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夜明けの後に  作者: 木之本 晶
徒然なる小話集 1
6/37

花の宴 二

 迎えた『牡丹の宴』当日――ヴィーフィルド皇紀4014年五の月一日は、見事な五月晴れだった。

 皇城にはそれぞれ花の区画があり、花の宴はその区画を中心に行われる。この日ばかりは牡丹を栽培している禁苑も解放され、招待された貴族達で賑わっていた。専属の庭師が丹精した結果、大輪の牡丹の花がそこかしこに咲き、独特の甘い香りが仄かに漂っている。

「妃殿下、ご挨拶をお許し頂けましょうか。娘でございます」

 主催者の皇太子妃の前には挨拶の列が途絶えることはない。このような遣り取りがいくつも行われている。

「直答を許します。初めまして、可愛らしいお嬢さんね」

「この度は、お招きに預かり、御礼申し上げます。ロエスレル二等伯爵が息女、マリアンネと申します」

 緊張で(つか)えながら、震えながら腰を折って挨拶する少女に、皇太子妃はにこりと柔らかく微笑んだ。

「そんなに緊張なさらないで。我が娘の皇女も、今日初めてこういった場に出るのです。同じ日に同じようなお嬢さんがいらして、あの子もきっと心強いでしょう」

「そんな……」

「畏れ多いことでございます」

 畏まりながらもどこか満更ではない様子の親子である。そしてそれは、出席する貴族全般に共通したことだった。

 神力は高く、皇族の常として美貌を誇るが虚弱体質で表に出てこない――それが一般的なシェランティエーラ皇女への印象だ。内実は本気を出せば一人で皇王、皇太子の結界を抜け出してあちらこちらをちょろちょろする上、木に登るし馬も駆る、挙句の果てに限界まで神力を使い果たしても生きているという野生動物も真っ青な生命力の持ち主なのだが、世の中には万人に知られなくてもいい事というものがある。

「盛況のようね」

「妃陛下」

 背後から声をかけられ、皇太子妃イリアーナは慌てて振り向いて頭を下げた。

「申し訳ありません、お越しになると伺っておりましたのにご挨拶もせず」

「構いませんよ。貴女も久しぶりの会の主催で忙しいでしょう。でも無理をしてはいけませんよ。少し座ってお休みなさいな」

 義理の娘に椅子を勧めつつ、皇妃ユーライアは自身も向かい合って腰を下ろした。

 皇太子妃は一般貴族出身だが、皇妃は皇族、それも一等公爵家出身である。その人がくつろぐ目的で並んで座っているところへ突撃する勇気を持つ者など限られていた。そして今、この場にその勇気を持つ者はいなかった。

「それにしても綺麗に咲いたわね」

「はい、本当に。庭師の皆がよく世話をしてくれたおかげです」

 天気についての話題は出ない。何故なら、この日に合わせて晴れるようにと皇太子が精霊王達に命じているからだ。ヴィーフィルドでは野外で催し物を行うとき、貴族ならば神殿を通して祈願し、皇族ならば直接精霊王に命じて天候を調節することは常識である。

「ところで、あの子はまだなのかしら」

「もうそろそろのはずですわ。……義母上(ははうえ)様、落ち着いて下さいませ」

「だって、何故だか不安で、心配なのよ。ああ、思えばフィオの時もこうだったわ……」

 それはかなり特殊な事例では、とイリアーナは思ったが、口には出さなかった。結局どっちもどっちだと考え直したからだ。

 落ち着かない義母のために花茶でも用意させようかと考えていたイリアーナの思考は、小さくはないどよめきが上がったために断ち切られた。


 その姿は、会場の人目を一瞬で惹きつけた。

 昼の催しなので、髪型はそれほど凝っていない。一部を編みこみつつふわりと結い上げ、薄紅の花を模した髪飾りや、真珠のピンで止めている。淡く細い緑のリボンが大小の花を繋ぐような位置で編みこまれているから、一見すると朝露に濡れた花冠を被っているようだった。深い漆黒の髪に、淡い色が非常に良く映えている。

