モーニングマーダー
注意:残酷描写アリ。
私の恋人は、人殺しです。
それも、快楽殺人者です。
ミスター=ペイン モーニングマーダー
裏通りの一角、パン屋さんから、甘いクロワッサンの香りを楽しんで
自宅でまどろんでいる朝。寝室が開く音がして、私の恋人がリビングへとやってきます。
褐色の短髪を掻き乱していた彼は、私を見つけるとニヤっと笑い
包帯だらけの腕を伸ばし、爪の剥げた指で私の頭を撫でてくれました。
「おはよう、スイ。今日も美しい限りだね。」
彼の指が、私の髪のひと房をすくうと、軟膏のにおいがツンと鼻を突きます。
その手の甲は、酷いヤケドを負っていました。色も変色し、皮膚の形もなんだかおかしい。
夕食のフランスパンと一緒に、軟膏を買ってきてつけてあげたら、「痛い!」と彼は笑っていました。
「アルヴィ、今日はどこかにいくの?」
壁時計を見ると、午前八時を回っていたので私は恋人に訊ねます。
彼はすぐ頷き、手早くスーツに着替えました。
ワイシャツ、ネクタイ、ジャケットにスラックス。全部が真っ黒。まるでお葬式の格好みたいでした。
手には、大ぶりのナイフが二つ。彼曰く、ジャケットの中には肉切り包丁も入っているのだとか。
私が黒髪をくるくる指先で遊んでいると、彼はまたも独特の笑みを浮かべて、人差し指をくいっと向けました。
「スイも来ればいい。今日は、表通りの主婦を狙っていてさ。」
「あの、子供が産まれたばかりのおうちの人?」
「そうなのか?まあ、多分その人だと思うよ。健康的に肉がついててさ、なかなか切り裂く感触がたまらなそうにみえるんだ。」
彼はなつっこい笑顔で、まるで「今日はいい朝だね」とでも言うようにナイフを翳しました。
恋人のアルヴィは、出会ったときから人殺しでした。
私がウィンドウショッピングをしていたら、不良に絡まれて困っていたのだけれど、彼が助けてくれたのです。
いえ、正確に言うなら、彼はその不良を殺したかったのでしょう。
彼が人を殺す理由は、特に深いものはありません。
境遇や生い立ちも至って平凡だし、特別お金に困っているわけでもないのです。
目の前で、絡んできた男の人が頭に火をつけられて慟哭する様は、今も覚えています。
殺人鬼。
すぐにそんな言葉が出てきて、アルヴィを怖く思いましたが、なぜか彼は私を連れてこの家に招いてくれたのでした。
「アルヴィがそう言うなら、行こうかしら。」
椅子から立ち上がって手早く髪をまとめ、彼が自分の十の爪で作ってくれたネックレスをつけてアルヴィの細腕に掴まります。
あった時はもう少し柔らかかったけれど、今は変にでこぼこがあって、贅肉は、ほぼありませんでした。
彼は数週間前に、マチェットで両腕の肉を切り落としました。
いつもない爪は、両手から両足、一年前にすべて剥がしてしまいました。
じゅうじゅう油が舞っている鍋の中に、故意に手を突っ込んだのはつい昨日のことです。
そう、彼は、彼自身にすら痛みを与えるのです。
自殺願望なのかしら、と思った時もあったけれど、ただの自傷癖みたい。
いつも、自分に苦痛を与えている時、アルヴィはケラケラ笑ってるもの。
そのまま家を出て、ご近所の方々に挨拶をしながら、表通りへと向かいました。
今日は晴天。雲ひとつなく、雨の予感もなんだかしない。
「良い朝だね、ダーリン。青い画布に真っ赤な絵の具を撒き散らして、星を描こうじゃないか。」
「ごめんなさいね、私、殺すことには興味ないから…ただ、見ているわ。」
「見ているだけでいいんだ。きっと綺麗だぜ、君も気に入る。」
口笛を吹きながら、お目当ての煉瓦のおうちを見つけたアルヴィは、迷いなくポーチへ。
私も早足で続き、彼の後ろに控えました。
赤黒く変色した指先が、ベルを鳴らします。
しばらくして、どたどたと慌てて走ってくる足音。扉が開きます。
まんまる顔の愛嬌ある、恰幅のいい女性が、キョトンとして私達を見ていました。
「はじめまして!」
アルヴィが明朗に言って、ナイフを女性のお腹に突き出します。
