9.金網デスマッチ
騒ぎ出す聴衆に、バライト教皇は腕を水平に動かすだけの対応を取った。
それだけで騒ぎが収まった。
デニスは喋るだけ喋った。次はバライト教皇の番だ。
「彼女の名はサリア」
サリアと聞いて、ハウルは聖教会始祖にまつわる女性、サリアの名を思い出した。
デニスとジムは、リデェリアル村に伝わる伝説の魔獣使いサリア様を思い出していた。
どこの女だ? この時点ではそんなゴシップが人々の脳裏を占めていた。
次のバライト教皇の言葉で、あからさまにサリアの近くから人が遠ざかる。
「別名を紫煙の罠、ベノムドラゴンのスイートアリッサムという」
「え?」
デニスは衝撃を受けていた。
六つの災害魔獣の一つ。ベノムドラゴンがここにいる。
デニスの受けた衝撃は大聖堂に集まった者達にも広がっていた。
「教皇は何を考えておられる」
ハウルはおのが耳を疑い、自分のために神へ祈る。
一旦静まりかえっていた聖堂内が、再び喧噪に包まれていた。
「う、嘘でしょう、バライト教皇!」
ハウル枢機卿が非難の声を上げた。
「聖職者が、まして教皇が嘘をつくことはない」
バライト教皇は至って冷静だ。
「やはり魅入られた――」
「違う」
デニスの言葉にバライト教皇は間髪を入れず否定した。
サリアが、演壇の前に歩いてきた。
足を肩幅に開いて立ち、堂々と胸を張る。
「世界平和、それこそ我が望み!」
ここで攻守が入れ替わった。
バライト教皇は、デニスを追い詰めるために、わざとサリア=スイートアリッサムを大聖堂へ入れたのだ。
デニスは押し黙ってた。
あまりにもな内容に、口を開けて呆然と立っていた。
さらにサリアは話を続けた。
「バライト教皇はリデェリアルや、ゲインのように魔獣を支配して使役することはありません。聖教会の教えに乗っ取って、私と友好関係を結んでいるのです。そこがあなた達と根本的に違うのよ」
サリアの言葉に、デニスは我に返った。
デニスは――。
「今から私の真の姿を見せてあげる。そしてわたし達のお話が正しいことを教えてあげる!」
サリアが両手を天に向けて上げた。
彼女の胸を中心に、黒い球体が発生。サリアの体を覆う。
黒き球体は急速に大きくなる。
聖堂に詰める人々は、さらに遠くへと避難する。
何十倍にも膨れあがった黒い球体が爆ぜた。
現れたのは……。
二階の張り出しを軽く越える巨体。
長い首がうねり、太くて長い尾が振り下ろされ大理石の床が割れる。
背中からはコウモリに似た漆黒の羽は二対四枚。
剣のように尖った牙がずらりと並ぶ、耳元まで裂けた口。
頭には何本も黒い角が髪の毛のように後方へと靡いていた。顎から一対の棘が、牙のように生えている。
全身が黒い光を反射する鱗に覆われている。
「クルルゥーギャーッ!」
甲高い咆吼が大聖堂のステンドグラスを揺るがせる。
漆黒の巨竜が姿を見せた。
バライト教皇が両腕を広げた。
「諸君、紹介しよう。ベノムドラゴンのスイートアリッサム君だ」
伝説の魔獣、六つの災害魔獣の一つ、紫煙の罠、毒竜。いろんな二つ名を持つ伝説の災害級魔獣、スイートアリッサム。
災害魔獣は死と隣り合わせの存在。
暗黒竜が大聖堂の中に現れた。
……まるで竜が聖教会で洗礼を受けようとしているかのよう……。
「ま、魔獣だーっ!」
年老いた聖職者が悲鳴を上げた。
大聖堂は蜂の巣をつついたような大混乱となる。
「バライト教皇! あなたは神を裏切ったのですか!」
真っ赤な顔をしたヨルドが叫ぶ。目が怒りで血走っている。
「シューッ」
スイートアリッサムの顎から前に伸びた棘から、黒いガスが噴出した。
重い気体らしく、床に落ちて広がっていく。
「あう」
迂闊にも、ヨルドがガスを吸った。
目が熱病に冒されたように光を失った。足下がふらつき、意識が定かで無くなる。
「ここに、綺羅星のごとく居並ぶ諸君。諸君らはあまりにも頭が固い。そして愚かだ。よって、教皇自ら諸君らを導くことにした。何、礼には及ばん」
バライト教皇がヨルドを指さす。
「ヨルド、ハウルを取り押さえよ」
「はい教皇様」
さっきまで怒り狂っていたヨルドが嘘のように従順となっていた。
「何をするヨルド卿!」
ハウルは、掴みかかってくるヨルドの腕を払いのけた。ヨルドは何度もハウルへ襲いかかっていく。
「姉ちゃん! あれは毒の息 だ! 判断力を無くすキノコみたいなのだ!」
ジムがガスの正体に気づいた。
「アレを吸っちゃだめ! 教皇の奴隷になるわ! 早く外へ逃げてください!」
デニスが叫ぶ。リデェリアルの者として、魔獣が吐き出すガスの危険性を大人達より厳しく教え込まれている。
デニスとジムは、ひな壇の上に登っているため、ガス体に触れることは無かった。
「逃げろ! 各々方、出口へ急げ!」
ハウルがヨルドを突き飛ばして走った。