 首元には金の細い鎖が一本、上質な紫水晶が一粒胸元に煌めいている。

 細い肢体を彩るのは、牡丹の一色のようなほんのりと紅がかった淡い紫のドレスだ。一枚一枚は白かと見紛う程色が薄い絹を幾重にも重ねている。

 そのように述べるとただスカート部分が広がっているだけに思えるが、意匠がまた斬新だった。スカート部分が広がりを見せ始めるのは実はその太腿の中程からで、それより上はしっかりとした地の布がぴたりと体に沿っていて、優美な曲線を強調していた。胸部、背部には浮き織りでレースのような模様が入っており、胸元と袖口には金糸で刺繍がされている。

 ふと吹くそよ風に揺れる様は、さながら彼女自身が花の女神と称しても過言ではないほどだった。

「ま、あ……!」

「皇女殿下よ……」

「あんな意匠、今まで見たことがないわ」

「御手を取られているのが、ヴィライオルド公爵家のティルダリア侯爵閣下よ。いつお見上げしても本当に格好いいわよね」

「いやはや、本日参上した甲斐があったというもの」

「真に。皇女殿下の麗しさもですが、リヒトクライス卿もこう何か、一皮剥けたと申しますか」

 皇女の婚約者であるヴィライオルド公子にしてティルダリア三等侯、リヒトクライス卿ソルディースは、花のような彼女を引き立てることを意識したのか、今日は深緑を基調とした装いだった。袖口や裾には禁色の黒が走り、金銀の刺繍で華やぎを添えつつも引き締まった印象を与える。

 仲睦まじそうに寄り添い合う二人は、何か互いに言葉を交わしながらも真っ直ぐに主催者である皇太子妃の元へ向かった。

 揃って貴人に対する礼を取る。

「お母様、ご機嫌麗しゅう。お祖母様も」

「妃殿下、妃陛下、本日は皇女殿下の御手を取る栄誉を賜りましたこと、御礼申し上げます」

 リヒトクライス卿は慣れたものだが、皇女は衆人環視の中で挨拶することが初めてだからか、やや緊張気味である。

 微笑ましい様子に皇太子妃は笑顔で頷き、皇妃は透かし彫りが施された薄い白檀の木の板を連ねて作られた扇をぱらりと開いてくすくすと笑う口元を隠した。

「人が多くて緊張するのでしょうけれど、たくさんの人とお話しして御覧なさいね」

「いつものお口が回るシェランはどこへ行ったのかしら? 花を楽しむ会なのだから、そんなに硬くならなくても良くてよ」

 微笑む母と笑う祖母に送り出されたシェランだった。

 こうした催しは普段会わない人との交流が目的の一つでもある。だから話を、というのは間違いではないのだが。

「……これって、私から話しかけないといけないのよね?」

 そっと婚約者に耳打ちすると、当たり前だと返される。

「どこの宮廷に、皇女に自分から話しかけるような貴族がいる」

「ええー」

「……取り合えず、僕の知り合いから当たってみるか?」

「お願いします」

 こそこそと会話した後、少し移動するだろうからその間に心の準備をと思っていたシェランだが、ソルディースがすぐ傍の生垣で談笑する数人の若い人物達に声をかけたので瞬時に硬直してしまった。

(か、顔が広すぎない!?)

 冷静に考えれば、血統的に直系に近く、皇位継承順位も一桁というソルディースの顔が広くないわけがないのだが、そんなことは迫る突発事態の前には頭を掠めもしなかった。

 一人が若者の輪から離れて、ソルディースと共に向かってくる。目元が切れ上がっているので少しきつめの印象を与える青年だった。

「シェラン、こちらはクロワール侯爵のご子息ダニエル殿です」

 内心冷や汗をかいていたシェランだが、聞き覚えのある名に反応した。

「クロワール……もしかして、サリエラの?」

「兄です。初めて御意を得ます、皇女殿下」

 一度礼を取った後、頭を上げた青年に皇女宮付き女官の筆頭格サリエラ=クローディアの面影を認めて、シェランはまじまじと見つめてしまった。

「サリエラは……とても良くしてくれます」

 若きクロワール侯子は目元を和ませた。

「実家に戻ると何かとうるさいばかりの妹なのですが……皇女殿下に名を呼んで頂いているとは本当でしたか。ご存知の通り気性の強い性質なので、ご不興を買っているのではないかと皆で冷や冷やしていたのですが」

