4.笑顔と気配
「報告を聞こう」
「ハッ!」
聖都宮殿。教皇執務室にて、教皇バライトが二人の聖騎士を前にしていた。
荷下ろし場を作れそうな巨大スペース。美しき調度品。シルクのカーテンが艶やかに輝く大きな窓。
高い背もたれが付いた椅子に座る教皇バライト。その左右に、枢機卿のハウルとヨルドが立つ。
バライトが話を促した聖騎士二人は、黒衣の将軍こと、ベルドの命により、キュウヨウからリデェリアルの生き残り二名を連行してきた者だ。
リデェリアルの生き残り二人はここにはいない。
聖騎士は、片膝を床に付け、兜を小脇に抱え頭を垂れる。
「リデェリアルの者が使う二体の魔獣、その正体はガルム犬ではなく、災害級の魔獣、神を狩る狼・フェンリルのフェリス・ルプス。もう一体はゴーレムではなく、リデェリアルが秘匿していた異教の巨神でありました!」
「おお、なんという事だ!」
「フェンリルと巨神をリデェリアルは使うのか!」
ハウルとヨルドが色めき立つ。
「落ち着きたまえ、ハウル卿、ヨルド卿。まだ二人の報告は終わっていないのですよ」
狼狽える二人の枢機卿と対照的に、バライトは全く動じていない。
「フェンリルと巨神は、キュウヨウの四つの支城を落とし、城塞都市キュウヨウへ侵攻。その際、マルティン殿、テオドーロ殿は名誉の負傷を負われ意識不明の重体」
「キュウヨウへ取りついた魔獣共は、城壁を破り内部へと進入。攻城兵器により交戦を始めた所で、我らはベルド閣下の命により、キュウヨウを離れました」
「その時点までで魔獣は巧妙に我が軍の兵力を分断。我が軍は不利な状況に陥っております! ベルド閣下はキュウヨウを抜かれる事態も想定し、聖都におかれましても至急、魔獣襲来に備える旨の伝言を預かっております!」
「なお、リデェリアルの巨神はキュウヨウの堀にて『神の左手』を使用。兵共の士気は著しく落ちております」
「神の左腕……と申したな?」
ヨルドが聖騎士に確認する。
「はっ! 山一つを消すと言われた「神の左腕」の威力は聞き及ぶより凄まじく、その戦闘にて魔法……いえ、異法使いワクラン殿が名誉の戦死を遂げられました」
聖騎士は、これを肯定し、補足説明を加えた。
「な、なんと……ワクランとその故郷クラチナに神の慈愛が訪れん事を!」
ヨルド卿は手を組み神に祈った。
バライトとハウルも神に祈った。
「クラチナは貧窮に喘いでいると聞く。ヨルド卿、さらなる支援を用意したまえ。そう、それとマルティン殿のゴルバリオン商業連合とテオドーロ殿のムスカシュタイン公国にもさらなる支援の上積みをお願いする」
バライトは潤んだ目でヨルドに指示を出した。
「は、はぁ。しかしバライト教皇、昨今の出兵で財政面が圧迫しておりまして……」
バライトの顔から笑顔が消えた。
「ヨルド卿。あなたにとって聖教会こそが大事なのかね? 信仰が大事なのかね?」
穏やかな口調のバライトであるが、有無を言わせぬ覇気がある。
「な、なんとか工面いたします」
財政を預かるヨルドは、額の汗をハンカチで拭った。絶対命令者であるバライトに逆らえないようだ。
「して、兵の損害は? キュウヨウの損害は?」
ハウルが報告を促した。
「それが……」
聖騎士は言いよどむ。そこで初めて知ったかの様に、二人の聖騎士は互いの顔を見つめ合う。
「どうしたのだ!」
答えが来ないもどかしさにハウルは声を荒げる。
「ハッ! 直接の死者はおりませぬ!」
聖騎士の一人が報告を続けた。
「巨神は、要塞の堀として使っていた湖の水を干上がらせるためだけに「神の左腕」を使用した模様です」
もう一人の聖騎士が報告を補足した。
「直接攻撃しなかったと申すか?」
ハウルは念を付いてきた。
「賢い魔獣ですね」
バライトが笑っている。
「リデェリアルの天才少女を侮ってはいけない。そういう事でしょう」
「はぁ?」
バライトの言葉が理解できず、間抜けな声を出す二人の枢機卿であった。
「おそらく、キュウヨウに主が捕らわれていたため、使うのを差し控えたのでしょう。なかなか頭の良い魔獣達ですね。どうやって躾けたのでしょう。ふむ」
バライトは形の良い顎に片手を置き、しばし考える。
