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夜明けの後に  作者: 木之本 晶
外伝 命を運ぶもの
16/37

七 委ねられるもの

R15の限界に挑戦してみる(笑)。

 ――さすがに、これはまずい。

 新婚五日目にして、シェランは危機的状況に陥っていた。



 夫――こう呼ぶのは少し恥ずかしいが――となったソルディースのことは、好きだ。愛しているという感覚はまだよくわからないけれど、彼のいない未来はもう考えられないくらいには、好きだ。その好きな相手と深く抱き合うことに否やはない。しかしである。

 いくら新婚だからといって、婚儀の翌日から丸々三日をほとんど寝台の上で過ごすというのは、どうなのだろう。しかも、その三日間における昼夜の境目は――ついでに記憶も――ひどく曖昧だ。

 沈んでいた意識が浮上していくのがわかる。記憶にあるより重いように感じる腕を、探るように動かした。

 夫に口には出せないようなあれこれをされて、無理に目覚めさせられていた前回までとは違い、体が回復したことによる目覚めらしい。

「ん……今、いつだっけ……」

 天蓋から下がる垂れ幕を掻き分けようと身を起こしかけて――後ろから腰を攫われて引き戻される。

「いつでもいいだろう?」

 首なのか耳裏なのか、今一つ判別の付きかねるところに口づけるように囁かれ、さらには体を撫で回してくる手に不穏なものを――というより、不穏なものしか感じない。

「お、起きてたの?」

「お前が起きたから。……体は?」

「大丈夫だけど大丈夫じゃない。もうだめ。執務もあるし、ちゃんと起きようよ」

 胸元に這い上がりそうになった手を抑えて肩越しに訴えるが、ソルディースは喉の奥で低く笑うだけだった。

「何度言えばわかるんだ? 一週間は大丈夫だから。そういう慣習なのだし。聞いていないのか」

「聞いたよ。でも……っ」

「むしろ三日かそこらで表に出てみろ。不仲を疑われて篭もる期間が一週間増えるぞ。僕は構わないし、むしろ歓迎するが」

 ……と言いくるめられたのが三日目の昼のことだった、らしい。時間の感覚が狂ってしまっていたので、シェランは正直よくわかっていなかった。その後も当然のように貪られ、気絶するように眠り、起きれば動けない身をいいようにされ――と、大人の階段というものを一気に駆け上がってしまった気しかしない。

 だから、五日目の午後にこうなるのも仕方が無い。

「ね……も、お願い、ほんとにだめ……」

 優しく苛んでくる腕から、シェランは必死で逃れる。まともに起き上がれない彼女を、ソルディースは楽しげに追い詰める。

「動けるなら大丈夫だろう? お前ときたら嘘ばかりだ。体力ももう少しつけような」

「なんでそうなるのっ!?」

 そうして――現在。ようやく今が夜だと、何となく時間帯を把握することを許されたシェランは、文字通り虫の息だった。妻がそんな状況だというのに、もっと動いているはずの夫はまだ非常に生き生きとしていて、ぐったりとした妻の世話に余念が無い。

 これは、だめだ。何というか、生物として。

「うごけないんですけど……」

「動けないようにしたからな。もう夜だから、今日は休もう」

 蕩けるような甘い眼差しで、本当は足りないがと付け加えてくるのが余計だ。シェランはもう限界を超えている。誰も結婚で生命の危機を感じるような事態になるとは教えてくれなかった。今からでも自己防衛策を練らなければと頭の片隅で考えながらも、睡魔を追い払うには彼女は疲労し過ぎていた。



*******



 慣例通りきっちり一週間の休暇を取った皇女夫妻――内一名にとって休暇だったかは疑問である――が再び公務に携わるようになる頃には、朝夕が冷え込むようになっていた。そのためか若干新婚夫婦の朝は遅いが、今のところ始業時間は守られている。

「始業時間守れてればいいってものでもないのですがね」

「まあ、新婚ですからねぇ」

 周囲からの生温い目に耐え切れなくなったのは、もちろんシェランが先である。しかしソルディースにとって幸いなことに、新婚早々寝室を分けると宣言される前に、泊まりがけの視察が入った。