「そんなことないわ。確かにちょっと言い方がきついときもあるかもしれないけど、サリエラはしっかりした人です」

 少しばかりむきになって言い返したシェランである。相手が驚いたように目を見張ったので言い過ぎたかとひやりとしたが、すぐに彼は笑いを漏らした。

「我が妹にそこまで御目をかけて頂けるとは光栄の至りです」

「……サリエラはとても頼りになる女官なのですけれど、ずっと宮に詰めています。失礼ですが結婚の予定は?」

 ふと以前に少し考えたことを思い出し、シェランは慎重に探りを入れた。確か目の前の青年はクロワール侯爵家の跡取りだったはず。

「それが全く。殿下に申し上げても仕方のないことですが、見合いを用意しても端から断ってしまって」

「私のところに詰めている?」

「……恥ずかしながら」

 気まずそうに笑う。ならばとシェランは話を振った。傍らで会話を見守る婚約者へ。

「ソール。確か、カールも相手が決まっていないのではなかったかしら」

「カールといいますと……サリアネスの?」

「そう。家格も年齢も釣り合うし、ちょうどいいのではないかと思うの」

「それは――確かにそうですが」

「しっかり者の彼女なら、サリアネスに嫁いでもやっていけると思うのよ。どうかしら」

 無論、ここでシェランが小首を傾げて提案したところで物事が動くわけではない。この場にいる当事者はクロワール侯爵子息一人、それも当主ではないから彼に妹の身の決定権はない。しかし。

「それにほら、わたくしが謁見するときによくサリエラはついてくるでしょう? それで時々カールと話している様子だけれど、あの二人、満更でもなさそうだし」

 ここはただの花園ではない、社交界。耳目のある場所でこれだけの爆弾を投下してしまえば、後は勝手に火がついてくれるのである。サリアネス侯爵家の嫡孫とクロワール侯爵家の長女は仲が良いらしい、それも皇女殿下御自らのお墨付き――今日の夜には出されてもいない縁談が纏まったと尾鰭がついていることだろう。皇族が口に出すことは、それほど影響力があるものなのだ。

 さすがに息を呑んだクロワール侯子だが、シェランが悪戯めいた笑みを浮かべていることで意を汲み取ったらしい。

「……過分なお気遣い、有難う存じます」

「いいえ。サリアネス侯爵にはわたくしから言ってみますね。ですがこういったことは当人同士の相性もありますから」

「合ってくれれば良いと思います」

「わたくしもそう願いますわ」

 聞き役に徹していたソルディースは表面上は穏やかな笑みを浮かべながらも、内心で天を仰いで幼馴染に同情していた。とっくの昔に成人した本人の与り知らぬところで縁談が進んでいる。しかし彼もそろそろ身を固めるべきなのは事実なので、心の中でそっと手を合わせるに留めた。



「やっと見つけた」

 背後からかけられた声に、彼女はびくりと振り向いた。声をかけられたことに驚いたのではなく、簡単に背後を取られたことに反応したのだ。

「……普通に出てこられないの、貴方は」

「驚かせたかったから」

 まるきり悪戯が成功した子供の顔をして柱の影から出てきた同胞に、マルヴィリアは扇に仕込んである鋼線を放とうかと考えて、やめた。自分にも彼にも遊びにしかならない。

 それにヴィーフィルド皇族の身体を地上の事物で侵すことはできない。毒は無意味に体を通り抜け、外からの攻撃は届く前に霧散する。彼が鋼線を避けなかった場合、せっかく仕込んできた武器が一つ無駄になるのだ。

「そんな危ない物、どこで使う気?」

「ソールがついているから使わないとは思うけれど、保険ですわ。北の変態の間諜がどこに忍び込んでいるかわかったものではありませんもの。ま、狙いがアルなら一旦向こうに差し出すのもありですわね」

