13.甘いささやき-1
「相談の結果、ベヒモスモドキは、魔獣ではなく幻獣というカテゴリーに落ち着きました」
「先輩、それ誰と相談して決めたんですか?」
ベヒモスモドキと遭遇戦をやらかした岩場で、俺たちはキャンプを張っていた。
ここはなだらかな丘の頂上。辺りは見渡す限りの荒れ地でなんもない。
敵に見つかりやすい場所だが、反対に敵を見つけやすい場所でもある。
どのような方法かは判らないが、俺たちは敵に現在位置を捕まれている。
だったら、ちょうど良い場所じゃねぇか? と、ガルが主張し、先のモドキ戦でたいへん疲れた、かつ、ダメージを負った体で伸びたフリをした。
この世界で、フリをさせたら右に出る者はいない。
デニス嬢ちゃんは、あっさりとガルの演技に騙され、ここでしばらく休憩することになった。
いつか人間語を話せるようになったら代わりに謝っておくからね!
幸いにも、テントを張るに適した地形がすぐ側にあった。
嬢ちゃんは、そこで火を焚き、腰を落ち着けた。
しっかり者のジム君は装備の確認に忙しそうだ。
やがて日が傾き、夕霧が出てきた。
夕霧が出ると、夜は冷えるという。
デニス嬢ちゃんとジム君は、早めの床についた。
日の高い内からグッタリしたポーズを取っていたガルも目を閉じる。
犬属性のくせによくじっとしてられるな。……性格からいくと犬より猫だな。
俺は眠くないし疲れてもいないのだけれども、この霧はすごい。
腕を伸ばすと、指先が見えない。
ここまで見えないと、敵だって襲撃どころではないだろう。
そんなこんなで、俺も岩にもたれ体の力を抜いた。
なんだか、妙に落ち着く……。
……。
夜半過ぎ。
デニスは、ふとした気配で目を覚ました。
悪い気配には感じられなかった。
気配に導かれるまま、テントから頭を出す。
霧はずいぶん晴れていたが、まだ遠くは霞んでいる。
満月のおかげか、夜でも明るい。
「満月ってこんなに明るかったっけ?」
霞んだ周囲と暗い夜空。月が照らす明るい世界。
とても幻想的な世界だった。
デニスの目の端に、光が入る。
何だろうと身構えつつ、目をこらす。
霞の中に一つ。小さな灯りが揺れていた。
警戒したデニスは、偵察を思い立つ。
とはいえ、根は臆病者。少しだけ近寄って様子を見るだけのつもり。
身を隠しながら近づいていく。
色にすればオレンジ色。暖かそうな光だ。
なんだか懐かしさよ郷愁の念に捕らわれ、もっと近づいてみる。
明かりが増えた。
一つだった明かりが幾つも、幾十にも増えた。
近づいたからだろうか?
もう少し近づくと、明かりの正体が判明した。
人家だった。
集落だった。
デニスは走りだす。
見覚えのある家がある。
それはリデェリアル村のデニスの家。
集落の中を走り、自分の家の前に立つ。
あふれ出そうな希望を押さえつつドアに手をかけた。
そして勢いよくドアを開く。
「生きていたのか! デニス!」
中には食卓に腰掛けたお父さんがいた。
「お帰りデニス」
台所からシチューの鍋を手にしたお母さんが微笑んでいた。
「どうして……」
「みんな逃げてきたんじゃよ」
お爺ちゃんが微笑んで立っていた。
「教えてやろう」
椅子に座ったままお父さんが微笑む。
「あの後、村のほとんどの者が逃げ延びることができたんだ。
デニスより一足先に、ここへたどり着いたというワケさ。
みんなで話し合い、ここに新しい村を作り、住むことにしたんだよ」
お母さんが両手を出して近づいてくる。
「もう安心よ、デニス」
そしてデニスを抱きしめた。
「お母さん!」
デニスは泣いた。嬉しくて泣いた。
「頑張ったねデニス」
お父さんがデニスの頭を優しく撫でてくれた。
「もう頑張らなくていいいんじゃぞ。ここは安全な場所じゃからな」
お爺ちゃんがもらい泣きしていた。
よかった。
みんな無事だったんだ。
また、前のように暮らしていける。
いつもの毎日が繰り返される。
デニスは声を上げて泣いていた。
部屋の隅。
暖炉の明かりに照らされ、小さな人形が輝いていた。
明るい金髪。場違いなドレス姿。冷たい作り物の顔。
その顔に表情が浮かんだ。
デニスを見つめる目がすっと薄くなった。
ジムが目を覚ましたのは、隣で寝ている筈のデニス姉ちゃんが寝返りを打ったからだ。
と、思った。
実際は違っていた。
ジムは椅子に座っていた。
長テーブルの前で座っていた。
「ここ、どこ?」
辺りを見渡す。
家の中だった。朝日が窓からさしていた。
テーブルの上には綺麗な花が一輪。花瓶と共にあった。
窓際の作り棚に、女の子の人形が飾られていた。
「あら、起きちゃったの? 音が大きかった? ごめんね」
台所からデニス姉ちゃんが顔を出す。
料理を作っていたのだろう。白いエプロンで濡れた手を拭いていた。
デニス姉ちゃんは、なぜか背が高くなっていた。顔つきも大人っぽくなって、出るところは出ていてたいへんゲフンゲフンだった。
「え? デニス姉ちゃん?」
成長したデニスは、それはもう美しかった。
茶色味が混じっていた髪は、艶やかな黒一色に。綺麗な瞳、白い肌。
村一番どころか、都でもお目にかかれない美女になっていた。
「姉ちゃんはないでしょ?」
妙にはにかむデニス。頬がピンクに染まっていく。
「え?」
何のことか判らず、しどろもどろになるジム。こちらは顔から火を噴きそうな赤色だ。
「わたしたち、昨日結婚したばかりじゃない!」
「結婚!」
立ち上がるジム。勢いで椅子が後ろへ転けた。
「そう、わたしはあなたの妻よ」
「妻!」
デニスはゆっくりと歩き、ジムの目の前に立った。
「わたしはジムのものよ」
「僕のもの!」
そして彼女は、モジモジしながらこう言った。
「デニスって呼んで!」
ジムは強靱な意志の力で鼻からの出血を阻止した。
「デ、デデ、デニス?」
「なあに? あなた」
デニスの腕がジムの背中に回る。
甘い息がジムの耳にかかる。
きゅっと抱きしめられ、ふくよかな胸がジムの顔を埋める。
動かないで。このまま止まって。世界よ止まれ!
