかかります。
十歳にも満たない子供が、拳銃で自殺。一体、何を思って引き金を引いたのか。
ラクサは横で、私のカラになったグラスに吸殻を投げ、言いました。
「今日はジュシャの哀悼式みたいなもんさ。俺は、そういうシンミリした曲は反吐が出るが、仕事だからやってくるがな。」
アルヴィとラクサが出てきたのは、それから間もなくしてすぐのこと。
リップさんはまだ戻ってきていませんでしたが、ふたりが出てきたということは裏手に居るのかもしれません。
仕事をする時のアルヴィは、ラクサに色々とお小言を言われるらしく、オシャレなカジュアルスーツを着ています。
殺しをしていない時は、常にほがらかで陽気なアルヴィらしくなく
「オシャレしろって簡単に言うけど、値札って知ってるか?」とぶつぶつ文句を言っていたような。
ラクサがピアノの位置につくと、アルヴィが備え付けのマイクを取ります。
みんなそれぞれが、お酒や食事にありつきながら、それを静かに見守りました。
アルヴィの、静かな声がバーに響くと、まるで゜涙を零すようにピアノの音がします。
いつもはコミカルな歌ばかりうたうアルヴィですが
今日は詩も曲調もしんみり。
お客さんたちも、黙ってその曲を聴いていました。
3分ほどで、アルヴィの歌は終わり、小さな拍手。
私も、手を静かに叩きました。
アルヴィが深くお辞儀をするなか、ラクサはさっさと楽屋の方へと歩いていきます。
同時に、リップさんが裏手側から帰ってきてくれて
焼きたてのパンを出してくれました。
「スイ、ほらよ。」
「ありがとうございます。」
愛娘を亡くしたあとのやり取り。
微妙な心境でリップさんを見ていると、彼はふっと笑います。
「なんだ?俺が悲しんでるって思ってるか?」
「…ジュシャのこと、とても可愛がっていたじゃないですか。悲しくないの?」
「そりゃ悲しいさ。でもな、ここで俺が倒れちゃあ、妻を助けるヤツはどこにも居ねえんだ。
ここは踏ん張りどころだよ。」
揃えた髭を軽くいじりながら言うリップさんに、無理をしている節はありません。
経験の差?それとも持つものの大きさが彼を強くさせるのかしら。
そう思っていると、アルヴィとラクサがカウンターにやって来て、それぞれドリンクを頼みます。
「マスター。コーラを頼むよ。」
「ビールだ。とっとと出しやがれ、ハゲ。」
「口だけ悪くても格好悪いぞ、ラクサ。あと、アルヴィ。男の子なら酒を飲めよ。」
余計なお世話だ、とどちらも返したあと、ふたりは私の隣に座ります。
「今日は、悲しい日ね。アルヴィ。」
「どうしてだい?ダーリン?」
出されたコーラに口を付け、アルヴィにはニコリと微笑みます。
マスターのように、その笑顔に不自然さはありません。
ラクサもジュシャのことについては、何も思っていないようだったし、気にしているのは私だけなのかしら。
「ジュシャが死んでしまったのよ?それも、あんな小さな女の子が自殺だなんて…。」
新鮮なバターを、ナイフでパンに塗る動作を止めて、アルヴィに問うてみると彼は首を傾げます。
「スイ。僕はね、この歌詞は三分で書いた。ラクサは二分で作曲したんだ。
残りの日は、これからの仕事を片していたんだ。」
「えっ…?」
ここまでの日々で、あなたは、たったの五分でジュシャのことを終わらせてほかのことをしていたの?
殺しはするけれど、優しいアルヴィとは思えない言葉に私は黙ってしまいます。
「―――自殺と、愛と平和を語る詩は似ている。都合の良い言葉を並べ立てればいいんだ。そうなると、インスペレーションではなく、教科書を丸写ししたみたいにスラスラ歌詞が浮かぶ。
ダーリン。都合がいいんだよ、自殺ってやつは。都合の良さは、善し悪しがあるが、自殺は当人にしかプラスじゃないから
僕たちは今回のショーを、くだらないと思っている。」
そう言って、アルヴィはコーラを飲み終えました。
ラクサも同じ気持ちなのかしら。嗚咽をあげているお客さんに、紫煙を吹きかけるようにしています。
「葬式だの哀悼式だのはウンザリだぜ。どうして朝に味合わなきゃいけない気持ちを、夜まで噛み締めなきゃいけない?」
「バカ野郎、そういうのは、ちゃんと社会人になってから言え!」
戻ってきたリップさんが、ラクサの頭にごつんと大きな拳を当てて叱ってみせますが、声の調子も顔も明るいから、本気では怒ってないみたい。
「許してやれよ、リップ。ラクサは素直なんだ。素直に人を馬鹿にしてる。こう見えて、飾ってなんかないんだよ。」
やがて賑やかになっていくバーの風景に、私は思います。
きっと、このバーの誰もが今日は明るく過ごすつもりでいるのでしょう。
こころのなかで、ずっと泣きながら。