2.聖都
ダレイオス司教、ゲペウ助祭、そして伝令を命じられたヘッケルが聖都へたどり着いたのは、幾日も馬で駆けた後の事である。
聖都と言っても、常識的な都市を思い浮かべてはいけない。
都と言うにはあまりにも小さな城壁に囲まれた、こぢんまりとした町クラスである。
大きな丘を取り囲むように巡らせた城壁の正面門をくぐる一行。この門は誰でも出入り自由である。
ボロボロになった司祭服を着た遍路の聖職者など、よく出入りする人種の一つ。珍しいわけではない。
ダレイオスは、大聖殿の取り次ぎ口で顔見知りを捕まえた。
リデェリアル村派遣軍について、軍事上極秘の話があると大声でわめき、取り次ぎを頼んだ。
出した名前は、リデェリアル村軍派遣に携わった上位聖職者である。
ヘッケルと名乗る聖騎士の落ちぶれ果てた姿に、ただならぬ事態を察知した係の者は、ダレイオス一行に、ここで待つよう申しつけ、大急ぎで大聖殿へ走っていく。
待つ事しばし。
三人を迎えに来たのは高価そうな服を着た侍従であった。
侍従の案内で聖殿群へ足を入れる三人。
閲兵式ができる大聖殿前広場を横目に、どんどん施設の奥へと案内されるがまま歩いて行く。
ダレイオスは何度か訪れた事のある聖なる館であるが、ゲペウとヘッケルは初めての場所である。右も左も解らず、ぎこちなく歩いているだけ。
「おや?」
ダレイオスは気づいた。
ここから先は司祭ごときでは入れない領域。
教皇の居住であり、執務ための空間、その名も聖宮殿。
長い廊下を抜け、広間を横切り、庭園に出た。
ここは聖宮殿の中庭。
わずかばかりの風と、それに乗って料理の香りが運ばれてくる。
バラの垣根の間を進んでいくと、広場に出た。
そこには着飾った高位の者達が三々五々、集っていた。
儀礼用の鎧をまとった者。きらびやかな儀式用の祭服をまとった者。
おのおのがテーブルにとりつき、用意された料理や御酒を手に、歓談していた。
場違いな格好をしている三人に、何事かと不審な目を向けている。
侍従は臆する事無く、広場の中央へ進んでいく。
目的地には、見た目三十代半ばの男が、背もたれの高い椅子に足を組んで座っていた。
線の細い顎を手で支え、午後の麗らかな日差しを満喫している風。
蜂蜜色の豪奢な金髪。慈愛に満ちたアイスブルーの目。ほほえみを絶やさぬ口元。
胸元をくつろげさせた純白の法衣。
涼やかな気を抜いている体に見えるが、放たれるオーラは周囲を圧倒する。
三人を案内した侍従は、その男の前で頭を垂れ、後ろずさりながら退出した。
椅子に座った男がダレイオスの目を正面から見つめる。
ダレイオスは、ひざまずいてその視線に答えた。
ゲペウとヘッケルは、ダレイオスの態度にただならぬものを感じ、同様に平伏した。
一堂に会した者達は、その服装や身のこなしより、高貴な人々であると判断できる。事実、ヘッケルが知っている国王と貴族の何人か確認できた。
「教皇バライト猊下におかれましてはご機嫌麗しゅう存じます。私は司教のダレイオスと申します」
ダレイオスは恭しく挨拶をする。
「ダレイオス司教。その姿……」
疲れ果てた三人の姿に、バライト教皇と呼ばれた男は言葉を継げないでいた。
「……いかがなされた?」
バライト教皇が立ち上がった。
「この場はベルド公爵の戦勝祝いの席。無礼講ですよ」
ああ、聞いた事がある。ダレイオスは記憶を探った。
異教徒達との戦争が東の地域であった。そこへ赴いたのがベルド公爵だ。
あれは半年前の事ではなかったか? ずいぶんと速い帰還だ。……我々の事は言えないが。
「ここにおいでの皆様は、各地の枢機卿と各国の王家の関係者……ですから、緊張するのも頷けますが、まずは落ち着きましょう」
