7.仲間と絆
デニスは飛び起きた。
ガサリという音がしたのだ。
音がした気がしただけかもしれない。
そんな風に思い直しかけたとき、また音が聞こえた。
足音だ。
ガルやレムのような巨体が発する足音ではない。
ガルとレムは……いない。
なぜいないのか解らない。魔獣同士、気が合ったので散歩にでも出かけたと思いたい。
月はとっくに沈んでいた。だけど、闇に慣れた目は、辺りを見渡すだけの事ならできるようだった。
人の形をした影が一つ。
「ガル。レム」
デニスは身構えた。ガルとレムがいない時の自分の無力さを痛感した。
「その声は、デニムお姉ちゃん?」
影から言葉が出た。
それは聞き覚えのある声。
「ジム? あなたジムなの?」
今年10歳になる少年。デニスにまとわりつく弟分で、ガルを手なずけたとき、側にいた子だ。
「お姉ちゃーん!」
ジムが走り寄った。
一度転けてからデニスに抱きついた。
「ジム! ジム!」
ジムも人面岩へ向かっていたのだ。
「大変だったね! 聖騎士と会わなかった?」
デニスはジムをきつく抱きしめた。涙が後から後から流れ出る。全滅したと思っていた村の仲間が生きていたのだ。
「聖騎士とは会わなかったよ。だから大丈夫だよ」
そうか……。
デニスは理解した。ジムは魔獣を連れていない。
自分だけが魔獣であるガルと行動を共にしていた。戦力を持っていたのは自分だけ。
聖騎士達の注意を惹き付ける役割を演じていたのだ。
「他のみんなは? 父さんや母さんは?」
一縷の望みにかけたのかもしれない。同郷の者に出会った安堵感からかもしれない。その言葉を発したのは口だ。そこにデニスの意志は介在していない。
ジムは力なく首を振る。
「僕も……母ちゃんが逃がしてくれて……母ちゃん」
ジムが声を上げて泣き出した。
今まで泣かなかったんだろう。歯を食いしばって耐えていたんだろう。
ジムの腕の力が強まった。
「ごめんねね、ジム。ごめんね」
デニスはジムの頭を撫でた。デニスの目にも涙が溢れていた。
そう、リデェリアル村は滅んだのだ……。
でも、村にはまだ聖教会の軍隊――悪魔共がいる。
村を悪魔から取り戻さなければならない。
わたしが何とかしなければならない。リデェリアル族長の娘であるわたしが!
でないと――。
理不尽に死んでいった祖父や父や母や、友達が浮かばれない!
デニスは、顔を覗かせ始めた朝日に誓いを立てた。
ズシン!
「ひっ!」
ジムが体を硬くした。すぐ近くから音が聞こえたのだ。
見上げると巨大な像が立っていた。
並んで、軒先に肩が届くほどの巨体、青いガルム犬が目を怒らせていた。
「お、お姉ちゃん!」
体中を血で汚した巨大なガルム犬、ガルが近づいてくる。
「大丈夫よジム」
デニスの目に。涙に変わって自信の光が溢れていた。
「わたし達の仲間よ」
震えるジムをギュッと抱いてあげる。
一緒になってガルの首筋へ抱きついた。剛毛に覆われたガルも、首の白い毛の部分だけは柔らかい。
デニスは白い毛並みに顔を埋め、わんわん泣いた。
リデェリアル村の仲間はジムとガルだけ。
いや、レムも仲間だ。
ガルから離れ、涙を手の甲で拭った。
そしてデニスはある方角を指さした。
「帰るわよ! わたしたちの古里へ!」
ガルは動かない。ハッハハッハと舌を垂らしたまま荒い息をするばかり。
レムに至っては彫像のように立ちつくすのみ。
「あ、いけない!」
デニスは気づいた。
指示が命令形になっていないのだ。
使役魔獣には中途半端な命令を出してはいけない。それが父からの最初の教えだったはずだ。
「わたしは、まだまだだ」
呼吸を整え、気合いを入れ直し、臍の下に力を入れ、ある方向を指し、腕を伸ばす。
「命令、リデェリアル村へ帰還!」
ハッハッハッハッハッハッハッハッ――。
ガルの荒い息がとりとめもなく続いている。こちらを見ていない。レムの顔を見上げている。
「お姉ちゃん、ガルが言うことを聞いてくれないよ」
ジムがガルを怖がり始めた。
ガルが言うことを聞いてくれない?
