5.逃亡
深い山間の小川に、並んで顔を突っ込んでいるデニスとガル。
いきなりガルが構えた。
空を見上げて、低く唸りだす。
遠くに見える黒い点々は、きっとワイバーンの編隊。
二桁の数が飛んでいる。
「デニス! 判っているわね? この村に何かあったら、集まる場所は人面岩よ!」
母は、デニスにそう言い含めて裏口から逃がした。
村が襲われた朝、家族も隣人も村人全てが、てんでバラバラに逃げた。
集合地点は人面岩。
人面岩とは、いくつもの山を越えた奥地にあるリデェリアル一族の聖地だ。
ここから二日の距離にある。
人面岩は、四つの聖獣が、その中に棲む恐ろしい力を封じている……。
そんな昔話が、リデェリアル村に伝わる。
ガルに跨がって包囲を飛び越えた時が最後。父や母と離ればなれになった。
完全武装の兵士が密集していた。村を幾重にも包囲していた。蟻一匹這い出さないほどに詰めた陣立てだった。
あの胸の文様、聖教会の聖騎士だ。
聖騎士団は、夜明けを待たずして攻撃してきた。
明るい時間をなるべく長く使いたかったのだろう。それは、魔獣使いの村を徹底的に殲滅するためだったのだろう。
千人、いや一万人の単位による完全な奇襲。
包囲による殲滅戦。
彼らは一国を攻めるに足りる戦力でリデェリアルの村を襲ったのだ。
狙いはデニスの目にも明らか。この村を地図より消し去る事。
村人と魔獣を皆殺しにする事である。
聖協会に似つかわしくないゴーレムまでが村を徘徊していた。
いつから聖協会は魔術師と組んだのだろう。
リデェリアルの魔獣使いは勇敢に戦った。
しかし、奇襲による初期ダメージが大きかった。
レッサードラゴンを駆るアリエックの姿は、戦いの中、ゴーレムと聖騎士の間に埋もれていった。
母も、デニスを逃がすため、聖騎士の前に飛び出した。おじいちゃんの姿が見えない。
向かいの家が燃えていた。ジムの家が燃えていた。
素早く飛び出してきたガルと合流できたデニスが幸運なだけだったと言える。
だけど、果たして、それは幸運だったのだろうか?
事前の話し合いとか、通牒などは一切無かった。まったくの奇襲。
聖教会がこの村を襲う理由がわからない。
お母さんとお父さんに合流できない。
何が何だかわからない。
ワイバーンの編隊がこちらへ向きを変えた。
デニスの目が微妙に泳ぎだした。パニックを起こしているのだ。
ガルがデニスの襟首を咥えた。
デニスがガルの口元でブラブラしている。
そのまま森に入り、大きな木の前で立ち止まる。
そっとデニスを降ろし、耳をそばだてる。続いて鼻をスンスンいわせる。
ガルの目の色が変わった。牙を剥き出しにして唸った。
得物を狩る為に生まれてきたガルが、狩られる立場にいた。そのポジションに怒っているのだ。
風を起こし、落ち葉を舞上げ、ガルは森を飛び出した。
追いついてきた聖騎士の一団へと飛び込んでいく。
戻ってきたガルは血まみれだった。それは返り血ばかりではない。
荒い息。
さすがにガルム犬といえど、ギリギリの戦いだったようだ。
「ガル、ガル、ごめんなさい、ごめんなさい!」
デニスは泣きながら謝っていた。
自分が支配の術を掛けたばかりに、ガルは命をかけなければならなくなったのだから。
森の外には、血だらけの聖騎士が散らばっていた。
上空はワイバーンの群れが輪を描く様に舞っている。
ガルは腰を落とした。デニムに向かって背中に乗れと言っている。
ガチガチのままデニムは背に乗った。
強制したものであるが、ガルの意志に答えるのがデニスの義務と思ったからだ。
「ガル、あなたを信じるわ。あなたが死んだら私も死ぬ。私たち、一緒に生きましょう!」
人語を解さぬガルは答えない。
