花の宴 一
『今宵~』の後、『それはある晴れた~』の前です。時系列がわかりにくくてすみません。
リーヴェルレーヴ城では、三ヶ月に一度、季節の花の名を冠した宴が催される。二部構成になっていて、昼の部を主催するのが皇太子妃、夜の部を主催するのが皇太子だ。最も、皇紀4003年から4013年まで皇太子妃は宴の主催どころではなかったため、皇妃や公爵夫人達が代行していたが。
昼の部は大体が園遊会のような様相を呈し、夜の部は花を愛でるという名目で花がふんだんに飾られた大広間で舞踏会となっているのが実態だが、ともかくも皇太子夫妻主催の正式な場であるため、この宴で初めて社交界に足を踏み入れるという貴族の子女は少なくない。
皇女シェランティエーラもその例に漏れなかった。彼女が正式に社交界に出たのは、公式記録によればヴィーフィルド皇紀4014年五の月、『牡丹の宴』である。もちろんそれまでにも、毎年七の月に行われる聖エディリーン降誕祭や秋の豊穣祭、自身の誕生記念式典などで公に姿を見せてはいた。だがこれらは皇族としての祭祀への出席義務を果たしているだけであり、実質的に社交を始めるのはこの宴からだった。成人してから社交界に出るというのは少々遅いが、それも彼女の体調と立場を鑑みれば常識の範囲内である(公に発表されている情報から判断すればの話だが)。
ともあれそのような事情で、皇女の社交界への初臨席が決まった後――三の月半ばの皇女宮は、異様な熱気に包まれていた。
綺麗に着飾るのは皇女本人も嫌ではない。年頃の少女であることもあり、その辺りは興味津々だ。しかし、物事には何にでも限度というものがある。
その点において皇女と皇女宮付き女官・侍女連合の間で熾烈な攻防が繰り広げられたが、勝利の女神は今回は数が多い方に味方したらしい。というよりも、多勢に無勢という表現の方が正しいか。
「重いのも苦しいのも嫌なんだってばぁ……」
「何を仰います、姫様! 女は度胸ですわ!」
「それ絶対使い方違うから……!」
半泣きの皇女の訴えにはあろうことか誰も耳を貸さず、彼女達は熱心に女主人の十六歳という若さを最大限に生かしつつ、その美貌を品良く引き立てる装いについて本人そっちのけで議論を白熱させていた。もはや攻防ですらない。
「宝飾の地金は金? 銀? それとも白金がいいかしら?」
「ドレスのお色を決めてからにしましょうよ」
「そうね……どれがいいかしら。やっぱり緑?」
皇女のエスコートを務めるのは、無論のこと婚約者であるリヒトクライス卿ソルディースだ。特別な場は婚約者の瞳の色に合わせて、というのは、許婚など既に決まった相手がいる女性にとっては最も無難な選択である。
「あら、駄目よ。去年の誕生式典の舞踏会でも使ったし、それに今年の緑はご婚礼の後の宴で、ってこの間話したばかりですもの。もちろん同じドレスをお召しになるわけではないけれど、あまり緑ばかりでは張り合いがないわ」
「紫紺や青は?」
「紫紺は一昨年の聖エディリーン祭で使ったから却下」
「青はちょっとこの季節には寒々しくてよ」
「赤はどう?」
「今の姫様の雰囲気とはちょっと合わないわ。もっと清楚な方向で」
「黄や橙は?」
「明るすぎない? 下手すると部屋着用のドレスみたい」
「淡い桃色系統はどうかしら。牡丹の花とも合うし」
「それこそ絶対に駄目。きっと出席する女性は皆着てくるし、何より少し前にリヒトクライス卿閣下にまとわりついていた女が桃色や珊瑚色のドレスばかり着ていたわ。あの女と姫様を同列に並べるなんてあってはならないことよ」
皇女に直接仕える彼女達はかなり高位の爵位を持つ貴族の令嬢でもあるのだが、皆そんなことは忘れたかのようにかしましく議論する。
「そんなことを言っていたら、姫様が桃色をお召しにならなくなってしまうわ」
「確かに姫様には桃色も良くお似合い……というか、何色でも着こなしてしまわれるけれど、だからこそじゃない。せっかく成人した後の初めての公の場なのよ? もっとこう、大人っぽくというか……――そう、リヒトクライス卿閣下が、姫様に惚れ直すような感じで!」
拳を天に突き上げるという貴族令嬢にあるまじき動作で、力説というよりも宣言した女官の一人に拍手喝采が送られる。
「そうね! そうだわ……!」
「姫様の新たな魅力を引き出すのよ!」
――そうして、『リヒトクライス卿閣下を惚れ直させる』を合言葉に、議論はさらに熱く、また長引いた。
「世の中にあんなに色があるとは知らなかったわ……」
些か、というよりもかなりぐったりしながら、シェランは馴染みの面々に愚痴を零していた。出された茶を楽しんでいたイルヴァースが苦笑する。
「日頃からもう少し華やかに装っていれば、彼女達がここぞとばかりに張り切るような事態も防げたのでは?」
「もうちょっと前に言ってくれないかなぁ、そういうことは」
『目覚め』た後は大幅に体型が変わっていたため、ドレス製作に当たっては身体の全ての部位を測り直さなければならず、少し前まで採寸地獄に叩き落されていたシェランである。とりあえずは解放されたが、次は仮縫いの後の合わせが待ち構えているため、あまり慰めにはならない。
