8.ウーリスの日の元に
「やはりダメか!」
デオナの顔に絶望の翳りがよぎる。
リデェリアルの巨神は、恐れることなく攻城兵器群に突っ込んでいった。
「あの者は大槌を知っているな!」
巨神が鉄の拳を打ち込んできた。城門を砕く丸太が、威力を発揮する直前のタイミングを見計らったものだった。
ともすれば城壁を打ち砕く丸太が、粉々のバラバラになって四散して果てる。
巨神がこちらを見上げた。
「デオナ様! ここは危のうございます!」
「わたしを名で呼ぶな!」
「司令長官! 櫓から待避いたしましょう。さ、デオナ様、こちらへ」
「うむ!」
急ぎ、櫓から駆け下りるデオナ達。
どんどん櫓に近づいてくる巨神。
罠が設営されていないエリアに到達した巨神は、浮かぶことを止め、その両足で走り出した。
前線を巨神に任せたフェンリル狼は、後方で聖騎士達を血祭りに上げている。
「蹂躙戦を受けている。広い戦場は不利だ」
ダフネに抱えられて櫓を下りているデオナ。魔獣達の戦いを冷静に観察している。
「では、どのように対処いたしましょう?」
ダフネはデオナを抱えているのに、息一つ乱していない。
「うむ、一か八か、聖都内部へ誘き入れ、狭い場所で戦いましょう」
「聖都に魔獣を入れるのですか? 聖教会始まって以来の不祥事になりますな」
櫓より外へ出たダフネは、デオナを小脇に抱えたまま、櫓より遠ざかった。
巨神がすぐそこまでやって来ていたからだ。
「デオナ様、勝算は?」
「名前で呼ぶな! ……ベルドも同じ手を使ったはずだ。そして抜かれた」
「ならば、聖都へ誘い入れるのは悪手でございますな」
「うむ、しかし、魔獣共は聖都へ入ったようだ」
デオナが指を差した。
巨神が聖都の壁に肩口から突っ込んだ。
攻略される事を前提としない壁は脆い。巨神はそのまま聖都内部へ体を押し込んでいた。
「せめて我らが誘い入れた事にしないと、バライト教皇様の権威に傷が付いてしまう」
「……教皇に対して、少々冷たくありませんかな?」
その件に関して、デオナは肩を落として答えた。
「うむ、別の女がいた。まだ小娘だった。バライト様が少女趣味だとは思わなかった。……じつはあの部屋、別の女の匂いもしたのだ」
「ああ」
ダフネとデオナの幕僚、並びに護衛のために集まった聖騎士達は、バライト教皇に殺意を抱いたのであった。
そんな集団を大きな影が覆った。
フェンリル狼がデオナ達を飛び越えたのだ。
巨神に続いてフェンリル狼も聖都へ進入した。
「わたし達は敵と見なされないのか……」
巨神も素通りした。フェンリル狼も、軍の大将より聖都への進入を優先した。
二万を超える大群は、無視されたという事だ。
「ダフネよ、災害級の魔獣相手に戦ったという記録はあるか? 人間が勝ったという記録はあるか?」
「逃げた記録ならありますが、戦った記録なぞありませんな。戦って勝ったという物語なら黄紙冊子で沢山出版されていますがね」
「あとでその黄紙冊子を買ってちょうだい」
ようやくデオナはダフネより降ろされた。
よろつく足に気合いを入れ、背筋を伸ばして立ち上がる。
「とはいうものの、バライト様のお命は守らなければならない!」
腕を天に突き上げ、大声を出す。
「総員、聖都内部へ突撃!」
デオナは、振り上げた腕を思い切り振り下ろした。
大聖堂は巨大な建物だ。
ここで教皇が祈りを捧げ、大事な決まり事を発表する。
神の坐す社である。
信者達の心の拠り所にして、聖教会のシンボル。
その前に広がる大広間。
周囲をぐるりとテラスに囲まれた大広間。何千人もの信者が一同に会せる石畳の広場である。
ダレイオスとゲペウ師弟は、聖堂広場において、神への祈りを捧げていた。
老若男女、千人は超えるだろう、大勢の人々が彼ら師弟の周囲で祈りを捧げていた。
事前に流しておいた、リデェリアルの異端者審議会開催の噂を聞きつけて来た人々の群れだ。
噂に聞く巨神と、巨大な魔狼を自在に操るリデェリアルの天才少女が、聖都へやってきたという。
バライト教皇は、年端もいかない少女をこの広場で火炙りにするという。
興味と物見、同情と異教徒への怒り。いろんな要素が相まって、早朝から人が集まってきていた。
一部で有名になりつつある二人が、異端者審議会が開かれている大聖堂へ近づくには、大勢の人の中に埋もれるに限る。
彼らが騒ぐ前に、これ見よがしにダレイオスが祈りを捧げ始めたのだ。
「子羊たちは大人しくしておるかのう?」
「後ろを振り向きたいのですが、体を捩ると胃の中の物が全部出そうです」
「吐くなよ。吐けば気持ち悪がって人が逃げてしまう。我らの目的は、人を集めることだからのう」
こっそりと打ち合わせをするダレイオスとゲペウであった。
「ウーリスの日の元に!」
偉大なる大聖堂において、バライト教皇が異端者審議会開催を告げた。
朗々たるその声は、大聖堂の広大な空間を渡り、エコーとなって消えていく。
