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夜明けの後に  作者: 木之本 晶
外伝 命を運ぶもの
19/37

十 火種の在り処

 エルレイン王都ライシェマイネに、世界会議に招待された顔触れが揃ったのは、大陸共通ユリミア暦2870年十の月三十日のことであった。

 既に竜の背骨山脈の中腹付近は雪化粧をしていた。

 最後に到着したのは、言わずと知れたガルダニア国王エスライド二世である。大仰な行列を引き連れて王宮に入った彼は招待客の中で唯一の国王だった。一応礼は尽くさなくてはいけないので、アルトレイスもマルヴィリアも出迎えの列の中に並んだが、馬車から降りたエスライドが地に足をつけたと見るや身を翻した――かったのだが、一瞬遅かったようである。

「おおお、これはこれは! ラウルス王子にエリーゼ姫ではありませぬか。いや、相変わらず揃って麗しい」

 人好きのする笑顔で両腕を広げ、大股で近寄ってくる国王を無視するわけにもいかない。溜め息をついた後、向き直ったのはマルヴィリアが先だった。

「御機嫌よう、エスライド二世陛下。ご無沙汰しておりますわ」

「エリーゼ姫とは何年か前にガルダニアにいらして以来ですな。まだ独り身とは、貴女の周りの男はよほど見る目がないらしい」

「まあ、お上手ですこと」

 上品に笑ってかわすマルヴィリアとは対照的に、アルトレイスは全くの無表情で対峙した。

「…………おひさしぶりです」

 見事なまでに棒読みである。

 しかしエスライドは、たとえ挨拶に抑揚がなかろうと、視線があからさまに逸らされていようと、咎めはしなかった。この辺りがこの人物の器の大きなところだ。

「ラウルス王子には昨年……とはいってももう二年近く前になりますかな。式典でもお目にかかりましたが、ここにいらっしゃるということは、国内にお眼鏡に叶う女性がいなかったと?」

「何のことかわかりかねます」

 内実はどうあれ、名目は『国境確定のための世界会議』だ。発起人がそれを無視しているが、アルトレイスは暗に指摘するだけに留めた。今ここでやりあっても仕方がない。

「それにしても遅いお着きでしたのね」

「国元を発つ際に少々手間取りましてな。いやなに、私がいない間にザーレインに変事があっては一大事……しかし貴女と過ごせる時間を自ら減らしてしまったかと思うと、残念でなりません」

 さりげなく手を取ろうとするエスライドを、これまたさりげなく片手に扇を持ち、片手でドレスの裾を捌き直すことでかわしたマルヴィリアは、ではまた、と辞去の言葉を口にした。

「おや、再会したばかりというのに」

「今宵はエスライド陛下の歓迎の宴ですわ。女の支度は時間がかかるもの」

「では仕方がない。私のために着飾って下さるのなら、それを邪魔してはいけないね」

 ……黒髪の同胞が汚物を見るような目で目の前の王を眺めていることに気付いたマルヴィリアは、とりあえず、ここにいるのが自国の皇女ではなくて本当に良かった、と思った。



*******



 ほとんど時を同じくして、今日も今日とて執務室で書類と睨み合いをしていたシェランは、突然の来訪者を迎えていた。

「皇女殿下に置かれましては、唐突な謁見をお許し下さり御礼申し上げます。御心の広さにはいつもながら感服しきりでございます。さてわたくしがこうして参りましたのは、無論のこと御尊顔を拝し奉り御身の健やかなることをこの目で直接確かめんがためというのが第一。変わらぬ麗しさを間近に拝し、胸の震える思いにございます。第二に臣下一同吉報を心待ちにしておりますことを――」

 シェランは一つ、小さく伸びをした。

「ねえ、ルヴァ。それ、あとどのくらいかかる?」

「ちょっと待って下さい。えーと……そうそう、吉報を臣下一同打ち揃って心待ちにしておりますこと、どうか御心にお留めおきを。聞けば我が弟との仲は良好との事――……ここから忘れました」

