8.迎撃の罠
四つの枝城を落とされたベルドは、ルーデンスとビトールに背を向け、窓から南の空を睨んでいた。
部屋のメンバーが一人増えていた。魔法使いのワクランである。
「報告が上がってきました」
ビトールが小さく折りたたまれた紙を二枚。それを丁寧に広げている。
鳩を使った暗号通信文なのだ。
それに目を通し、内容を分析する。
「良い知らせと悪い知らせ、どちらから報告いたしましょう?」
ビトールはこういった持って回った性格だっただろうか?
背中で聞くベルドは、その内容が馬鹿げていることを事前に認識した。
なにせビトールにそこまでさせた事が書いてあるのだ。
「良い報告から聞こう」
ベルドが話を促した。
「マルティンとテオドーロは生きています。ただし、重傷で動けません。この戦いが終わるまで戦列復帰は無理でしょう」
二度、首を縦に振るベルドである。
「よかった。次は悪い報告を聞こうか」
ビトールは呼吸を一つ置いてから話し出した。
「マルティンは……あのガルム犬の正体はフェンリル狼だと申しております。テオドーロは……ゴーレムの正体は異教の巨神。城壁防御戦は捨てるべき。と具申しております」
ルーデンスも腕を組んだ。
「果てさて、信じぬか信じるか?」
「信じるさ。四つの城を半日で落とされたのだ。ガルム犬やただの巨人ごときにできる技ではない」
ベルドの目が獰猛な光を帯びる。
ガルム犬、ゴーレム。それはデニスの欺瞞だった。
いかに魔獣使いといえど、災害級の超魔獣・フェンリル狼と異教の巨神を支配下に置くことなど不可能だ。
普通に考えれば。
ところが普通でないことをリデェリアルの少女はやってのけている。
はじめからフェンリル狼だと知っていれば、聖教会は全戦力を振り向けただろう。
そうなれば、彼女たちはキュウヨウにまで来れただろうか?
だが、彼女達はキュウヨウまでやってきた。変則的だがやってこれた。
デニスの計画通りでないとだれが言えよう。
「一杯食わされたな」
目の光はそのまま、言葉だけは自嘲をもってその答えとした。
――デニスはまだ何かを隠している――
彼女がキュウヨウにいる事じたいが、彼女の策略だとしたら?
あのオドオドした態度の裏で、こっそりほくそ笑んでいるとしたら?
目的は、聖都か? 教皇か? それとも……聖教会そのものか?
歴戦の勇者、黒の将軍ことベルドを持ってして、リデェリアルの少女に得体の知れない巨大な何かを感じざるを得なかった。
「もう一つ悪い報告が上がっています」
ビトールは、羊皮紙の束を数枚手にしていた。
「各地で反乱が起こっています。シンタルにカルモーンとゼーダイン。全てに鎮圧軍が派遣されています。抗う者は全て粛正されるでしょう」
「なんと、異教徒の国が聖教会に反旗を翻したか?」
ルーデンスが声を荒げていた。
「愚かな事を……」
聖教会に制圧されたクラチナの出自を持つワクランは、痛ましそうに目を伏せている。
ベルドは、高ぶる心を隠す様に瞼を閉じた。
それもリデェリアルの天才魔獣使い少女、デニスの仕組んだことか?
戦い以外に使う魔獣がいるのか?
フェンリル狼とリデェリアルの巨神ですら、真実を隠す囮なのか?
いや、人質となった自分すら陽動なのか?
彼女の真意は……まさか全世界的な反乱を仕掛けたのか?