教皇は、苦笑いを浮かべつつダレイオスの元へ歩んでいき、同様に膝を地に付けしゃがみ込んだ。
「ダレイオス司教。見たところ……」
服装のあちこちに鉤裂きを作り、足元を汚し、無精髭を生やしたダレイオスに、ただならぬ事態を感じ取ったのか、バライト教皇は眉間に皺を寄せていた。
側で控えるゲペウのみすぼらしさに、アイスブルーの目を見開き、聖騎士であるはずのヘッケルが、鎧を捨てている様に口元の微笑みを絶やした。
「……ダレイオス司祭、これは一体何事ですか?」
「はっ! まずお話しの前に、ここにおりますのは……」
わきで控える二人を紹介した。
「聖騎士の勇気ある伝令ヘッケルと、我が弟子ゲペウ助祭でございます」
教皇に紹介される名誉に博し、二人は慌てて頭を下げた。
そしてダレイオスは、全てを話した。
途中、何度かヘッケルとゲペウに確認しながらゆっくりと話をした。
リデェリアル村に、聖騎士一万の軍勢が攻め寄り、虐殺行為に及んだこと。
人面岩で謎の行動をとったこと。
謎の巨人により一万の軍勢が滅したこと。
リデェリアル村守備隊が巨人と青い巨狼により壊滅したこと。
グロイジ司教長が行方不明になったこと。おそらく死亡していること。
守備隊長アナニエが数名の騎士と共に最後の攻撃に出たこと。
などなど、全てを客観的に話した。
全て語るまで、口を挟むことなく聞き終えたバライト教皇は目を潤めていた。
「愛しき聖騎士一万人の魂が救われん事を。リデェリアル村すべての人々の魂が救われん事を……」
バライト教皇は神に祈った。
「ダレイオス司教、並びに聖騎士ヘッケル。助祭ゲペウ。ご苦労であった。そなた達を無事聖都へ――聖宮殿へと導かれたことを神に感謝いたしましょう」
また祈りを捧げる教皇。
その場にいる全員が神に祈りを捧げた。
「ベルサレク枢機卿」
「はっ!」
バライト教皇が振り向きもせず、観衆の中の一人に、冷たい声を掛けた。
呼ばれたベルサレク枢機卿は、痰が絡んだような声で返事をした。
「卿は一万の聖騎士に、無慈悲な命を下したのかね?」
「異教徒でありますればっ! 神の威光を轟かせんため!」
ベルサレク枢機卿は、緊張のあまりか裏返った声で叫んでいる。
バライト教皇は、ゆっくりと左手を額に当てた。
平静を装っているが、顔は心なしか青ざめている。
教皇の様子に、聖教会を構成する頭脳とも言うべき人々が、不安を露わにした。
中でも、数人は事情を知っているらしく、苦い顔をしていた。
「ベルサレク枢機卿。そなた、何を欲した? 力か? 権力か? それとも……」
眉をハの字にしたバライト教皇。ベルサレク枢機卿へ、ゆっくりと歩み寄っていく。
歩み寄られる方は、紙のような顔色をしていた。
「……それとも」
教皇の言葉が続く。
「教皇の地位が欲しかった……のかね?」
「決してそのような!」
ベルサレク枢機卿は聖教会のナンバー2である。
彼は大勢で成す派閥を持っている。目を掛け、金を掛けた子飼いとも言える者達が、この広場に幾人かいるほどに勢力は大きい。
彼は、助けを求め周囲を見渡した。
哀れな枢機卿に視線を合わせる者の中に、親しい者の顔はなかった。
「ベルサレク枢機卿。教皇の名の下に命じる!」
「はっ! いや、あっ!」
ベルサレク枢機卿は、両腕を取る者に驚いた。
いつの間にか教皇親衛隊が彼の両脇に現れていた。
「この件に関して、子細な調査が済むまで個室に籠もってももらう。なお、その間、枢機卿の地位と権限を停止する」
「お聞きください教皇! これは何かの間違いです! 私はそのような命を出した覚えはありませぬ! 教皇!」
数を6名にまで増やした親衛隊員は、ベルサレク枢機卿を見た目は丁寧に引きずっていった。
