花の宴 三
様々な噂が飛び交いつつも、恙無く『牡丹の宴』昼の部は終わった。
貴族達はそれぞれ城内に用意された部屋に下がって、皇族達は後宮の部屋を借りて昼の正装から夜の正装へと衣服を改める。
シェランとて例外ではなかった――否、皇女たる彼女であるからこそ、か。
「姫様! 往生際が悪うございますわ!」
「だってそんな肩むき出しなの、寒い……!」
「このくらい普通です。胸元も詰まっておりますし。それにもう五の月ですのよ。寒いはずがありません」
「これで詰まってるって言うの!?」
「もちろん。皇女殿下にして聖女猊下であらせられる御身がお召しになるものですもの。わたくし共が姫様に娼婦まがいの格好をお勧めするはずがございません」
「いや、けっこう見えると思うんだけど――」
「姫様、時間が迫っておりますわ。お早く」
手を変え品を変えて宥め賺され、結局最後はなし崩し的に用意されたドレスに袖を通したシェランだが、何か騙された気がしてならないのだった。
「御髪を結いますので、頭を動かさないで下さいませ」
「わかってます」
濃い色のドレスに合わせて、髪は全て結い上げられ細い項が曝される。とはいえ手入れの行き届いた長い髪は貴婦人の証なので、一部を下ろしてその見事さを強調せねばならない。これは規定というより宮廷の不文律というやつだ。
今回の夜会用のドレスは女官達の激論の末、赤を基調としたものになった。金か赤かで最後まで揉めたのだが、コタルディの下半身部分を真ん中で割って白地に全面的に金糸で刺繍したドレスを覗かせること、胴体に細かい金刺繍を施すことで折り合いがついた。ちなみに最終的な意匠が決定したときシェランはその場にはおらず、休憩室でアルトレイスを相手に模擬戦を兼ねた駒遊びに興じていた。
「さ、姫様、これを」
「ありがとう」
袖は上腕に少しかかる程度しかなく、肩は剥き出しである。よくこのような意匠を祖母皇妃が許したと思うほど露出が激しい。代わりのように同色の透けた掛け衣が差し出されたので肩にかける。これにも縁に金糸の刺繍が施されており、金を主張していた一派の執念が感じられた。
「ほら、やっぱりこの赤にして良かったでしょう! 刺繍も良く映えて」
「そうね。でも金にも挑戦してみたかったわ……」
「それは次の機会にしましょうよ。姫様、くるっと回って見せて下さいな。……ああ、ほらね、腰の後ろはただのリボンじゃなくて薔薇を模した飾りをつけて良かったわ」
「牡丹じゃないところがいいわ。きりっとしていて」
「姫様の紋章ね!」
話の種にされているこちらが恥ずかしい、とシェランは心の底から思ったが、口には出さなかった。楽しんでいる女官達の雰囲気に水を指すほど空気が読めないわけではない。
自分達の『作品』の出来栄えに女官達が満足して頷き合うまで付き合わされ、しかし夜会の開始時刻には間に合うという不思議。時間を操作する何かしらの術が皇女宮周辺に掛けられているのではないかと、シェランは常に疑っているのだが、今のところそれらしき証拠は掴めていない。
(絶対、いつかこの謎を解明してみせる)
心の中で拳を握り、決意を新たにする。
その後、支度の整った皇妃、皇太子妃、女性皇族と連れ立って会場となる広間へ向かう。男性陣とは会場の控え室で落ち合うのだ。「女の準備の長さには待っておれん」というのが男性側の言い分で、これに対して女性側は「では待って頂かなくて結構」となり、しかし会場には一緒に入らねばならないという規則を踏まえて折り合った結果、らしい。宮廷の約束事とは、由来を辿れば実にくだらないものが多い。
「揃ったな。では参ろうか」
皇王と皇妃を筆頭に皇族達は会場である広間へ入る。主催者の皇太子と皇太子妃は一番最後の入場となるのが通常の夜会と違うところで、ゆえにシェランはソルディースと共に祖父母の後に続くこととなった。