「さすがのベルド将軍も寄せ集めの軍では真価を発揮できなかったようですね。これは私の落ち度」
バライトは二人の聖騎士に対し、姿勢を改めた。
「罪は私にある。許して欲しい」
頭は下げなかったが、これは教皇の謝罪である。
「もったいなきお言葉!」
聖騎士二人は床に額をこすりつけ、畏まっていた。
報告を終えた聖騎士が退出。
代わって執務室に通されたのは、デニスとジムの二人。
足枷も手枷も外されている。
湯浴みしたのだろう、髪もフワフワしていて、清潔な服に着替えていた。
「ようこそ、聖都へ。リデェリアルのお方。私の名はバライト。聖教会教皇をつとめるバライト・クロム・ティーティという。よろしく見知りおきを」
蜂蜜色の金髪。宝石のように美しい瞳。
デニスは14歳。お年頃である。おとなのおとこのみりょくである。
教皇バライトは自ら持つ魅力を十分に発揮して二人を迎えた。
だが、デニスは教皇の美貌に目を奪われてはいない。
部屋へ入るやいなや、せわしなく目を動かす。
いつものアワアワだ。
何かを捜していたような目は、部屋の左隅、小さな本棚で落ち着きを取り戻した。
バライト教皇の柔和な顔に、毛ほどのかげりが見られる。
そこは隠し部屋の入り口。歴代教皇のみが知る秘密の部屋。そしてサリアをかくまっている部屋。
なぜデニスが?
――天才少女か……なるほど、これは驚異だ――。
「どうかいたしましたか?」
バライト教皇は、そんなことをおくびにも出さない。
「いえ……」
デニスは、人生最大級の気を張りつめて教皇執務室までの長い廊下を歩いてきた。何せ親と一族の仇なのだから。
でも部屋へ入るなり、懐かしいようなそれでいて危険な匂いを嗅いで、いつものようにアワアワしてしまっていた。
小首をかしげる教皇。何か? とボディランゲージで聞いているのだ。
「魔獣に似た気配を感じて……」
デニスはチラリとジムの顔を見る。
「いや、あの、僕も、どこからか……ガルとレムの空気を鋭くしたような……ほんの一瞬だけど……殺気みたいなのが……いやきっとそうだ! 教皇! あんたは俺たちを殺そうと考えているんだ! きっとそうだ!」
デニスは……違うかな? と、自信なさげに考えている。
対して、にっこりと笑うバライト教皇であった。
「怖がらせてしまったようだ。これは申し訳ない。まだまだ若輩の身。修練が足りなかったようだ。どうか、許して欲しい」
頭も下げず許しを請う教皇。
次に執務机の前に並べた椅子を勧める。
「長旅、それも空の上の旅、さぞやお疲れでしょう。どうか席に」
デニスとジムは遠慮のかけらもなく椅子へ座った。
「お嬢様方に乱暴な扱いをして申し訳なく思います。ベルド君に代わって私が詫びを致しましょう」
今度も頭を下げない教皇である。
「そのお詫び、謹んでお受けいたしましょう」
デニスの態度は堂々としたものだった。
堂々と上から目線で聖教会トップである教皇と対峙した。
「……余程配下の魔獣を信頼しておられるとお見受けしますが?」
ゆっくりと頭を上げる教皇。彼は笑顔を絶やさぬ人であった。
「それもありますが、今回は違います」
「ほう、違う?」
興味を引かれたのか、教皇が話の続きを促す。
「だってベルドさんはもうこの世にいないでしょうから。違う人しか謝れませんから」
バライト教皇は薔薇のような笑顔のままだが、アイスブルーの瞳は幾分温度を下げたようだ。
「お嬢ちゃん、君はお強い。言葉遣いの不作法は、フフフ、まあよいでしょう」
笑みは唇だけとなる。
「しかし、その強さは二匹の魔獣あればこその強さ。自分の力ではない事を認識したまえ」
姿勢を崩す教皇。右手で軽く拳を作り、その上へ形良い顎を乗せた。
「バライト教皇。あなたの強さも軍隊があるからこそです」
デニスも負けていない。
「ふむ、同条件と言いたいのだね?」
「いえ!」
デニスはきっぱりと否定した。
「聖教会の軍隊より、ガルちゃんとレム君の方が強いです。だから――」
デニスは言い澱んだ。次に繋げる言葉を思い、意志の力がぐらついたようだ。
「だから何だと?」
また教皇が言葉を促す。
「だから、わたし達に降伏なさい! い、命まで取る気はないわ!」
珍しい光景である。
