12.崩壊と再生
おそるおそる、デニスはラフィーロと名乗る少女に声をかける。
「あ、あのラフィーロさん――」
「ケヒャーッ」
布を力任せに切り裂いたような声が遠くで上がる。
墜落したジンが復活した。えらい勢いで飛び上がる。
「あの鳥型魔獣はボクに任せて!」
勇ましくもラフィーロは、ガルーダのジョーに合図を送る。
大きく翼を広げたジョーは、羽ばたく事無くふわりと空中に浮かんだ。
そしてラフィーロを足の爪で掴み、空気抵抗を一切無視し、複雑な軌道を描いて空高くへ飛び上がった。一瞬で。
上空で一端停止。……と思われたのは実は残像。
すでに離れたエリアで攻撃態勢に入るジンをジョーが貫いていた。
後から甲高い爆音が聞こえてくる。
ジンが空中で爆散していた。
ガルが定位置に戻って、バライトを見上げる。ロック鳥を気にしながら。
これで振り出しに戻った。
「バライトさん、逆転しましたね。さあ、リデェリアルの人たちに、世界中の人たちに謝ってください! そうすれば命を取ろうとまでは言いません!」
デニスは言葉でバライトに詰め寄った。
「……手駒が無い……か? まだサリアがいるさ」
バライト教皇は軽く手すりに腕を預け、薄く笑う。
広場を取り巻く回廊の影で、デニスの刑を見に来たはずの信者達が、首を伸ばして顔を覗かせていた。彼ら老若男女は、テラスのバライト教皇とデニスを見上げている。
バガンッ!
大きな音と震動。大聖堂の壁が飛び散る。
ちょうどデニスがいるテラスとバライトがいるテラスの真ん中が抜かれた。
スイートアリッサムの黒い背中が飛び出し、密着した形でレムが飛び出してきた。
「キャーッ!」
激しい振動にデニスが足を取られ、テラスから落ちかけた。
「姉ちゃん!」
すんでの所でジムがデニスの腕をとる。
バラバラと音を立てて、瓦礫が広場に落ちていく。
広場に、二つの巨体がもつれ合って転がっている。
首を伸ばしていた信者達はすぐさま首を引っ込めた。
素早く起き上がったレムが、スイートアリッサムに馬乗りになる。
「クルギィーッ!」
スイートアリッサムは苦しそうな声を上げた。
「サリア!」
手すりから身を乗り出して、スイートアリッサムに声をかけた。
バライト教皇が初めて顔を歪ませる。
「魔獣使いめ! サリアから巨神をどかせろ!」
バライト教皇が怒りも露わに怒鳴りつける。
回廊から見上げる群衆は、固唾をのんだ。
なぜバライト教皇が黒いドラゴンを庇うのか?
魔獣ですら哀れみをかけるのか?
いや、教皇は我らを裏切り魔獣と契約をしたのだ。
大聖堂から逃げ出してきた聖職者達が、声高くバライトを非難している。
人々は、教皇の一挙手一投足を見守った。
スイートアリッサムの体に刺さった三本の矢から、赤い血が流れていた。
その惨状に顔を歪めるデニスだが、ここを外すわけにはいかない。死んでいった同胞のため、一時の感情をねじ伏せた。
「初めて感情を見せてくれたわね」
バライト教皇はデニスを睨み付けた。
デニスは怯まない。
「サリアさんは大切な人なんでしょう? どう? 大事な人が苦しんでいるところを見て? それに手が届かない自分をどう思う?」
バライト教皇の目が、力を失う。きりっとした眉が情けない角度に下がる。
敗者の顔だ。
「勝負はあったわ。謝りなさい! バライト教皇! そうすれば二人とも助けてあげる!」
最後通牒とばかり、デニスが取引を持ち出した。
バライト教皇は――
「……詫びれば、助けてくれるのか?」
――落ちた。
デニスは勝利を確信した。
「助けてあげる。さあ、早く謝りなさい!」
「ああ……」
バライト教皇は、乱れた髪を片手でかき上げた。
デニスの肩に力が入る。
「リデェリアルの少女よ……謝罪を……」
お父さん、お母さん、お爺ちゃん、これで良いのよね?