「もう死んでもいい。でも死にたくない」
ジムは世界一幸せな子であった。
窓際の人形が小さく呟いた。
「チョロい」
「うぉーいっと!」
足を踏み外した感に目を覚ますガル。
体の下がやけに柔らかかった。
いや、柔らかくて暖かい場所で今まで寝ていたのだ。
「あら、ガルちゃん起きちゃったの?」
声は上から振ってきた。
見上げると……。
巨大なデニス嬢ちゃんの顔が……。
いや、違う!
「オイラが縮んでるんだ」
ガルはデニスに膝の上で寝ていたのだ。
サイズ的にガルは小犬。デニスの小さな膝の上で充分寝そべられる大きさに成り下がっていた。
「これは何らかの手法による敵の未知なる攻撃であるっ!」
ガルの野生の勘と豊富な戦闘経験が、罠の存在を感知し、全神経に警報を発令していた。
緊張感が理性を研ぎ澄ませていく。
「一緒にお風呂へ入りましょうね」
素直に浴室へ連れて行かれるガル。床へ降ろされた。
ガルは確信した。
これはなんらかの攻撃だ。
だいいいち、匂いがしない。
音は聞こえるが、耳の穴を通してではない。
ほら、衣擦れの音が聞こえるけど、耳は動かない。
ここは脱衣場で……。
デニス嬢ちゃん脱衣中でござるの巻。
おそるおそる見上げれば、嬢ちゃんの顔の下に理想的な貧乳が……。
微乳にして美乳。
デニス嬢ちゃんは向こうを向いた。そして楽園へのドアを開ける。
きゅっと締まったお尻。つるつるできめ細かい肌。股の間から若草の茂みがゲッフンゲッフン!
この現場を見ているのは、棚の上に座る女の子の人形だけ。
けしからん! 実にけしからん!
「よし! 覚悟終了!」
フェンリル狼たるガルは、決意した。決意を決行した!
きりりと男前に顔を引き締める。
「どんと来い謎の攻撃。全身全霊で受けようではないか!」
ガルの尻尾は、先ほどからプロペラのように回転しっぱなしである。
浴室に消えていく一人と一匹を見ながら、人形は呟く。
「ちょろい」
「うむ、む?」
気づいたら、白い床の上にて、大の字で寝ていた。
カン、カン、カン、カン、カン、カン、カン、カン、カン、カン、カン!
何故テンカウント?
キョロキョロと周りを見渡した。
四方に張られた四本のロープ。
「え? 囲まれている? え? リング?」
そう、俺はリングの中央にいた。
サイズ的に俺に合わせているのか?
それとも俺が縮んだのか?
トップロープの位置が、俺のヘソ位置にある。
『さあ、始まります。時間無制限4人デスマッチ! リングに登るのは――』
どこからともなくリングアナウンスが流れてきた。
だれだ? 古板地さんか?
『選手紹介! 先ずは、キングコング・ブルーザー・ブローディー!』
交響曲第5番 運命が流れる。
え?
ひょいとトップロープを片手で押し下げ、伝説の超獣がロープを跨いだ!
腕を上げ、野生の雄叫びを上げる。
インテリジェンス・モンスター、ブローディーだブローディー!
『続きまして、歩く青い人間山脈、アンドレー・ザ・ジャイアンートー!』
入場曲はジャイアントプレス!
2メートル23センチ。見上げられる巨人。
アンドレーが目の前に立ってる!
大巨人が軽々しくロープを跨ぐ。
『本命、ジャイアントー・番場ーっ!」
目本テレビスポーツのテーマが流れた。
うぉーっ! 番場だー! でけー!
面長の巨人がローブを脱いだ。
やや肋が浮いた体型だが、威圧感がすごい!
『最後はご存じ、リデェリアルの巨人・レムーっ!』
流れるのはサンライズ!
呼ばれたからにゃ挨拶せねばならない!
俺は高々と右拳を上げた。親指と小指を立て、雄叫びを上げた。
本編です。前編です。
前回のお話しは、本編と微にゅ……微妙につながっています。