高位の聖職者や、内容を筆記する者、身分の高そうな立会人などなど、ざっと五十人はこの聖堂に詰めている。
それほどの人数が入っていながら、人数分の気配を感じない。広大な空間が、痛いくらい静まりかえっている。
いよいよだ。
デニスは無表情を装って身構えた。
聖教会側の手に乗ってはいけない。
理不尽な弁論を展開するにきまっている。リデェリアル村で尋問した豚のような聖職者を思い出す。
あれは今思い出すに、理不尽で独りよがりな思想の押しつけだった。数と力を頼った暴力だった。
ここは聖教会の総本山。
裁くのは聖教会の総大将。
最高の汚さと最高の理不尽が口を開けて待っている。
そこまでデニスは思考していた。
だけど具体的な手口は解らない。
解らない以上……。
「まずは名を聞こう。名乗りを上げよ」
バライト教皇の声が反響する。
名乗りを上げようとして、デニスは気づいた。
三段は高くなったバライトが立つ台の左右。デニス達が立つ床より一段高い位置に、高位の聖職者が並んで座っている。
彼らの後ろに立つ従者の中に――。
――よく知っている、ある気配を感じた。
それは、人の物ではない。ガルやレムに近い匂い。
それは、教皇執務室で感じ取った気配。
――夕べ感じたあの強い魔獣の気配――。
それは――黒い修道女服に包まれた女性から匂う気配。
デニスは死中の活を見いだした。――この時はそう思った。
「緊張しているのか? 名を名乗りたまえ」
バライトの声が聖堂に響く。
デニスの顔つきが変わった。
――ここが勝負――
デニスは思い切り息を吸い込んで、大声を出した。
「なぜ、聖なる教会に魔獣がいるの?」
ザワザワザワ。
静かに、そして重いざわめき声が広がった。
「質問にだけ答えよ! 少女よ名を名乗れ!」
その問いに答えてはいけない。
今、イニシアティブを聖教会に渡したら、二度と戻ってこない。流された先はたぶん火炙り。
「そこの女!」
バライト教皇を完全無視。デニスは件の女を指さした。
「彼女の名は? 誰か知ってる?」
居並ぶ列席者が、女の顔を見る。
明るい金髪。翡翠色の目。
「だれだ?」「知らないぞ?」「いつの間に?」
ザワザワザワ……。
重く、浅く、波紋のように人の声が重なり広がっていく。
彼女の側から人が離れる。
「バライト教皇! あなたは知っているわよね? あなたの部屋にいた人よ!」
教皇は黙っている。柔らかな微笑みを浮かべたまま、愛しそうにデニスを見つめているだけ。
それに違和を感じたが、デニスは一気呵成に責め立てる。
「なぜ魔獣が人の形を取っているの?」
バライト教皇はそれに応じず、うつむいたまま。
聖堂にいる人々は、デニスの話に聞き入っていた。
空気は、一気にデニスサイトへ転がった。
「バライト教皇、あなた聖教会の親玉なのに、魔獣に魅入らてしまったの?」
デニスが問い詰める。
「教皇! 説明を! この異教徒の小娘の弁に反論を!」
ハウルの声が震えていた。
早く皆の者達を鎮めねばならない。
それ以前に、教皇が魔獣と関係しているはずが無い。真珠が人の形をとれるわけが無い。
教皇が何か言いさえすれば良い。どんな言葉でも正当化できる。
なにせここは聖教会の心臓部なのだから。
バライト教皇はゆっくりと顔を上げた。
彼は、口の端を歪め笑っていた。
騒ぎはどんどん大きくなっていく。
やあ、俺だよ俺! レム君だよ!
聖都っつからどんな重機動要塞かと思ってたら、ボロ寺の垣根より柔い土塀だったのでガッカリだよ!
脆い塀の中は、別世界だった。
これまで見たどんな都市より洗練された作りだった。
目の前の馬鹿でかい教会っぽいのを筆頭に、元いた世界の歴史的美術館みたいな建物とか、どっかの国の国会みたいな建物だとか、文化遺産確定な建造物に溢れていた。
巨大な建物ばかり。石造りだったりレンガを積み上げたものだったり。見てるだけでオラ、ワクワクするゾ!
いやー……観光で訪れたかったよ!
「むっ! 匂う……もとい、感じるぞ!」
後ろからヒョイと顔を出したガル。鼻をピクピクさせていた。
デニス嬢ちゃんの匂いを……もとい、粒子を秘密の器官で感知したのだろう。
「正面の建物からデニス粒子反応有り! 破壊破壊ハカイ!」
ガル先輩が俺に破壊活動を示唆した。
「この建物ですね」
「中に強力な敵がいる。……たぶん敵対する魔族だ」
ガルが辛そうな顔をしたが、それはほんの一瞬。
「皆殺しにしろ!」
今の一瞬は何だったんだろう? 緊張か? 後悔か?
「おまかせ!」
俺は意図的に明るく答えた。
この建物、なかなかにでかい。壊すのを躊躇してしまいそうな風格溢れまくりの建屋。
腰を落とし、握りしめた右拳のナックルを地面に付ける。
「GO!」
クラウチングスタート気味に、肩口から建物の壁へぶちかまし!
薄い壁を突き抜け、勢いよく広い内部に飛び込んだ!