「ハウル枢機卿。ヨルド枢機卿」
「これに」
声を合わせ、二人の年老いた枢機卿が教皇の前に現れ、頭を垂れた。
「卿らに命じる。事の子細を洗い出すように。あくまで公平に。両者の話を不平等なく聞き取るように」
「仰せのままに」
下がろうとする二人の枢機卿。それを教皇が手を挙げて止めた。
「まて」
しばし思考にふけるバライト教皇。
「戦いで神の国へ召された聖騎士達を殉教者に列せようと思うのだが、いかがなものだろうか?」
教皇の提案に顔を見合わすハウル枢機卿とヨルド枢機卿。
正面を向いて、再び頭を垂れる。
ハウル枢機卿が顔を上げる。
「良き判断かと」
ヨルド枢機卿が顔を上げる。
「それと、聖騎士アナニエに戦闘中止命令、並びに救済軍の派遣を」
バライト教皇は、ヨルド枢機卿の提案に、しばし、考えを巡らせた。
「兵の派遣は……戦場より戻って間もないのに申し訳ない。ベルド公爵、あなたにお願いしたい」
教皇の視線の先に、黒一色で固めた壮年の武人がいた。がっちりした体格で背が高い。この男の場合、整った黒い口ひげが無骨に見える。
列強スリーク王国の軍総監、ベルド・ウラロ・スリーク公爵である。
東方地域で最大の勢力を誇る異教徒の軍をたった七日間で打ち破った英雄。
この集まりの主役であった。
「敵に歯ごたえが無さ過ぎて兵共も拍子抜けしていた所です。気を引き締めるのにちょうど良い。喜んでお引き受けいたしましょう」
右手を胸に当て、わずかに腰を曲げる。聖教会内のみの作法。
「聖教会教皇の名において命じます。リデェリアルの魔獣使いを捕らえ、我が前に揃えなさい。間違った道を歩む異教徒を私自ら正しき道へ導きます」
「仰せのままに。猊下の前に、異教徒共を跪かせてご覧に入れましょう」
聖教会教皇の下命は、主君となる者の命に優先する。それが聖教会に帰順した国家の義務であった。
「教皇の名の下、兵を集めていただいて結構。いつ出立できますか?」
「準備に二日もあれば」
ベルド公爵は、よどみなく答えた。
「いえ、ご心配には及びません。途中キュウヨウ要塞を経由いたします。教皇猊下の名をお借りして、各国の戦力を集めれば事足ります。それでは」
もう一度宮中礼をしてベルド公爵は退出した。
これだけの大役と緊急の軍事を命じられているのに、ベルドはあっさりしていた。
軍事行動など、日常茶飯事だと言わんがごときであった。
「……間に合えば良いのだが」
黙祷するかのように目を閉じるバライト教皇。背中が丸くなる。
広場に招かれた行為の者達も、悲痛な表情を浮かべる教皇の身を案じている。
やがて、教皇は顔を上げ、目を開いた。
アイスブルーの目には力が満ちていた。
「異教徒は悪である。正しき神の教えの前に恭順するよう、教え導くのが我らの使命」
そこで言葉を止め、一度だけ呼吸をする。
「これは曲げてはいけないことです。神の御許にのみ人は幸せと平和を教授できるのです!」
もとの、不思議な力が溢れるバライト教皇へと戻った。
「神が右手を挙げた。すると瞬きするまもなく山が作られた。神が左手を挙げた。すると一息つくまもなく山が消えた。山を作るも山を消すのも神の御技」
聖典の一節を暗唱する教皇。それは神の力を物語る上、最も有名な一節。
聖騎士が異教徒に対し、武力行使を許される根源の一節である。
「聖なる使徒ダレイオス司祭。勇敢な聖騎士ヘッケル殿。聡明な助祭ゲペウ殿。後はわたくし、教皇にまかせ、ゆっくりと休み、疲れを取られるがよい」
勿体ない言葉に何度目かの平伏で応える三人。
教皇の裁量により、聖神殿での滞在を許される三人であった。
久しぶりの三人称。
違和感バリバリです。
もう一話だけ、聖教会サイドのお話しが続きます。