当然、広間には招待された貴族がひしめいている。シェランは見知った顔をいくつか見つけたものの、全体数と比較してのその比率の低さに内心で落ち込んだ。確実に五分もない。
(ちょっとどうなの、世継ぎの皇女として……)
今までそれどころではなかったので、仕方がないといえば仕方がない。
表には出さないようにしていたが、さすがに傍にぴったりと寄り添っていたソルディースは何かを察したらしい。
「どうした?」
「ちょっと自己嫌悪中……」
「は?」
「これからもっと色々頑張らないと、ってこと」
はあ、と続けて溜め息をつく。と、何を思ったのか、おもむろに婚約者が身を屈めてきた。
「……シェラン」
「何……近い近い! 今はだめ――」
「昼のも良かったが、今のもよく似合ってる」
耳に注ぎ込むように囁かれた言葉に、一瞬何のことかと聞き返しそうになったシェランだった。一拍後に意味を理解して硬直する。頬に血が上るのがわかる。――何故、主催者挨拶を数十秒後に控えた今、言う。
褒められるのは決して嫌いではない、むしろ舞い上がるほど嬉しいが、それでも時と場所というものがあるだろう。このやり場のない恥ずかしさをどうしろと言うのか。
恨めしさを籠めて婚約者の横顔を見上げるが、彫刻のような美しいそれは非常に涼しげである。悔しいので反撃したいが、主催者である皇太子夫妻の挨拶が始まったためそれはすぐには叶わなかった。
型通りの挨拶が終わると、楽団が音楽を奏で始めた。舞踏のためではなく雰囲気作りのためだ。神術で作り出された光を放つ球が天井付近に浮かび会場全体を照らしているのは常のことだが、今回は随所に飾られた花の近くにも淡い色のついた光球が浮いていた。
この光景を見るたび、シェランは正直うちの国にはあんなに凝った意匠の吊り燭台はいらないなと思う(今も蝋燭は一本も立てられていない)のだが、なぜか皆が首を横に振る。清掃係の仕事が増えるだけなのに何故なのか、疑問は未だ解明されていない。
「シェラン、下りるか?」
「うん。あのね、向こうにすっごい可愛い女の子達の集団がいるから、あそこに」
「却下。あれに近寄ったら最後だ。一通り展示を見て回ろう」
シェランは笑顔を崩さないまま散々小声で文句を言ってやったが、却下の判定は覆らなかった。そろそろ皇族以外の同性の友人が欲しかっただけなのだが。
とはいえ、会場の随所に飾られた展示品も見事なものだった。地球風に表現するなら大規模な華道の展示会といったところだろうか。主役はもちろん牡丹なのだが、花瓶や添える花にも趣向が凝らしてあり、どれほど見ても飽きない。これが華道の専門家の作ではなく、内政の一部署の役人と宮廷の侍従・女官・侍女達の共同制作というから驚きだ。
と、曲が変わった。
緩やかな四拍子から軽やかな三拍子へ――大広間の中央では、皇太子夫妻が踊り出していた。
「次の主題旋律が終わったら僕らも出よう」
「うん」
舞踏会としては気軽な部類とはいえ、皇族主催の公式行事である。席次や最初に踊る順番は決まっていた。皇太子夫妻が踊ったのなら、次は皇女の番だ。皇王と皇妃はとっくに席に戻って歓談中で、舞踏に参加する意思はないことを暗に示していた。
間奏が始まる頃を見計らって、二人は中央に進み出た。数小節遅れて、イルヴァースが出てくるのを横目で確認する。
「あれ、ルヴァのお相手って、マリア? ていうか、アルとジェス小父様は?」
「……アルは止むを得ない時しか踊らないんだ、昔から。父上は……あそこだ、クライネルト公と話しているからじゃないか?」
「そういうこと。それにしても踊らないのね、アル従兄様……」