 皇国南方、アルトレイスの生家であるヴィシュアール公爵領へ、軍事演習の見学も兼ねての日程である。ここ数年、実質の領政を取り仕切っているのは成人を迎えたアルトレイスだが、彼はもうすぐエルレインへ旅立たねばならない。現ヴィシュアール公爵ルーネイスは、宰相職を辞した父ロイセイルの代わりに、皇城へ引っ張られては皇王の愚痴に付き合わされている――といった現状があり、元々ソルディース自身も皇国北方出身なので、これを機に南側と縁を深める目的があった。

「で、何故我々まで?」

 うんざりだというように疑問を口にしたのは、サリアネス侯爵嫡孫にして聖騎士位を持つ近衛小隊長、ルジェット卿ジスカールである。

「何故も何も、そこに書いてある通りだ。近衛の一隊を率いて、大公殿下の警護に当たれ」

 にべもなく返したのは、彼の祖父でもあるサリアネス侯爵ジークベルトだった。だが近衛騎士を統括する騎士団長としてのこの人は、非常に公私の線引きが厳しい。孫と祖父などという関係は全く持ち込ませず、近衛騎士団長の執務室にいるのは、ただの上司と部下だった。

「若輩の自分には務まらぬと存じます」

「経験を積む意味もある。以前個人的にアルモリック卿に招聘されたこともあるゆえの人選だ」

 あれは招聘とは言わないとジスカールは思った。単なる人攫いだ。

「というか、大公殿下に警護など必要ないと思われますが……」

 皇室の継嗣である皇女との婚姻に伴い、ソルディースの称号は変化していた。現在の彼は一般的にはヴィレット一等公爵(継嗣が女性、かつまだ立太子されていない場合に発令される臨時公爵位)、尊称は無論『殿下』である。結婚前に保持していた爵位は幾つかヴィライオルド公爵家預かりという形で統治権を放棄したものもあるが、大方はそのまま引き継いでいた。もちろん近衛騎士団は退団している。

 それはともかく、聖騎士かつ生粋のヴィーフィルド皇族であるソルディースに、警護が必要か否かと問われれば、百人中百人が不要だと答えるであろうことは事実である。

 サリアネス侯爵は、机を指先で叩きながら答えた。

「面目の問題だ」

 ここで言う面目とは、皇室ではなく近衛騎士団のそれである。皇族本人よりも、臣下筋からその伴侶となった人の警護の方が主となっているのは、皆わかっているが指摘してはいけないと設立以来の暗黙の了解だ。最近では少々出奔癖がある上、今一つ自衛に不安があるということで、皇女に対し護衛兼見張りをしろと皇太子より直々の命が下り、密かに「やっとちゃんとした近衛っぽい任務が!」と一部の騎士が沸いた。

「ですが自分は、休暇を申請したばかりです。受理もされております」

 皇女の婚礼に伴い、皇都の治安維持に他国の要人警護と、近衛騎士団はかなり()き使われていた。今は順々に休暇を取っている状態で、宿舎内は微妙に閑散としている。

「休暇申請の受理は取り消した。心置きなく出張して来い」

「はあっ!?」

「ちなみにお前が出張している間は、サリエラは一時的に皇女宮で女官として復帰するそうだ。もう屋敷にはいないのではないか」

 夏の終わりに挙式した元皇女宮付き女官、元クロワール侯爵令嬢にして現在はルジェット卿夫人と呼ばれるようになった彼女は、まだ夫への愛情よりも皇女への敬慕の念の方が強い。結婚を承諾した理由が「皇女殿下の幼馴染が相手だったから」ということからもそれは容易に窺える。

 それでも最近は大分こう……打ち解けてくれたと思っていたのだが、現実というものは冷たい何かでできているらしい。

「では皇女殿下は、今回の視察には同行されないので?」

「皇女殿下は皇女殿下でまた別のご予定がある」

 主に書類仕事だが。皇城の外に出すとまた何をやらかすかわかったものではない、と首脳陣の見解は一致しているし、実務経験から鑑みても外へ学びに出すより中で勉強させる方が先である。

「しかし納得がいきません。何も休暇を申請していた自分でなくとも、当直の者だけで足りるのではありませんか」

「南の近隣国の動向を探る目的もある。諜報も兼ねた護衛任務なら、お前かディスフォルク卿かの二択だ」

 何か自分達の知らないところで都合の良い駒な扱いを受けている、とジスカールは冷や汗が伝うのを感じた。皇女殿下が帰還なさってよりこちら、面倒事を押し付けられてばかりいる気がする。