「聞いてないから」

 長い挨拶から入ったイルヴァースは、主君の呆れ混じりの視線に胡散臭い笑みを返した。

「たまにはいいでしょう、こういう真面目なのも」

「ふざけてるようにしか見えなかったんだけど……何、新しい遊び?」

「はい」

 ここで悪びれずに頷くところが、彼の彼たる所以の一つだ。

「というのは冗談で、頼まれていたものです。はいこれ、直近十年間の竜の背骨山脈の採掘記録と、小人族との交易の品の目録」

 頬杖をついていたシェランは姿勢を正して受け取った。

「ありがとう」

「採掘記録は、十年以上前の物は保管場所が違いますので、ひとまず先にこちらをお持ちしました」

 シェランは頷いた。

「わかったわ。……これとは関係ないけど、ガルダニア側に動きは?」

「山脈を通り抜ける道は監視させています。とはいえもう季節が季節ですし、自殺志願者でもなければ冬の竜の背を越えようなんて考えないと思いますが」

 肩を竦めて見せるイルヴァースは、ふと思いついたようにシェランに手渡したばかりの紙の束に手を伸ばした。

「それにしても姫、なぜいきなり鉱石の採掘記録なんです? 金銀ならこの先百年は今の鉱脈で安定した生産が見込めますよ」

「違いますー、そんなこと心配してるんじゃありません。ちょっと思いついただけよ」

「何を?」

「秘密」

「コッソリ耳打ちして下さって良いんですよ」

「しつこい、うるさい。暇ならこれとこれ見て、後でそっちを図書館に返してきて、向こうのをお祖父様のところに持って行って」

 次々に、渡すというより投げつけたそれらをイルヴァースは難なく受け止めた。揶揄を帯びた笑みがその美貌に浮かぶ。

「兄である私にも秘密ですか?」

「……なんでかしら、今ものすごーく貴方をどこかに左遷(とば)したくなったわ……」

 ソルディースと結婚した以上、イルヴァースとは義理の兄妹になるので『兄』という呼称に間違いはないのだが、本人の口から言われると無性に腹が立つのは何故だろう。

 据わった目で言う彼女に、くわばらくわばらなどと嘯きながらイルヴァースは笑う。

「では一つだけ。今回の世界会議に関係はありますか?」

「今のところはないわ。個人的に調べたいことがあるだけ」

 きっぱりとした答えに、それ以上答える気がないことを悟ったのだろう。イルヴァースはそうですか、と呟いて、追及することを諦めたようだった。

「それはそうと、ガルダニアからの包囲網ですが」

「東は問題ないかな。南は様子見。西は……ガルダニアは海軍がないから大丈夫だろうって話になってる」

 ここでシェランは手を止めてイルヴァースを見上げた。

「で、北は?」

「それが、ちょっと不審な動きが」

 少女の柳眉が顰められる。つい先ほど冬が近いこの季節に山越えはないと言った、その舌の根も乾かぬうちに何を抜かすかと思えば――

 そんな心情が出ていたのだろう。イルヴァースは苦笑して肩を竦めた。

「違いますよ。ガルダニアではありません」



*******



 宛がわれた棟に戻ってからも、アルトレイスは機嫌が悪かった。

「もっと早くに着けただろうに。そうすれば名目上の会議などさっさと潰して帰国できたものを」

 侍従に茶を淹れさせながら襟止めを緩め、少しばかり襟元が乱れた姿で長椅子に倒れ込む。

「大体なぜ、この俺があの男の歓迎の宴になど出なくてはいけないんだ」

「あら、わたくしを一人で行かせる気なの?」

 聞き捨てならないとばかりに振り返ったマルヴィリアである。

「一応大使はわたくしですけれど、副使の貴方が欠席などして良い席ではなくてよ」

「…………時間まで寝るから、起こしてくれ」

「寝るのなら寝台に行きなさい。全く、男は準備が楽で羨ましいこと」

 侍女達を引き連れて別室へ消えていく同胞を見送って、アルトレイスは自分も踵を返した。

 纏わりつく湿気が不快だった。水霊と火霊に命じて湿度を調節させてはいるが、湿気はこの周辺の地形と気候によるものなので限界がある。

 峻険な山岳地帯の麓に抱かれるようにして広がるのがこのエルレインという国である。山から流れてくる無数の川と湿った空気がこの湿気の原因らしい。早朝の最も冷え込む時間帯には、必ずと言っていいほど霧が発生する。それも、白い闇の中に閉ざされてしまったかのように錯覚してしまうほど深い霧が。

(籠城戦では有利だな。地の利は自分達にあるから、早朝を狙って奇襲を掛ければ敵は総崩れか……)

 そしてそれを容易に予測できてしまうが故に、あまりこの国に戦を吹っかけようという国はない。戦をしてまで得るものがないこともある。放牧と農業で細々と食い繋いでいるだけ、竜の背骨山脈に接しているからと言って必ず鉱産資源に恵まれるわけではない。

 アルトレイスの眉間に深い皺が刻まれる。

(……あの変態は一体何を考えている?)