理由については深く突っ込んだらいけないと本能が警告するので、素直に従う。というか、知りたくない。
一曲踊り終えるとわらわらと他の貴族達も中央に出てきた。数曲を続けて踊ってから、踊りの中心から一旦抜ける。こういう席では付き物の、果物をその場で搾って供される果実水に手を伸ばす。
「いつも思うんだけど、よく汁が飛び散らないよね」
「そんな未熟な不調法者、厨房から出てこないだろう」
果実水を飲んだ後、二人は露台に出た。中の熱気との差が激しい。
「やっぱり大勢で集まって騒ぐのって、楽しいよね。でもライ達が見つからないんだけど……」
「カールはさっきクロワール侯爵と話し込んでたけどな」
「う……だって」
「だってじゃない。まあ別にサリアネスとクロワールなら問題ないが」
ソルディースは、彼だけ給仕に運ばせた酒杯を片手に、露台の欄干に縋って眼下に広がる庭園を見下ろした。牡丹の花が発する甘い香りが、仄かに漂ってくる。
「ねえ、ソール」
「うん?」
庭園を見下ろす格好のソルディースとは入れ替わる形となって、シェランは大広間に体の正面を向けていた。視線も何かを探すように彷徨わせている。
「……今日は、その……彼女、来てないのね」
彼女とは誰だ――そう聞き返しそうになって、続いた言葉にソルディースは寸前でそれを飲み込んだ。
「あの、再従妹? だっけ。仲良さそうだって、聞いたけど」
何となく、実際に腕を組んで歩いているところを見たとは言えず、シェランはかなり婉曲に尋ねた。
「…………誰から聞いた」
「誰って、色々」
盛大な溜め息をついたソルディースである。
「悪い噂しか聞かないから、その子、精神的に疲れちゃってるかもしれないし、大丈夫かなって……ごめん、余計なお世話よね。忘れ――」
「あいつはもう皇都には来ない」
言いかけたところを遮られたが、シェランは途中から割り込まれたことより、その声音の冷たさに驚いた。
「……ソール」
「仲も良くはない。向こうが一方的に付き纏っていただけだ。縁は切れないが、もうあれは領地から出させない」
言い切って、ソルディースは酒杯を呷った。空になったそれを欄干の上に置き、婚約者へと向き直る。
「もうあれがお前を悩ませることはない。説明が後手に回って悪かった」
「……領地から出さないって、まさかもう土の下とかじゃ――」
「何故そうなる……生きてるぞ、忌々しいが」
付け加えられた一言があまりに冷ややかで、シェランは俯いた。絹地の薄い手袋に覆われた手を伸ばし、そっとソルディースの腕に触れる。しかしすぐに絡めとられ、体ごと引き寄せられた。
ふ、と剥き出しの首筋に息がかかるのを感じて、シェランは身を竦めた。
「誰かに見られたら……」
「いいじゃないか」
「酔ってるでしょ」
「至って素面だ。あれくらいで酔える奴がいたら教えてくれ」
腰に腕を回され、シェランは一旦諦めた。体幹の関節を見事に押さえられたので、下手に動くと装いが崩れてしまう。
「……シェラン」
「ん?」
緩い拘束に少し体を離して見上げると、何故かソルディースは庭園の方へ視線を逸らした。
「いや……その」
「何? 口紅が取れるから、口付けはなしよ」
「違う! いや、だから……あれの話を聞いて、どう思った?」
「え? どうって……」
軽く眉を寄せたシェランである。彼女にとってあまりに唐突な流れだった。そして残念なことに、約半年間の眠りは身体的な成長をもたらしただけで、精神に対しては、この場合は悪い意味で影響していなかった。
故に。
「他に好きな子ができたなら、どうやって婚約解消しようかなって考えたけど」
それがどうかした? と訊き返され、ソルディースは久々に自分と彼女の間に横たわる溝を感じてしまった。温度差と言ってもいい。一人だったら泣いていたかもしれない。
