3.暗転
「レム君、事情が変わった。そこまでにしろ」
俺の横でガルの声がした。
でも俺はやめない。やめるつもりが無いからだ。
「なんで今更? こいつを殺せと命じたのはガル先輩でしょうが!」
「殺せと言った記憶は無いな。ついでだがバライトを相手にしろとも言ってない」
……確かに言ってない。
「ずるいッスね」
「ああずるい。成熟した大人の駆け引きだと思ってくれ。もっとも、そのつもりはこれっぽちも無かったけどよ。無意識のなせる技だ」
普段から小技ばかりを使ってると、こういう大人になってしまうという見本である。
「で、なんでやめなきゃなんないんです?」
何度も言うが、俺はっ、殴るのをっ、やめないっ。
「だから言ったろ。事情が変わったってな」
「どんな事情なんです?」
ガルはお座りをしていた。
めんどくさそうに、後ろ足で顎の下を掻いている。
「デニス嬢ちゃんが、おめぇを人殺しにしたくないってさ」
「人殺し?」
一拍、拳を出すのが遅れた。
「要塞攻略を何度もやってきたのによ、ありゃ嬢ちゃんの中では人殺しじゃねぇみたいだぜ。んでもって、お前に殺人者になって欲しくないと来た。解るかい?」
ガルの目が、今まで見たことも無い色に変わっていた。ガルらしくない優しい目だ。静かな目だ。まるで親が子供を諭す時の目みたいだ。
「解りませんね。意識してませんでしたが、俺はきっと人を殺してますよ」
またガンガン殴り出す。
「客観的に言って、レム君は人を殺したろうさ。誰がなんと言っても人を殺したことに変わりはねぇ。でもよ――」
ガルは俺から目を反らした。
「お前は人殺しか? ってことだ」
人殺しか?
「お前は、人を殺せるか? 意識して殺人を犯せるか? それ以前に、まだ殺人を罪と認識しているかい? そもそも一人の人間が死ぬって事はどういう事だ?」
殺人。人を殺す。
それは、その人の今までの時間を無に帰すこと。
親や兄弟や家族や子供達や友人から、被害者を奪うという事。
俺はそれを知っている。いや、知っていた。
俺の拳は止まっていた。
「レム君、お前をデニス嬢ちゃんが心配している。お前は一人じゃ無い。ほら、見て見な――」
ガルが鼻先だけで後ろを指した。
デニスは……馬に乗った聖騎士達に囲まれてピンチになっていた。
「ちょ! 先輩! デニス嬢ちゃんのガードはどーしたんっすか!」
「ぎゃーっ!」
今期一番のビックリ顔。目が飛び出すとか、口が裂けるまで開くとか、長い舌がギザギザになってるとか、ガルは、およそ考えられる全てのビックリ表現を体現してくれていた。
魔族をクビになっても、この芸だけでメシを食っていけそうだ。
いやいや、それどころじゃない! バライトどころでも無い。俺は馬乗り状態から跳ね上がり……。
「動くな! 動くとお嬢ちゃんが死ぬわよ!」
口から血を流したドラゴンに、デニス嬢ちゃんが人質に取られていた。
これは動くに動けない!
聖騎士の持つ槍の穂先が、デニス嬢ちゃんの背中を突いている。
「デニス嬢ちゃん! いまオイラが楽にしてやるぞー!」
「殺しちゃダメですって! 瞬間移動くらいできないと! あの間合いと人数です。それでもタイミングを合わせないと救出不可能ですよ。瞬間移動なんてできないけど!」
「瞬間移動かっ! おい、レム君、てめぇヤケに冴えてるじゃねぇか!」
「先に先輩が見苦しいほど狼狽えられたんで、逆にこっちは冷めてしまったんです!」
「これがいわゆる結果オーライか!」
いや、違ってるけど。時間がないので突っ込みは控えておく。
聖騎士はグルグルと嬢ちゃんの周囲を回りながら、微妙な操作で馬を操っている。
移動先には門が一つ。聖教会だから嫌みにも白い門だ。
この広場から外へ連れ出そうとしているのか?
ええーい! めんどうだ!
「ドラゴンこらぁー! こっちはこっちで人質がいるんだぞコラー! デニス離せやコラー!」
俺はバライトの背後から腕を回し、裸締めにした。……ゴーレム体質のバライト相手に無意味だが、逃げ出し防止である。
「でかしたっ! 人質とるたぁ、オイラ以上の汚さだ!」
ガルが最大級の賛辞を送ってくれた。
これでイーブン! まだまだ戦えるぜ!
「サリアー!」
絞め技をキメられたままバライトが叫んだ。
「そのまま逃げるんだ! 君だけでも逃げてくれ!」
むっ! 悔しいが、なかなかに男らしいぞ。
「バライト! 私が助けてあげる。だから希望を捨ててはいけない!」
損傷した体を引きずりながら、ドラゴンが移動を始めた。
動くなと言われているが、俺たちもバライトを引きずり、間合いを取りながらジリジリと移動を開始した。
二者間の距離は一定のまま。空に黒雲が広がり、広場から日の光が消えた。
いやが上にも雰囲気が盛り上がっていく。
「どのみち私は時間切れだ。見ろ!」
バライトが右腕を上げた。
何を見せたいのか……あ!