「お待ち下さい! 我が騎士団内がそれほど人材不足なわけが――」

「諜報か護衛か、どちらかに特化した者なら腐るほどいるが、両方をそれなりにこなせて、且つ小隊規模の指揮も執れるとなると、階級と経験と実力を鑑みてお前達しかおらんのだ。オルソールの倅はあの通りの剣術馬鹿だし、他に人を探すとなるともう少し階級を上げねばならん。今回は隠密の任務と心得よ」

 つまり、誰それが皇都を離れた、という情報だけでも漏れることは避けたいと上層部は考えているらしい。小回りが利く小隊の指揮官を務めて違和感が無い下士官であるのが、自分と同輩兼幼馴染だけとは正直情けない。

「それに畏れ多くも大公殿下とは同輩であった仲だろう。なればこそだ」

「寵愛人事と言われそうな気がするのですが」

「言わせたい者には言わせておけ。――話は以上だ、下がれ」



*******



 何故、自分は愛しい妻と離れてまでこの小舅といなければならないのだろうか、とソルディースは何度目になるかわからない問いを心の奥底に無理矢理沈めた。

「何を考えているのかは大体予測がつくぞ、ソール。俺も同じだ」

 視線は眼下の演習風景に据えたままで、アルトレイスは面倒くさそうに言った。

「だが、あの変態は一度黙らせておきたいからな」

「気持ちはわかるが、どうしてこの時期なんだ……」

 離れて三日も経っていないが、妻が不足している。結婚前は長くて一ヶ月くらい会わないこともあったが、今は何故それに耐えられたのかが全く思い出せない。

「それについては同意する。親子揃って陰湿な手口にはいっそ拍手だな」

 吐き捨てたアルトレイスである。ちょうどそのとき、演習の終わりを告げる(かね)が響いた。仏頂面が怜悧なものに切り替わる。

「ところで、どうだ。北のと比べて」

 ソルディースは、こちらも苦いばかりだった表情を引き締めた。

 彼ら二人の目の前で行われていたのは、ヴィシュアール公爵家所属の戦力と、駐在するロンディネル騎士団との合同軍事演習だ。

「予想はしていたし資料も見ていたが、だいぶ勝手が違う。ヴィライオルドは山間部が多いから地形を利用した戦法が多いが、こちらでは実際に衝突する時に使える策が限られる」

「その分、事前の根回しと撹乱が重要になってくる――南側(こちら)は平原が多いからな。回り込んで挟み撃ちするにしても、かなり遠回りしなければならない」

「士気の高さも重要な鍵になるだろう? 工夫の余地があるとしたら陣形か?」

「敵陣に工作員を紛れ込ませるのも手だ。ただし、よほど冷静に流れを読める者でなければ逆効果だぞ。俺は実戦でやったことはないが」

 実戦に至る前にその芽を潰しているだけだろう、との指摘を、ソルディースはしなかった。わかりきっていることだからだ。

「本当にサン=スースは動くと思うか」

 アルトレイスは肩を竦める。

「さて。だがサン=スースが実際に動いたとしても、こちらで動くのはヴィランド公とジェラルド騎士団だ。仮にオルトニアが絡んでいたとしても、こちらまで波及するようなことにはならないと思う」

「警戒すべきはケレリスとアゼリアか」

「それもどうかな。大体ガルダニアについたとしても、見返りが無い」

 かの国は金欠が過ぎて傭兵を雇うことはおろか、国内の正規軍の兵士にさえ十分な給与が支払われているかも怪しいとの噂があるのだ。それでもどうにか国家としての体面を繋いでいられるのは、ひとえに豊富な鉱産資源の賜物である。国内でその状態だというのに、他国に融通してやれるものがあるのかというのは大いに疑問だ。

 アルトレイスは指を折って数え始めた。

「ガルダニアに金はない、これは事実だ。宝飾類は今は我が国の物の方が質が良く価格は安い」

 宝飾品については、決してヴィーフィルドが安売りしているわけではなく、ガルダニア産のものが粗悪な質の割りに値段を吊り上げていると不評なだけである。細工に関しても技術的な差があるので、大人しく原材料を輸出するだけにすればいいものを、と各国が思っていることは間違いない。