「……でも今聞いたらどうかな。嫉妬したかも」
だから、ぽつりと付け足された言葉に歓喜する。まさに一喜一憂というやつだ。しかし顔には出さない。
「あ……」
ふと、腕の中の少女が声を上げた。その視線の先には、ふわりと仄かな光を帯びて花園を舞う蝶がいた。
「夜光蝶か。少し早いな」
「見て。あっちにも……これもお父様が考えたのかしら」
「いや、多分偶然だ。時機が合っただけだろう」
「ね、庭に下りようよ。近くで見てみたい」
外に出ている者は他にほとんどいなかったから、実質二人きりのようなものだった。露台から直接庭園に繋がる階段を下り、大輪の花が芳香を放つ中を進む。血統の恩恵で夜闇を見通せる二人の目はささやかな月光の中でも花の色も識別できたし、足元もしっかり見えていた。
「ふうん、模様に沿って光が……蛍みたいな光ね。同じ発光物質かしら。夜光蝶って、昼間は出ないのよね」
「ああ。今夜は運が良かったな」
「ほんとね」
四阿まで辿り着くと、さすがのシェランも足に疲れを覚えて座り込んだ。夜会用の靴は散歩に向いていないこともある。足の形に完璧に合わせてあるので靴擦れはないことが救いだ。
「大丈夫か」
「うん。少し休めば平気」
ごく自然に隣に座った婚約者の肩に頭を乗せ、休憩する。めまぐるしかった今日、初めて息をつけたひとときだった。
「――シェラン、これを」
何の前触れもなく差し出されたのは、小箱だった。明らかに宝飾を保管するためのそれに、シェランは首を傾げる。
「開けても?」
「もちろん」
受け取って留め金を外し、開ける。中には、小さな金剛石がついた淡い金の指輪があった。良く見ると細い表面に薔薇の彫金が施されている。
「これ……」
驚いてソルディースを見上げると、彼は珍しく少し照れたように笑った。
「異世界では、婚約の証に指輪を身につけるのだろう? 我が国には指輪をそのように扱うという風習はないが」
というか、指輪そのものがあまり主流な宝飾品ではない。高貴な人は公の場では必ず手袋をはめるため、その上から何かつけるとなるとまた厄介なのだ。よって上流階級において、指輪は普段使いの気軽な品と捉えられている。
では決まった相手がいても何もしないかというとそうではない。既婚女性は夫の瞳の色の宝石を額飾りにし、既婚男性は妻の瞳か髪の色の小物(襟止めや釦など)を使う。未婚で婚約を交わした者同士は、やはり互いの瞳の色を模した宝石を耳飾りにして着けるのだ。ソルディースも婚約当初から黒曜石の小さな耳飾りをつけている。
婚姻の儀においても指輪を交わして誓いとなすということはしない。言ってしまえば、誓約の神に誓い、婚姻誓約書に署名すれば婚姻は成立する。
「……ありがとう」
こちらの風習に則った物のみならず、どうしても捨て切れない異界の風習まで配慮してくれたことが嬉しい。婚約指輪や結婚指輪など、話したのは女性達もいる席で数えるほどしかない。単なる雑談だったのに。
「婚約の証というには遅いが……」
「ううん、すごく嬉しい。ありがとう」
するりと手袋を外し、左手の薬指に嵌めてみる。
「ぴったりね」
「当然」
こちらも手袋を外したソルディースが、用意していたらしいもう一つの指輪を嵌めてみせる。一目で対とわかる色と彫金。
どちらからともなく、手を伸ばす。結い上げた髪を崩さないようにと慎重に頭の後ろに回された手に、しかししっかりと固定されて、シェランは目を閉じた。ひっそりと婚約者が笑う気配がする。それが少し悔しかったけれど。
――仕方がない。今夜は大人しく、負けを認めるべきなのだろう。
そして内容はない、という。要するに彼は好きな子の前で格好付けたいただの男の子なのでした。
もう一話、おまけがいつか更新されます。