デニスの言葉に、教皇の目が点になっていた。
やがて教皇の口が歪んだ。
「ふふ、ふふ……」
教皇の歪んだ口から笑い声が漏れ出す。
「アハハハハハハ!」
バライトは大きく口を開けて、大声で笑った。
「そうか! 君たちの方が強いか! 私個人の力ではないと! これは片腹痛い!」
バライトは腹を抱えて笑っていた。
目尻に涙を浮かべてさえいた。
デニスはそんなバライトに動じることなく、冷たい目で笑う男を見つめていた。
――なんかおかしい。
ジムは雰囲気の違いを感じ取っていた。
――教皇は、違うところを捕らえて笑っている。
何かを隠している。
そう、鬼ごっこに例えるなら――もう少しで、逃げる子をもう少しで確実に捕まえそうになってる鬼がいる。その足元に、落とし穴が掘られている事を知ってる悪戯っ子の笑い方に似ている。
ジムが深い考えに陥いろうとしたとき、賑やかな声が教皇執務室に入ってきた。
「教皇! バライト教皇! 何を笑っておいでですか?」
鈴を転がすような綺麗な声。
背丈がデニスと同じくらいの少女が入ってきた。
綺麗な銀髪。気の強そうな吊り目がちの目。ピンクのドレスの上に儀礼的な鎧を纏っていた。
「デオナ・ランバン・ランバルト、ただいま戻りまし……」
ヒマワリのような笑顔だったが、デニスを見て凍り付いた。
少女が教皇と向き合って話をしていた……。
「どちら様? あなたがバライト教皇に取り入って媚びを売っていたの?」
言葉に刺がある。こんな時、吊り目が威力を発揮する。
「ああ、紹介しよう。こちらのお嬢さんはランバルト公国のお姫様、デオナ君だ。若いのに第二遠征軍二万人を率いる猛者だ」
デオナはデニスを値踏みするかのように、頭のてっぺんから爪先まで、蛇が舐めるようにして見てみせた。
「そしてこちらがリデェリアルの天才魔獣使い、デニス君だ。デオナと同じ十四歳だからすぐに仲良くなるよ」
バライト教皇は目尻の涙を指で拭いながら紹介した。
「ああん?」
デオナは、ますます視線を鋭利なものとする。
「よ、よよよよろシく」
別の角度からの攻撃に、デニスは素に戻ってしまっていた。
デニスは引きつった笑みを浮かべながら敵である少女に挨拶した。
挨拶してから自今嫌悪に陥った。
「さて、デニス君。君、我ら聖教会のために、デオナと協力して魔獣を駆使してみる気はないかね?」
デオナの視線は気の弱い子猫くらいなら殺せそうなほどの圧力を持つに至った。
『同じ十四歳同士。いや、ちょっとこれは……』
ジム、ハウル、ヨルドが全く同じ言葉を頭に浮かべ、広義での台無し感でもって三者の行く末を見守るのであった。
「先輩!」
「なんだねレム君」
「発声装置を改良したんですが、どうです? マスクの装甲にスリット入れて内側に薄い金属膜張って微振動させて空気振動させて空気伝わって音が聞こえるってスピーカーの応用なんですが空気が音を伝えるって知ってました? いかがですか? クリアでしょ?」
「空気空気言うな!」
7つめの町を抜けたレムとガルであった。
あれは何だったのだろう?
そしてこれは何なのだろう?
バライト教皇との会見が終わるとすぐに、デニスとジムは、小部屋へ閉じ込められた。
暗い部屋の中、目をつむると壁の向こうにガルの気配を感じる。
場所を変えても、座る向きを変えても、同じ方向から気配を感じる。
その気配の方向へ、意識を集中する。すると、ガルの気配が遠くからのものである事を感じた。
壁の向こうと感じたのは、そちらの方角にガルがいると感じたからだった。
ずっと、もっと、意識を研ぎ澄ます。
ジムの気配がする。ドアの向こうに人の気配が二つ感じられる。
不思議だった。なぜ自分はこんな芸当ができるのか不思議だった。
ずっとすっと、深く深く、意識の下へと沈み込んでいく。
静かさが苦しさとなってデニスの側頭部にのしかかる。
ふと、別の気配を感じ取った。
強い。
ガルやレムのように強い力を感じる。
なんだろう?
思い出した。
バライト教皇の部屋で感じた気配だ。
方向が解らない。でも遠くない。
まさか、教皇の部屋に魔獣がいる?
まさかね。
お話しが動き出します。
そして空気なのが約二名。