ちょこんとしたお腹にナイフが突き刺さり、女性は何が起きたのかわからない、というような顔で一歩、二歩と下がりました。
アルヴィは女性を蹴り飛ばし、おうちの内部に入ります。一応、私も入ってドアを閉めました。
ごろんと倒れた女性からナイフを引き抜くと
悲鳴を上げる彼女のブロンドを掴みあげ床に叩きつけます。
一回、二回、三回。全力でフローリングに叩きつけられた女性のブロンドと額に赤いお花が咲きました。
私のすぐ横には、折れた歯すら飛んでいます。
「なん、なの…あんた、たち…なんで…。」
恨みごとなんて、ないけれど。そんな顔でアルヴィは
息絶え絶えにこちらを見る女性を見遣りました。
「好きなことして生きてるんだ。偶々、人を殺すのが好きだった。
人生、損したくないだろう?」
ほら、また出たわ。彼の純粋で、凶悪なワガママ。
好きなことして生きていたい、ですって。
絶句している女性の腕の皮膚を、アルヴィは手早くナイフで切ります。
悲鳴があがり、血が飛び散りました。
今度は左腕、腹部、頬、太もも。いろんな所をとにかく切り裂き
いたぶり、嬲る。
いつもお決まりの、彼らしい明るい鼻歌と共に、女性のブルーアイから光が消え始めました。ちょっと、ショックが強かったみたい。
アルヴィもそれに気がついたのか
ションボリして、彼女の口に突き刺す様にナイフをグサリ。
カエルが潰れたみたいな音と、血溜まりと
大きな瞳が白くひっくりかえった死体。
「死んじゃった。」
アルヴィが私の方を見て、悲しそうに言いました。
「まだ十分も経っていないのに…。」
ナイフを引き抜き、刀身を見ている彼の頬を撫でてあげます。
「だったら、私を殺したら?ガールフレンドなんて、作ろうと思えばいくらでも出来るでしょう?ハンサムさん。」
うーん、と彼は唸って肩を竦め苦笑いを漏らしました。
「…いいや。じゃあ、ちょっと自分の体でやってくるよ。フライパンはあるかな?手伝って欲しい。」
「あるでしょうね。どうするの?」
「熱々に熱した裏面を、腹部に思い切り押し付けるんだ。
油揚げより凄そうだろ?」
愉しそうに語り、彼は勝手に人のおうちの中を物色しはじめます。
アルヴィは、痛みを与えるのも、与えられるのも好きです。
人殺しをはじめたのも、それが切欠だと
付き合いはじめた頃に話してくれました。
学生時代は専ら、自傷に走ってご両親から勘当を喰らったのだとか。
それからは精肉店に住み込みでコツコツ働いて大学を卒業し
今はとあるバーで歌い手として活動しています。
だから、朝はいつも人殺し、自傷を行うのです。
「ねえ…アルヴィ。」
キッチンへとやって来て、フライパンを軽快に取り出した彼に声をかけると
振り向いてくれました。
「どうしたんだ、スイ?」
「どうして、私のことは殺さないの?痛めつけるだけでもいいのに。」
いつもの質問。回答も、もうわかっています。
やっぱり、アルヴィは笑顔で、溌剌とした声で言いました。
「僕の殺しに付き合ってくれる素敵な女性を失うのは、悲しいからだ。
今までで、君だけだよ。殺しを否定しなかったのは。」
全く罪悪感も悲哀も込めないアルヴィの言葉に、私は悲しくなりました。
彼はいつも明朗で、子供みたいに無邪気で
分け隔てなく笑顔で、無限大に優しくて、でも。
アルヴィには、とても大事な何かが欠けています。
コンロで十分に熱したフライパンを持ち、取っ手を私の方へと向けて
アルヴィはワイシャツを引きちぎるように脱ぎました。
自ら、ナイフでつけた切り傷。抉った痕。刺し傷。青紫の痣。根性焼き。
上半身だけでも、アルヴィは傷だらけでした。
私はフライパンの取っ手をとり、少し間を置いて
彼のほっそりした腹部に押し付けました。
肉が焦げる音。浮かぶ煙。溢れる笑い声。
少しフライパンを離してみると、クッキリと赤いヤケドが残っていました。
アルヴィは満足げにワイシャツを着直して、私に微笑みます。
「な、最高の朝になっただろ?ダーリン。」