「謝罪を拒否する」
「え?」
デニスは我が耳を疑った。
「私はサリアを助ける」
静かにバライトは、そう宣言した。
「この状況で、ど、どうやって?」
今度はデニスが狼狽えた。
バライト教皇の左手が懐に隠れた。
次に現れた時、虹色のオニキスを握っていた。
右手にはいつの間にか大ぶりのナイフが握られていた。
そして手すりの上に飛び乗った。
「いわゆる命をかけて……だろうね?」
バライト教皇が手にしたナイフを自分の胸に突き立てた。
「私は幻獣になる」
「なっ!」
デニスはその光景をまともに見てしまった。
吹き出る血。バライトは顔色を変えず、当たり前のようにナイフを下へと動かす。
ナイフを抜き取り手から離す。
傷口にオニキスを埋め込んだ。
バライトの胸から、淡い光が漏れてくる。
「世界だの聖教会だの、ましてわたしの命だど、どうでも良いもの」
この声は下の群衆には聞こえない大きさ。
「サリアの望みさえかなえられれば、私はそれで満足だ」
力を無くした目で、バライトはそう訴えた。
独りよがりな愛のため、世界を犠牲にする。
それは、いい歳をした大人のわがまま。大人の身勝手。
「そんなの……そんなの解らないわ!」
「君も大人になれば解る」
バライトの目が虚ろだ。額に大粒の汗が浮かぶ。血の勢いは緩まない。
「解りたくない! わたしは大人になんかならない!」
「ふむ、その生き方も良いだろう」
バライトの足がふらついた。
額から汗が流れ落ちる。
「しかし、君はとてもつまらない人生を送る事になるだろう」
バライトは、フッと笑ってから身を投げた。
「あっ!」
デニスは目を覆おうとした。しかし、バライトの「幻獣になる」という言葉が目を反らせる行為を拒否させた。
バライトは頭を下にして、四階のテラスから転落した。
レムが受け取ろうとして手を差し出す。
バライトが光ったのはその時だ。
激しい光に照らされるレム。
レムの背後に影が出来る。光源が消えて無くなっても影だけが存在した。
その影が立体化し、立ち上がった。レムより頭一つ大きい姿。
現れたのは、レムそっくりの黒い影だった。光を一切反射しない。レムより黒い影だった。
バライトは幻獣となって蘇ったのだ。
「何ということに!」
ハウルは、バライト教皇の変わり果てた姿に戦慄いた。恐れと同情の混じった感情を抱いている。
遠巻きにしていた群衆が我先にと逃げまどう。
「バライト教皇!」
ハウルの後ろから黄色い声がした。
デオナが駆けつけたのだ。
「ハウル卿、説明なさい!」
眉を吊り上げ、デオナはハウルに詰め寄った。
「デオナ殿、バライト教皇は聖教会を裏切った」
「裏切った?」
デオナの顔が真っ赤になった。
聖教会を裏切る。つまり、聖教会に誓いを立てたデオナと、戦って死んでいったランバルト公国軍の騎士達を裏切ったということか?
「あれが教皇の変わり果てた姿
ハウルは、禍々しき陰の黒き巨神を指さす。
「もはやこれまでじゃ」
「これまでなのは聖教会だけでしょう?」
デオナは冷たいセリフをハウルに浴びせた。
男に裏切られる。
こんな時、世俗にまみれぬ潔癖な少女ほど、あっさりしている。
裏切られた自分を守るため、女は、自分から男を捨てる。
この一瞬で彼女は、バライトと聖教会にすっぱりと見切りを付けたのだ。
「ランバルト公国軍は、聖都より撤退する!」
レムそっくりのシルエットをした真っ黒な幻獣。それはバライトが変化した物。
デニスとジムを背にし、幻獣と向かい合うレム。
マットなブラックであるこの幻獣。その色のおかげで立体感がはっきりしない。それが不気味であった。
幻獣はデニスを睨みつけている。彼女を狙っている事は明らか。対して、デニスとジムがいるテラスは崩れようとしていた。屋内の階段に逃げれば瓦礫の下敷きになるだろう。
ガルが走った。
「飛ぶわよ」
デニスがジムの手を引いて、手摺りに足をかける。
「姉ちゃん、なにを?」
ジムは、一緒になって手摺りの上に乗るが……。
「まさかね?」
「まさかよ!」
デニスはジムの手をひいてテラスから飛び降りた。
「ヒイィーィ!」
ジムの悲鳴が尾を引いて落下していく。
ガルはタイミングを合わせてジャンプ。空中にいる二人を背中でキャッチ。一切の衝撃を伝えることなく、ふわりと着地した。
そしてガルは幻獣に向かい低く唸る。
空には、ゲインのラフィーロが乗る、ガルーダと称するジョーが舞う。
巨神レムが腰を落として構えている。
スイートアリッサムは、幻獣の背後で苦しんでいる。
さて、幻獣はどれほど強い?
「ウォオーン!」
ガルが吠えた。
それを合図にレムが幻獣へ飛びつく。
幻獣はレムの突進を片手で押しとどめた。
レムの巨体を押しとどめるパワーを持っている。
左手を前に突き出し……腕が変形変形した。
神の左手?
それは空に向かう。
発射!
五行融合弾ではなかった。
空高く飛ぶジョーに命中。
黒き魔鳥は錐揉み状態で落下。遠くの方で土煙が高く上がった。
これで二対二。
スイートアリッサムは動けず、デニスを背に乗せたガルは積極的に戦闘に参加できない。
実質、一対一である。
左腕の砲を収納した幻獣は、右手を水平にあげ、手を開いた。
掌の先の空中に、光で出来た魔法陣が縦に現れた。
それが黒い幻獣の体を横移動で通過していく。右手、胴、左手と。
魔法陣が通りすぎた体の部分が金色に光っていく。
体の全てを通過し、右手の先で魔法陣が消滅する。
黒き幻獣の全身が金色に輝やいた。
レムより頭一つ大きく、レムより肩幅が広い、レムそっくりの巨神。
バライトが変化した黄金の巨神。
巨大な姿。怒る肩。
激しく燃える二つの赤い目が、レムを見下ろしていた。
第6章・来たぞ! 大聖都 了
次回 最終章・そしてヤツらは行く! へ続く。
第6章終了です。