 嫁選びならわざわざこんな湿気った国に来なくとも、大使を各国に派遣して縁談を集めればいいだけの話である。単に若い娘にちやほやされたいだけかもしれないが、それにしてはかの国が暗躍させている者達の活躍が気になるところだ。それに残る王太子は優秀な(不本意だが認めざるを得ない)継嗣だが、全てを任せるには若すぎはしないか。

 どうにも腑に落ちないことが多い。

 寝台に横になっても思考は止められず、結局アルトレイスは自分がいつ眠りに落ちたのかわからなかった。彼には珍しいことである。常ならば、閣下、という侍従の控えめな呼びかけで目が覚めるだが、この時ばかりはマルヴィリアによって寝台から叩き落されるまで起きなかったのだから、その異常さは推して図るべし。

 結局、エスライド二世の歓迎を兼ねた晩餐の席には、少しばかり遅れることとなった。



 歓迎される対象が対象であったため、ささやかながら開かれた晩餐会には曲芸師も招かれていた。

 削った木の棒の先で皿を回すことのどこが面白いのかアルトレイスにはさっぱりわからなかったが、回る皿の上で馴らされたネズミが走り出すと周囲はざわついた。世情を風刺する道化師はさすがに呼ばれていない様子だ。

「しかし肝心の主催者が出てこないとは」

「あれが宰相か。あの若さで……」

「よほど国王に気に入られたと見える」

 ここに至っても出てこないエルレイン国王への非難は、そのまま主催者として場を仕切るエルレインの若き宰相アレッティ=セナ侯爵へ向けられていた。これがどうして、中々に立ち回りがうまい。比較的整った容姿に常に笑顔とあって、会場の女性の視線の約四分の一程度を集めていた。残りはもちろん大半がエスライド二世、勇気ある何人かが時折アルトレイスへ熱の篭もった視線を一瞬向けては逸らす、といった具合だ。

 マルヴィリアが心配そうに空の玉座を見上げた。

「もしや、クスタヴィ陛下はご病気で出てこられないのかしら」

「仮に病気だとしても十中八九風邪だろう。なるほど、あの薄ら笑いの若造がエルレインの実権を握っているわけか」

「若造って……貴方よりも年上よ」

「伯父上よりも俺と近いだろう」

 マルヴィリアはこれ見よがしに溜め息をついた。

「わたくし達もここでずっと座っているわけにはいかないわ。エスライド陛下にご挨拶しなければ」

 渋るアルトレイスを無理矢理引っ張り出し、ヴィーフィルド皇族二人は上座へ向かった。とはいっても席次が近くだったのでそう移動距離があったわけではない。少なくとも末端の侯爵国からの使者のように、大広間の端から端へ移動するような事態にはなり得なかった。

 こんばんは、と声をかけると、エスライド二世は待っていたように振り向いて満面の笑みを浮かべた。

「おお、エリーゼ姫か。アルモリック卿も」

「ご挨拶に参りましたわ」

 表面だけでもにこやかに取り繕うマルヴィリアの横で、アルトレイスは眉一つ動かさず彫像でも見るような目をしていた。率直に言って、死んだばかりの魚の目の方がまだ生気があるだろう。

「遅ればせながら皇女殿下のご成婚、お祝い申し上げる。ささ、酌を(つかまつ)ろう」

「いえ、結構ですわ」

「遠慮なさらず。皇女殿下にあやかって、我々も早く身を固めましょうぞ」

 お前と一緒にするな。

 ……の、「お」まで発音しかけたアルトレイスだが、さりげなくマルヴィリアに背中を抓られ、そちらの痛みに気を取られ空気と共に言葉を飲み込んだ。

「お気持ちだけで結構ですわ。エスライド陛下が良い王妃を得られること、我々も願っております」

「貴女が我が王妃となって下されば、その願いもすぐに叶うのだがね」

 洒落にならない。この男にヴィーフィルド皇位継承権など渡せるものか。

「まぁご冗談ばかり」

「冗談などではないよ。こちらも貴女方に王女を差し上げたのだからね。いずれ相応の見返りがあるものと期待していますよ」

 す、とアルトレイスの双眸が開いた。青金石と称えられる目に光が戻る。

 締まりのない笑顔を曝すガルダニア国王だが、その実全く隙がない。へらりとした表情の中で、目には猛禽のような鋭い光が宿っていた。

(――当然か。こやつが手持ちの中でも数少ない『正統の王女』を手放して、何も要求しないわけがない)