これはいけない!
デニスには思い当たる節があった。
ガルとレムは長時間戦っていた。
魔獣の支配の基礎は一も二もなく落ち着いた心。穏やかな心を魔獣に求めるのである。
戦いは興奮を呼び、穏やかな心ではいられない。
ガルとレムはデニスからの支配を抜けつつあるのではないだろうか。
デニスが寝ていた間、つまり、意識を無くしていた間、ガルとリムは自由行動をしていた。
これは危険な兆候である。
「ジム、支配を強めるわよ! 手伝って」
デニスが両手を揃えて頭上へ掲げる。魔獣支配・奥義の舞である。
「手伝ってって……僕、何も持ってないよ」
「大丈夫。わたしの踊りだけで支配できたんだから。ジムは手拍子だけで十分よ」
ジムは唾を飲み込み、力強く頷いた。
「解った。やってみる」
「コツは心を込めるのよ。みんなの思いを音に乗せるの」
デニスは、腕を柔らかく動かし始めた。
「精霊と魔獣と一体化するのよ……」
デニスは力の限り舞った。
デニス嬢が、ガル先輩の首のモフモフした毛に埋めていた顔を上げた。
意を決したように頷いてるが、俺には嫌な予感しかない。
そして、ある方向を指さして、なにやら喚いている。
意味がわからない。言語が解らないからな。
「おいおいガル先輩、この小娘は何をしようとしてるんだい?」
「小娘言うな! 話の内容からすると、どうやら村へ帰ろうとしているらしい」
「先輩ン家、地上から消し飛んだんじゃないスか?」
「だからよ、意味わかんねーぜ、って感じだよ」
「デニス嬢の文法が悪いのか?」
「いや、俺たちに命令しようとして、文法のおかしい精霊語を使ってるんで余計ややこしくなってんだ。普通に共通語を喋ってくれれば通じるんだがなぁ」
ガルは後ろ足の爪であごをポリポリ掻いている。
こいつ思うんだけど、結構余裕ぶっかましてないか?
つーか、一晩中走り回ってたのに、腹を空かした感じがしない。
ガルってば俺みたいに飯を食わなくても生きていけるんじゃないだろうか?
「村に帰ったって敵の予備軍がゴチャマンといるだけだぜ。何の得にもなりゃしねえ……おっと!」
「それはどうかな……おっと!」
デニス嬢ちゃんがいきなり踊り出した。ジム君が手拍子をとりだした。
ガルは美味しい物を頂くようにして眺めている。
何の踊りなのか解らんが……。
いやいや、ちょっと待てよ……。
俺は手を顎に当てて考えた。
「うーん、これはナイス判断かもな」
「レム君、なにがだい?」
「いいですか先輩? 俺たちは狩る側だ。ましてや聖騎士たちは戦力を大幅に落とした。水に落ちた獲物たちの後方兵站基地を叩く。これは狩りの王道でしょう?」
ガルは何も言わず、俺の顔を見上げていた。
ふん、と鼻から息が漏れる。目がキラキラしていた。
「なるほど。違ぇーねー」
ガルはデニス嬢とジム君を背中に乗せた
すっくと立ち上がるガル。ギャロップで走り出す。
その速度は俺の巡航走行速度でもある。この蒼き狼、頭は悪くない。
「早く来い、後輩!」
俺たちは、デニス嬢ちゃんとジム君の古里であるリデェリアル村へと急ぐ事となった。
無事、帰国できました。
上海で約1時間ばかり死にそうになってました。