「相変わらず容赦ないな、君は……」

 若干その秀麗な顔を引き攣らせながらも、イルヴァースは柱に寄りかかって腕組みをした。振り向きもしないつれない同胞の後ろ姿をとっくりと眺める。

 皇女も可愛らしいが、マルヴィリアも引けを取らない装いだった。

 陽光を紡いだ金髪は、鏝を当てたのだろう。いつもより毛先の巻きが強い。一旦全て後頭部で全て結い上げられ、銀細工の髪留めと紫のリボンで止められた後、残った部分が項、背、腰までを隠している。

 奇しくも皇女に倣っているように見える紫のドレスだが、こちらははっきりと深い色味で、艶やかな銀の光沢のあるサテン生地である。首元、胸元、腕はこちらは少し白が入って淡くなっている同色系統の細かなレースで覆われており、常の彼女の印象とは全く異なった、どこか妖艶な雰囲気すら漂わせている。

 イルヴァースは思わず目を覆った。……高貴な女性特有の長い髪で腰まで隠れていなければ、体の線がむき出しという事実に。

「……昼間だよ、今は」

「規定は守っていましてよ。ふわふわした意匠が似合う歳でないことは自覚していますわ」

「そんなことないけどなぁ。ま、私としては堪能させてもらうからいいけれど。他の男に見せたくないけど仕方ないか」

 さりげなく腰を抱こうとしたイルヴァースを避けたマルヴィリアは、ドレスの裾にさりげなく隠しながら、彼の足を思い切り踏んだ。硬い踵部分で。

「馴れ馴れしい年下は好みではなくてよ」

「いった、今ものすごく遠慮なく踏んだよね……今日は一人なんだろう? 私も一人なんだ」

「躾がなっていないと噂の再従妹でもお連れになってはいかが?」

「姫の晴れ舞台にそんな泥を塗るような真似ができるわけがないだろ。――予想が当たった。ガルダニアの鉄製品は全て価格が上がっているそうだ」

 ぴく、とマルヴィリアの扇を持った右手が動いた。

「……それで?」

「妖魔の襲来でセーヴィル騎士団が弱っているのは確かだ。まだ完全に態勢は整っていない。直近で狙われるとしたら今日かなと思ったけど……」

「……人手が集まらなかったようね」

「金がないみたいだからね。それに冬越えの後だから糧食事情もあるんじゃないか」

 マルヴィリアは手に持っていた扇をぱらりと開いた。

「陛下へは?」

「報告済みだよ」

「わたくし個人としては大変に不本意だけれど、今回クライネルトはガーランスと共にヴィライオルドの指揮下に入るよう沙汰があってよ」

 皇国真北を領地とするのがヴィライオルド、北西がガーランス領、北東でミルフェン北部に少しだけ接しているのがクライネルト領である。

「夏までは様子を見るよ。でも今年は動かないかも。姫の婚儀に招かないという手があるし」

「あら、まだ招待客の名簿に載っていたの。招くのはあの可愛げのない王太子だけで良くなくて? 彼だけならまともな取引ができるわ。もしくはさっさとアルトレイスを引き渡す」

「…………そんなにザーレインを灰にしたい?」

「あの悪趣味な王宮を建て直すためには、一旦更地にするしかないでしょう。ガルダニア王位継承権を持つ駒はこちらにもいるわ」

 ちら、とマルヴィリアが視線を流した先には、紫紺の髪を結い上げた年若い少女――ミルフェン公爵夫人ルイセルーエがいた。

「むしろその方が大陸の均衡を保つためには良いと思うわ。彼女が女王に立ってガルダニアとアーラントードの国交が回復すれば、ローデンクロリアが妙な画策をすることもなくなるのではないかしら」

「ミルフェンが引き摺られるかもしれない。余計な手間が増える。それにあの公爵夫妻が表立って巻き込まれると姫が悲しむ」

 最後の台詞は、各国の首脳が聞いたら卒倒ものである。

「……仕方ないわね」

 マルヴィリアは小さく溜め息をつくと、開いていた扇をぱちりと閉じた。

 きな臭い情報がもたらされはしたが、今日は祝いの席なのである。主君に祝辞を述べるため、彼女は優雅に足を踏み出した。

 ……あれ、こんな殺伐とした話になる予定ではなかったんですが。どこで間違った?

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