 むしろ、よく二年以上も我慢が続いたと褒めてやらねばなるまい。

「……さて。かの姫は自らの意思でミルフェンに嫁がれたと記憶しておりますが」

 横合いから口を挟んだアルトレイスの無礼を咎めることなく、エスライドは上機嫌で応じた。

「ええ、ええ。何せ亡き尊敬する兄上のたった一人の忘れ形見ですからな。幸せな結婚をしてくれたようで、私も胸を撫で下ろしたものです」

 よく言ったものである。華やかな社交界で駆け引きなど慣れたものだが、これほどどこをどう切っても嘘にしか聞こえない台詞は久々に聞いた。

「時にルイセルーエは元気にしておりますかな? 先の婚礼の宴では見かけなかったとエリアスが申しておりましたものですから」

 もちろんミルフェン公爵夫妻は婚礼の祝宴に出席していたが、公爵夫人ルイセルーエにしてみれば仇敵にそうそう会いたいはずもない。皇女夫妻に挨拶をした後、最低限の挨拶回りだけ済ませて退出したのだ。それも皇女自身の勧めで。

「さあ、私は特にミルフェンの方々とは親交はありませんが。ですが時折、皇女殿下の近辺でお見かけする限り、お健やか且つ楽しそうにお過ごしでした」

 エスライドは大きく頷いた。

「それは重畳。アルモリック卿、こちらの葡萄酒はいかがか」

「不味いので結構。その瓶はエルレインのものではありませんね。貴国からお持ちになったものか。道理で不味いはずだ」

 ――エスライド二世を中心とした、アルトレイスの声が届く範囲のざわめきが、一瞬止まった。

 アルトレイスは男性にはあるまじき嫣然とした微笑を浮かべ、近くにいた侍従から酒瓶を一本、取り上げた。

「酒ならばこちらをどうぞ。我がヴィシュアールで醸造した蜂蜜酒です」

 さすがに信じられないものを見る目――不審に思っていることをありありと表した眼差しに、アルトレイスはさらに言葉を重ねた。

「毒など入れておりませんよ。ご心配ならそこの侍従にでも毒見させればよろしいでしょう」

「――……いや、頂こう」

 多少間はあったものの、豪胆な王だとマルヴィリアは内心で感心した。どうしようもない人物ではあるが、同時にこういうところで人望を集めているのかもしれない。

 一気に呷るのではなく、一口を実に美味そうに飲み下す。殊更に度胸を示すような飲み方をしないのも王族たる所以か。

「美味ですな」

「当然」

 ここで素直にありがとうございますと言わないのがアルトレイスという男である。

「しかしヴィシュアールでは、酒は造っていなかったはずでは」

「昨年から私の直轄領で取り組み始めましてね。流通に乗るのは来年からになるでしょう。お国へはミルフェンを通じて……そうですね、来年の春頃。雪解けの時分に届くのではないですか」

「……なるほど。楽しみにしておきましょう。ちなみにお手持ちはそれだけ?」

 アルトレイスの目がきらりと光った。

「いいえ。お気に召されたのなら後ほどお届けします」

「是非お願いする」

 外聞も何もなくエスライドは軽く頭を下げた。よほど気に入ったらしい。

 しかし上げた顔は、少し困ったような表情をしていた。

「ですがそうなりますと、またミルフェンと調整が必要なのでは?」

「それが何か」

「いいえ……いや、単なる噂話なのですが。ミルフェン公と皇女殿下は非常に親しくしておられるとは有名な話ですが、ミルフェンの貴族議会の中にはそれを『ヴィーフィルドに尻尾を振っている』と快く思っていない者もいると聞きましてな」

 ありえない話ではない。元々ミルフェンがガルダニア王女の降嫁を受け入れたのも、ヴィーフィルドの支配を逃れ独立したいという貴族議会の思惑があったからだ。標高の高い山々を挟むガルダニアからの目ならば、幾分誤魔化しが利くと踏んだのだろう。

「余計なお節介かもしれませぬが……不満は些細なことで芽吹き、育ち、花開くもの」

 アルトレイスもマルヴィリアも、黙って聞いていた。それに気を良くしたのか、エスライドは硝子杯に透けて黄金の輝きを放つ蜂蜜酒を一舐めしてにやりと笑った。

「果たして、彼らの忠義は本物ですかな」

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