腕から湯気のようにして光の粒が湧き上がっていた。消えようとしているのか、寿命が尽きたということか。
「まだよバライト! まだ諦めてはいけない!」
ドラゴンは気づいてないが、状況はこちらに不利となっている。
バライトを人質に取ってるが、こいつが消えてしまえばヒステリーになった雌ドラゴンのことである。腹いせにデニスを殺して自分も死ぬとか言いかねない。
「たしかにタイミングが問題だな……」
ガルがブツブツと何か言っている。
聖騎士の輪が、もう少しで広場の出口に達する。白い大きな扉に聖騎士の一人が手をかけた。
これは困った! 万事休すか?
と、その時!
白い扉が蝶番ごとこちら側に吹き飛んだ! ドアマン役の聖騎士ごと吹き飛んだ!
白い門から黒い塊が飛び出してくる。
「ブォフィフィヒイィィィーン!」
濡れたように艶やかな漆黒のボディ。風にたなびく長い銀のたてがみ。一睨みで千人は殺せる狂気の目。背中には、嬢ちゃんのパンツを含む荷物を満載!
「「黒皇先生!」」
勢いよく広場に飛び出した黒皇先生。そのまま突っ走る!
いや、ちょっと待って!
いかに先生が優れていても所詮は馬。キュウヨウからの距離をこの短時間で駆け抜けたっていうの?
おかしいでしょ?
パニクっている俺を尻目にもかけず、黒皇先生は突っ走る。
そして聖騎士が操る騎馬の前で、竿立ちとなって吠えられた。
「バルボボボボーフ!」
『死にたい馬、一歩前へ!』
注)ガル先輩による超訳。
そして先生は、同族の馬どもをその鋭い目で睨みつけられた。
聖騎士を乗せた歴戦の戦馬達がピタリと足を止める。
騎手が声をかけれど、叩けど、蹴れど、馬達は微動だにしなかった。
先生は前足を高く上げ、石畳を踏み抜かれた。蹄を中心に円形に陥没する石畳。
「バフォッ!」
『この場より立ち去れぃ!』
注)ガルの超同時通訳。
聖騎士を乗せた馬達は、一斉に回れ右。
聖騎士達の怒声を乗せたまま、広場の反対方向へと全速で駆けていった。
「えーと……」
「空間移動で突っ込んでも同じ事だったが……これで逆転だな!」
あまりの成り行きに呆然としていた俺。その俺をよそに、状況に順応するガルであった。
「バフバフバフ!」
黒皇先生の息が荒い。大変お疲れの模様である。
それでもデニス嬢ちゃんとジムの元へ駆けつけてくれた。嬢ちゃん達に熱い視線をくれた後、俺たちを屑を見るかのような目でお睨みになられている。
もんのすげープレッシャーの元、俺たちは改めてドラゴンと対峙した。
「おいドラゴン!」
ドラゴンは膝立ちになっていた。口をあんぐりと開けていた。……気持ちは理解できる。
「もはやこれまでだ。温和しくしろ。俺たちゃあんたの命まで奪う気はない。バライトの最後も近づいている。一緒にいてやればどうだ?」
バライトを殺す。なんやかんやでタイミングを外され、もうその気は失せていた。
「サリア……やれ」
バライトが何か言った。
ドラゴンが軽く頷いた。
何をする気だと様子をうかがっていたら、急激にドラゴンの力が膨れあがった。
なんかイカン!
俺はバライトを放り投げ、ドラゴンに飛びかかるため腰のバネを溜めた。
それをガルが止めた。
「レム君、手遅れだ! 止めろ、毒竜さん! 魔王が顕現するぞ!」
え? 魔王さんってホントにいるの?
ガルの制止を無視したドラゴン。口に光の粒子が集まっていく。
「あれは毒竜さんの必殺広域自爆技、アルティメット・バーストだ。この辺り一帯が毒竜さんごと吹き飛ぶぞ! 俺はデニス嬢ちゃんのカバーに入る。レム君は自力で耐えてくれ!」
え? なに? 必殺技?
口に溢れた光は、やがてドラゴンの首に――。
『やめろサリア』
……あれ? どこからか声がした? どこの誰だ?
ドラゴンもびっくりして集中が解けたのだろう。アルティメット・バーストの光が弱まった。
キョロキョロと声の主を捜して……上空を見上げた。
つられて俺も見上げる。
上空から……巨大なドクロが俺たちを見下ろしていた。
俺はドクロを見上げながら脇にいるであろうガルに問うてみる。
「えーと……、先輩のユニークスキルですか?」
「ちげーよ」
ガルの返事が変に短い。
そういや、魔王ってワードがさっきから出てたよな?
「えーと……、魔王さんですか?」
「いや。ありゃ神の方だ」
ガルが口をポカンと開けていた。
「神……魔神……ですか? いや、いやいやいや、ちょっと待ってちょっと待って! 前振りは魔王だったんじゃ……」
ガルの目に怯えの色が走り、目の上の眉っぽい黒い毛に角度が付く。尻尾の毛がパンパンに膨らんでいる。
「ずらかる用意をしろ!」
ガル先輩の真剣な顔を見たのはこれが初めてだった。