皇女宮に持ち込まれたドレスの素材・色見本は軽く五百を超えた。同じ色でも素材によって色が違うとあって、凄まじい量となったのだ。部屋が二つほど埋まっている。
「一応色も意匠も決まったらしいから、もうあの訳のわかんない議論はないと思うけど」
「何だ、一段落したんじゃないですか」
「貴方の目は節穴なの? 全く落ち着いてないから」
むしろこれからが本番とばかりに皆意気込んでいる。
「当日は皆様を驚かせたいからと、我々やミルフェン公まで皇女宮への出入りを禁止されましたからねぇ。余程のものが見られると期待しておりますよ」
「やーめーてー……というか、準備期間が二ヶ月しかないとか何の拷問?」
「ですが次の花の宴だと、婚儀までの期間が少し足りないでしょう。以前の予定では成人と同時に婚儀だったから、それで社交界への臨席開始も暗黙の了解でしたが」
「予定が狂ったのは私のせいじゃないもん……」
膝を抱えてしくしく泣き出す始末である。折悪しくそこへアルトレイスが入ってきた。
「シェラン、今日は南から取り寄せた珍しい果物を……――って、イルヴァース貴様ッ!」
「激しく誤解だ……」
「そこへ直れ、表へ出ろっ!」
「姫、奴に言ってやって下さい。誤解だって」
仕方なくシェランは顔を上げた。
「アル、誤解よ。私はルヴァの意地悪じゃなくて、世の無情に泣いていたの」
「……姫、『無情』の意味、わかってます?」
危機は回避したものの、天を仰いだイルヴァースである。どうしてこの色々とズレている従兄妹の面倒を自分が見なければならないのか。
シェランは自分の髪をくるくると指に巻きつけて溜め息をついた。
「アル従兄様、今度の花の宴、来るの?」
「もちろん。我が君の晴れ舞台の一つだからな、行かないわけがないだろう」
お前は姫様の親か、とジスカールが呟いたが、アルトレイスはふんぞり返って聞かなかったふりをした。
「ちなみに今回の『花』は知ってる?」
「牡丹だろう?」
訝しげに答えたアルトレイスに、シェランは瞠目した。
「あ、把握してたんだ。興味ないかと思ってた」
「アルが貴女に関することで興味がないことがあるわけがないでしょう」
「それ、聞きようによってはすごーく危ない人に聞こえるわ……」
「何を今更。姫、アルは現在進行形でものすごく危ない生き物ですよ」
人ですらないのか、という突っ込みは入らない。そして誰も否定しなかった。シェランはこほんと咳払いした。
「……ねぇ、女官だけじゃないのよ。お祖母様もすごいし、ヴィライオルド公爵夫人もライシュタット卿夫人も、他にもたくさん来て、お母様も一緒にああでもないこうでもないって。ライ従兄様、せめてセライネのお祖母様だけでも何とかならない」
「無理です」
主君の上目遣いでの懇願をばっさり斬って捨てたライゼルトであった。
「貴女にできないことが、俺にできるはずがないでしょう。特に女性関係では」
「そこを何とか」
「無理といったら無理です。大人しく着せ替え人形になって下さい」
着せ替え人形の部分が生け贄と聞こえたのは、気のせいではないとシェランは思った。
「くっ……ち、小さい頃貴方達が女装させられてたこと、女の子達にばらすわよ!?」
「どうぞご勝手に。もう知られていますから」
「というか、もはやあれは我が国の文化ですから」
「黒歴史には違いないですが、女児に恵まれなかった家の男子は一度は通る道ですから。確か皇王陛下や皇太子殿下も経験されたことがおありのはず」
必殺技を繰り出したつもりが、全く効果がなかったことに衝撃を受けるシェランだった。というか、そんな面白い文化があったなんて知らなかった。
「何で教えてくれなかったの!?」
「積極的にお教えするようなことではありませんし、我々としても恥ずかしくないわけではないんですよ」
困ったように笑うのはセイルードである。しかしそんな楽しそうなことから仲間はずれにされていたシェランとしては、納得できない。
「私も皆の小さい頃の女装姿、見たかった……! 絵も残ってないから想像で補うしかないのに!」
「そんなものは想像しなくてよろしい!」
「今女装しろって言ってるんじゃないからいいでしょー!? むしろ今そんなことされたら色んな意味で性癖を疑うわよ! 筋肉付き過ぎてて似合わないし!」
「ちょ、姫様」
「あああもおおおっ、他人事だと思って! 一回女性の正装着てみればいいのよ! そして女の子がどれだけ努力して綺麗にしてるかをその身をもって思い知ればっ! …………そうか、そういう催しもアリよね」
愚痴がとんでもない方向へ行った。慌てて騎士達は――アルトレイスでさえ――主君を諌めにかかった。
「姫様、いくら何でもそれは……」
「視覚の暴力ですから」
「血迷うなシェラン!」
「シェラン様、お気を確かに。お茶でもどうぞ」
差し出された茶碗を受け取り、顰め面のまま一口啜って、一言。
「……でも良く考えたら、男に着られるドレスの方が可哀そうね」
「…………」
差し当たり、妙な催しを思い止まってくれたことを感謝するべきなのだろう、と青年達は内心で各々自分を慰めた。