ポイズンブラッド
彼がいきなり、庭にトリカブトを植えようと言いだしました。
ミスター=ペイン ポイズンブラッド
「―――湿気の多い場所が良いらしいんだ。どこにしようか?」
表通りの、優しいおじさんが経営している本屋で花の図鑑を買ってきた恋人は
それに目を通しながら、私に聞きます。
私はといえば、彼の背中の切り傷に包帯を巻いている所でした。
朝起きたと思ったら、彼ったらカミソリで派手に引き裂いたから
オフホワイトのパジャマは真っ赤です。
「それで、どうしていきなり、植物が欲しいの?」
包帯を巻き終えて聞くと、彼は口角を引き上げて
花図鑑をパタンと閉じました。
「スイ、トリカブトといえば、何を連想する?」
「毒物、かしら。もしかして、毒の栽培でもしたいの?
でも、それには専門家が必要じゃないかしら?」
「それが、根が特に毒物らしくてさ。いつか使えそうじゃないか?」
うきうきしたように言う恋人は
立ち上がって近くに置いてあったミネラルウォーターを飲む。
ここ一週間ほど、恋人のアルヴィは水しか飲んでおらず、食物はとっていない。
最初は驚いたけれど、曰く、よくあることらしいのです。
日常生活にも仕事にも特別、支障が出た覚えがないので
面倒な時は食事はしないのだと。
私はアルヴィのママじゃないのだし、「食べなさい」とも強要はしなかったし
アルヴィからしても、恋人だろうが口うるさく言われるのは嫌だろうし、いいのですが。
肋の浮いた体を見ていて、私はふと
本当に素でこんなことを言ってしまいました。
「じゃあ、非常食はトリカブトにしましょうよ。体の中は毒でいっぱいになって、空腹どころじゃなくなるもの。」
「そりゃあいい。食費も浮くし。なんでも、吸ったら嘔吐するらしい。
喜べよ、ミネラルウォーターだけで生きていけるぜ。」
手を叩いて喜ぶアルヴィは、早速とばかりにワイシャツを着込み
黒革の財布を手に取った。
「本当に買いに行くの?」
「もちろん。スイの素敵な提案を叶えようじゃないか。」
「…そう。」
勇んで扉を開き、閉めるアルヴィを見て、私は思いました。
でも、いつかあなたは水分補給すらしなくなって、干涸らびて死んでしまう気がするの、と。
数十分して、帰ってきたアルヴィは、顔の半分を真っ赤にしていて
その夥しいにおいに、私はゆっくり首を振りました。
「トリカブトは?その前に人殺し?」
「ないんだとさ。この区画じゃ、他に花屋も知らないから諦めようと思って。
でも手ぶらでっていうのもね。」
「顔が真っ赤。」
私が指差すと、アルヴィは驚いたように鏡を見て
それからニヤッと笑うのです。
「映画の殺人鬼みたいだろ。」
「どちらかというと、ヴァンパイアかしら。」
「じゃあ、もう水なんかいらないな。血だけで生きてける。」
愉しそうに言う彼に、私は考えを改めました。
きっとアルヴィは、毒の粉を吸い込み、激しく嘔吐しても喜び
そして足りない水は、他者の死と血で補うのだと。