人々は我先にと出口へ殺到する。
唯一の出口が親衛隊によってふさがれていた。
「そこを開けよ!」
先頭の聖職者が親衛隊に掴みかかる。
親衛隊は、これを剣で応じた。
血しぶきを上げて倒れ伏す聖職者。親衛隊は声高らかに宣言する。
「バライト教皇の許可が出るまで、何人たりとここを通すわけにはいかぬ! 押し通りたけば、刃の下を潜って参れ!」
彼の目は、熱病患者特有の浮かれた色だった。
広い大聖堂の床一面に黒いガスが行き渡る。今はまだ膝の高さだが、顔の高さまで上がってくるのに、さほど時間はかからないだろう。
人々の半分は、絶望的な表情を浮かべて親衛隊を見る。残りの半分はバライト教皇を見る。
バライト教皇は、薄い笑みを口の端に浮かべ、毒竜の傍らに立っていた。
「ではサリア、手筈通りに」
バライト教皇が合図をすると、毒竜サリアが頷いた。
黒いガスの噴出量が増える。
「だ、だめだ」
ハウルのつぶやきは小さなものだった。その力の無さが、今の彼らを暗示していた。
「何をしている諸君? 賽は投げられた。聖教会が賽を投げたのだ。我らは世界を導かねばならぬ。そのために、我らが一身に人々の悪行を背負おうではないか!」
バライト教皇はいつの間にか演壇を降り、二階の回廊へ続く階段をゆっくりとした足取りで上がっていた。
「狂われたか、教皇!」
ハウルが悔し涙を流す。何が何だか解らなくなっていた。
恐怖の対象としての魔獣・ドラゴン。
それを盟友だと主張する教皇。
ハウルにとって、それは受け入れがたいものだった。
それを受け入れるのは、聖職者を志してから今までの人生を否定するものだった。
ハウルは初めて、教皇に疑いを持った。今まで信じてきたものを疑う必要を感じた。
バライト教皇の演説は続く。
「この世界は聖教会の元でこそ統一できるのだ。私が率いる正教会によって、人間は常代の平和を手に入れることができる。この世から争いごとがなくなり、人々は聖教会の教えに従い、平和に、安穏と生きていけるのだ」
唯一の出口を塞いだ親衛隊は大聖堂の端から教皇を見ている。
親衛隊の前方で、逃げてきた聖職者の集団が教皇を見上げている。
その向こうに、デニスとジムが立って教皇に顔を向けていた。
デニスと教皇の間に、黒いドラゴン・スイートアリッサムが立っている。
「それこそ我が願い! 聖教会の到達点である!」
バライト教皇と、スイートアリッサムが、聖堂内の全ての人間を睥睨している。
「聖教会の聖典に基づいて、災害級の魔獣と理知的な話をし、その協力を得た。彼女は自分の意思で私に協力を申し出てくれた。片方が片方を恭順させているのでは無く、両者は対等な協力関係にある」
「重ねて言う。私は魔獣使いではない!」
バライト教皇の言葉が、大聖堂に響く。
そのエコーが収まらぬうちに、デニスの声がそれに重なった。
「いいえ、あなたは魔獣使いよ!」
バライト教皇とスイートアリッサムの目が、デニスに焦点を合わせた。
「あなたは、理想的な魔獣使いよ!」
負け惜しみだろうか? リデェリアルの奥義とかぶるのだろうか?
教皇とドラゴンは、デニスの言葉を理解しかねていた。
「パワーや食べ物や道具で押さえつけるのは、三流の魔獣使い」
これがあのアワアワしていたデニスだろうか?
「でも、あなた達のように、心と信念で結びつき、互いが互いを思いやり、大切なパートナーだと理解し合う。それこそ、真の魔獣使い!」
デニスの声に、力があった。
「あなた達こそ、我らリデェリアル一族に伝わる伝説のレジェンド・ハイ・マスターその人よ!」
デニスの声、その余韻が大聖堂を流れる。
バライトは……珍しく真剣な顔をしていた。
彼の横で、スイートアリッサムがグルルルッと物騒な唸りを上げている。
「デニス君……」
そして、皮肉っぽく口の端を歪め、諦めたように目を閉じた。
「イデオロギーを論じ合って時間を稼がせるつもりはない」
バライト教皇は、芝居がかった仕草で目を開ける。
「聖教会へ入信するか否か? それを答えてくれれば良い」
反対にデニスが目を伏せる。
「そうね……」
再び瞼を開いたデニスの目は力と自信に溢れていた。
「聖教会なんか潰れてしまえばいい!」
「ならばここで死ね!」
バライト教皇が叫ぶ!
「グルルガーッ!」
スイートアリッサムが飛びかかる。大きな口がデニスを襲う!
絶体絶命!
ズンッ!
壁が壊れた。
浅黒い巨体が大聖堂に雪崩れ込んだ。
壁だった破片が宙を舞う。
破片が床に落ちきる前に、そいつはスイートアリッサムに組み付いた。
「レム君!」
間一髪!
リデェリアルの巨神・レムが大聖堂へ飛び込んだのであった!
12話で一旦6章を終了いたします。
お話し的には途中になりますが、キリがいいので、区切りの意味でもあります。