「いいや!」
ベルドは目を見開いた。
「目の前の敵を叩きつぶす!」
黒衣の将軍、ベルドの口から声が出た。
会話として繋がらないものだが、その場にいる者達には通じていた。
「私の予想では、昼過ぎに此処キュウヨウに到達するだろう。それまでの数時間で対策をとる!」
ビトールは無表情に、ルーデンスは楽しそうに主の命を待っている。
「いかにフェンリル狼といえど、キュウヨウの城壁は越えられまい。本命は巨神だ。フェンリルは陽動に徹するはず」
「フェンリル狼の武器はスピードだ。ヤツの足を押さえてしまえば大した驚異にはならない。問題は巨神だ。アレはキュウヨウの城壁を破る力を持っている。対巨神用の銛を準備するには時間がかかる――」
「川から来る巨神は、私にお任せください」
ワクランが申し出る。
「大丈夫か? オニキス魔獣では巨神に勝てんぞ?」
ルーデンスがワクランの無茶を心配する。
「あの巨神に勝てるかどうか自信のないところですが……」
慎重な物言いの傾向にあるワクランである。勝てる可能性が高くとも、絶対とは言わない男だ。
「ですが、ベルド様が対策ととるまでの十分な時間を稼ぐ自信はあります」
ベルドがじっとワクランの目を見つめている。
――死ぬつもりだな――
「伝えておくことはあるか?」
「そうですね、もしも巨神が城壁に取り付くようなことがあれば……ワクランは勇敢に戦って死んだとお伝えください」
ワクランは笑って言った。
「奥方にか? ご子息にか?」
「私からの言づては、教皇へお伝えください」
ワクランの古里は魔法が盛んなクラチナ。
異教・邪教の国として聖教会・聖騎士と激突。鎮圧された苦しい過去を持つ。
クラチナの人々は生きていくために聖教会へ忠誠を誓った。
その忠誠を証明しなければ、滅亡への時間が少なくなる。
聖教会を脅かす魔獣と戦って死んだとあれば、これ以上の忠誠を示すものはなかろう。
戦い様、死に様により聖列に加わる可能性もある。
そんなことが実現すれば、クラチナの地位は一気に上がる。
もとより聖教会を取り入れた国家と同列になる。
そうすれば妻や子、仲間達が安心して暮らせるだろう。
「よしわかった! ベルド・ウラロ・スリークがその件引き受けた! 存分に戦ってくるがよい!」
「有り難うございます」
ワクランは深く頭を下げた。
「ベルド様。これを」
ワクランは、懐よりジン・オニキスを取り出した。それをベルドの手に乗せる。
「うむ」
ベルドはオニキスを強く握りしめた。
「それでは、準備がありますので、これにて失礼をいたします」
一礼をし、ワクランは足早にその場を去った。
ベルドは残った二人に正対する。
「ビトール! 対巨神用兵器の調整に全力を挙げよ!」
「了解」
ビトールの返事はいつものように短い。
「ルーデンス! 城外に展開した戦力は全てフェンリル狼に向ける。巨神は無視しろ!」
「了解いたしました。配置はお任せいただけますな?」
ルーデンスはいつも楽しそうだ。
足早に出て行く二人の背中を見ながら、ベルドは思う。
――これは私も死なねばならんな――
執務室の外。誰もいない廊下の壁にワクランが背を預けている。
「リチーナ、ウェルテ、シェル。お兄ちゃんが必ず守ってやるからな」
ガルが、キュウヨウ本体の防衛線に引っかかったのは、正午をいくらか回った頃合いだった。
三度とも同じ戦法。超高速で敵戦線を引っかき回す作戦。
超高速で真っ直ぐに戦列へ飛び込んだガルは、そこにキュウヨウの罠を見た。
単純な仕掛けにして、ガルの足を封じるに十分な道具。
長いロープの両端を杭で打ち付けて止めてある。
それが幾重にも、あらゆる場所に仕掛けられていた。
この短時間で張った罠。どんだけ人を使ったのだ?
資材輸送にかり出された民間人までうろうろしている。
ぎりぎりまで作業していたのだろう。
「ちぃっ!」
ガルの足が裏目に出た。ガルは急には止まれない。
そのまま突っ込めば数本目で足を取られる。
それを嫌ったガルは高く飛んだ。
器用に体を捻り、空気抵抗で速度を殺す。
ほぼ垂直に落下。動きを止めたものの、そこは罠の中。
聖騎士達がガルを中心にして輪を描く。
ガル、絶対の不利。
「さて……」
不適に牙を剥くガルである。
「どうやって逃げよう?」
俺だよ俺! レム君だよ!
水中を進むこと数時間。ようやくキュウヨウが浮かぶ人工の湖にまで到着いたしました。
数時間の水中行動で頭が冷えてしまったから、ガルに乗せられた感がヒシヒシと足音を立てて身に迫っている感が半端ないっす。
しかし、ここまでやって来てしまった以上、後戻りはできない。
ガルも必死で戦っていることだろうし。
……ガル先輩の事だ。絶対に逃げたりしない……、はずだ!
湖の中は流れが緩やか。川の中みたいに背中を流れに押されることがない。
今まで楽できたが、これからは自力での移動となる。
水はまあまあ澄んでいる。上から差し込んでくる太陽の光がゆらゆら揺れて、なんとも幻想的な世界だ。
足場に泥の堆積がほとんどなく、岩石類で占められているのがこの透明度を維持している理由の一つだろう。
とはいうものの、全く泥が無いわけじゃない。俺が歩く度、モアモアと泥煙が沸き立っている。
この深度、身長の何倍だ? 水圧もかなりの数字を示しているんだろうけど、あまり感じない。水の抵抗もそれほどじゃない。
ファッファッファッ! 無敵じゃないか俺! 水陸両用モビールな超合金ロボじゃないか俺!
水中適正値Aクラスを名乗ろうか?
『コロシテヤル……コロシテヤル』
……っておや? 何か聞こえたぞ?
声の方向は前方から。
なんかがこっちを睨んでいる?
俺の何倍もの巨体。その下部についたつぶらな瞳に殺意をみなぎらせて、俺を睨んでいる。尾っぽがユラユラ揺れている。
鯨?
端的に表現すれば、白いマッコウクジラ。推定体長二百メートル?
マッコウクジラの巨体を太い四本足で支えている?
水中特性Sの魔獣が現れた。