「他にこれといった特産物はなし。農作物は輸出してはいるが申し訳程度、それも竜の背骨山脈を越えるから輸送費が馬鹿高くなって、結局は北の異民族や異種族相手の細々とした交易くらいでしか需要が無い」

 並べてみると、見事なまでに無い無い尽くしである。

「臨時収入として当てにしていた我が国とデルフィニアの戦も見込みがなくなった。武具としての鉄の需要は右肩下がりだ」

 その上、全裸で全身に金箔を張るのが趣味と豪語する変態を王として立てていなければならないのだ。ガルダニア首脳陣の苦労と苦悩の程が偲ばれる。

「とはいえ何か隠していた切り札を出してくる可能性は否定できない。ミルフェンの時のようにな」

 ああ、とソルディースも頷く。

 エスライド二世は放蕩の結果、子沢山だ。認知され王宮で暮らしている子供だけで既に二十人を越えていると聞く。王太子エリアス以外は庶子であるため王子・王女の称号も待遇も与えられないが、何らかの継承権や爵位を付与すれば、十分政略の駒になる。ルイセルーエのようにガルダニア王位継承権は無いが、小国にとっては魅力的だろう。

「むしろ自分の正妃選びよりもそちらの方が狙いとか」

「ありえるな。いずれにせよ、正妃選びがエルレイン旅行の言い訳なことは間違いない。後は俺とマリアで探って随時情報を送る」

「それと、カールの報告待ちか。……時間がかかりそうだな。一旦リーヴェルレーヴに帰っていいか」

 かなり切実に妻が恋しい大公殿下であった。新婚一ヶ月では当然かもしれない。

 だが小舅は甘くない。はん、と鼻で嗤った。

「そんな余裕があると思うか。他にも山ほど引継ぎを用意している。眠れると思うなよ」

 最後の一言がこの男の底意地の悪さを物語っている。爵位継承でもあるまいし、一時的に、それも秘密裏に権限を預かるだけで、何故それほど予定が詰まるのか。

「しつこいぞ、お前……。婚儀の前にもあれだけ嫌がらせしておいて、まだ足りないのか」

「何の話だ」

「忘れたとは言わせない。海王蛇(リヴァイアサン)の死体を丸ごと送り付けてきただろう。保管状態が悪くて結局半分も鱗を取れなかったし、せいぜいが妖魔討伐のための餌にしか使えなかったぞ」

「役に立ったならいいじゃないか」

「他にも羽化直前の土蠅(つちばえ)の蛹をばらまいたり。良く集めたな、あれだけの数」

「お前の使役の炎鷹(レ二ファレク)の小腹満たしにでもどうかと思ってな」

「いらん。それといい加減、笑い茸を普通の茸に紛れさせて出荷させるのはやめろ。地味に皇都で被害が出ている。近衛騎士団所属の軍医や町医者達が疲労気味だと報告が来て、シェランが心配して自分が出ると言い出しかねない雰囲気だ」

 舌打ちが聞こえた。

「…………わかった」

 婿いびりならいくらでも楽しめるが、従妹に被害が(実害が無くとも)及びそうになっているなら自重せねばならない。

「……俺がいない間、あの子を城から出すなよ」

「言われるまでもない。どちらにしろヴィシュアールは空けて餌になるか様子見だし、シェランの公務も詰まっている」

 青金石の煌きと、緑柱石の輝きが交差する。強い光を互いのそれの中に認め合って、二人は同時に視線を外した。

 それ以上、彼等が言葉を交わす必要は無かった。



 ヴィシュアール公子にしてジュディアス二等侯爵、アルモリック卿アルトレイス=ラウルスが、クライネルト公女ラフィネール卿マルヴィリア=エリーゼと共にエルレイン王国へ旅立ったのは、この七日後のことである。

 やっと次回から事態が動きます。


 今回のテーマは……とか宣言したらやるやる詐欺になりそうなので、「お察し下さい」で逃げます。コンセプトは活動報告の通りですが。

 でも作者的には今回の番外編、一番かっこいいのはアル(え)かもしれない。相手いないけど、多分これから奴が最も生き生きしていく。

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