御主人様の命を守る事が支配を受けた魔獣・その生の証。ガルは遮二無二生きているだけだ。
最初はゆっくりと、徐々に速度を上げながら、ガルは森の中を走り出す。
ガルの走行速度は、ワイバーンの比ではない。しかし、邪魔の多い森の中、平野を駆ける時の速度は望めない。
上空からの監視を森の木で眩まそうとしてるのだが、敵も然る者。
何度かは見失ったようだが、数が数だ。すぐに補足され、後を追われる。
森がもうすぐ切れる。
聖騎士の一隊が、そこに先回りしていた。
今度は勝手が違っていた。
既にガルの耳は捉えていたが……。
二本足で移動する重力物。
土ゴーレムの一団が出口を包囲していた。
無機のゴーレムに、ガルの牙や爪は通じない。心を持たぬ巨人ゆえ、吠え声にも反応しないだろう。
その有利を信じてか、ゴーレム周辺に聖騎士は少ない。判断できる機能を持っているのは、ゴーレムを操る術者三人だけだ。
既に夕刻。
もうすぐ暗くなる。ワイバーンの目も夜は地上に届かないだろう。
ここを抜ければ、指揮を執る聖騎士との距離を稼げる。
ガルは、あえてゴーレムの守備担当場所を狙った。
「ガル?」
デニスがガルの首筋を優しく叩いた。大丈夫かと聞いているのだ。
スンスンと鼻を鳴らす事をその答えとした。
デニスはガルを信じていた。ガルが大丈夫と言うからにはこのピンチを切り抜けられるのだ。
ガルには、デニスにすら見せていない奥の手があった。
それをこれから使おうというのだ。
魔獣にあるまじき事だが、ガルは精神集中をしていた。
デニスは、何となくガルの覚悟を悟ったのだろう。振り落とされないよう、ガルの首にしがみつく。
ガルの背がたわむ。
強靱なバネのように力を溜めている。後ろ足にも力を溜める。
術者の隙を読み取ったガル。力を解き放たつ。
バリスタより放たれた鉄の矢がごとく、ゴーレムに向かって一直線に飛ぶ。
無音の超スピードに、ゴーレムも術者も気づかない。
ガルは一度だけ地を蹴り、飛びあがる。
その時に初めて音が発生した。
音に気づいた術者が振り返った時は既に遅し。三人の術者が二人に減っていた。
ゴーレムの反応は早かった。あらかじめ行動形式が入れられていたのだろう。
岩の腕が振るわれる。
腕の下をかいくぐったガル。後ろ足で蹴り上げるも、そこは重量差。逆に押し返されそうになる。
後ろへ飛んで、真横へ飛ぶ。
ちょうどゴーレムと二人の術者が一直線になった。
ゴーレムが攻撃のため体を入れ替える。
ガルが吐いた。
口から青白い光を吐いた。
光に捕らわれたゴーレム一体と術者の動きが止まる。
凍り付いたのだ。
ガルが放った光は水系・高位凍結のブレス。魔獣ゆえ持ち得た魔法のスキルである
移動中のため、バランスを崩していたゴーレムが倒れた。ゴーレムの一団が混乱する。
その隙に、ガルがダッシュ。
山に向かって突っ走る。
ひた走りに走り、ガルとデニスの主従は、人面岩のある御山を目指していった。
人面岩に棲む四つの聖獣が、その中に封された強力すぎる魔獣を守っている……。
その話が本当だったら、……今こそ解放できないだろうか?
デニスは、そんなことを疲労の蓄積した頭で考えていた。
「やはりだめだったか……」
聖騎士の包囲網の外から、つまりリデェリアルまだ半日の距離にある小高い丘。その頂に聖教司祭ダレイオスと助祭ゲペウ主従の姿があった。
「聖教の名も地に落ちてしまったか……」
ダレイオスの目から涙がこぼれ落ちる。
ゲペウがダレイオスの腕をとる。
「司教様、武闘派の歯牙にかかる地はここだけではありませぬ。未来のある地に移りましょう。そして、一つでも多くの命を救いましょう」
ダレイオス司教は、遠くリデェリアル村より上がる黒煙をその目に焼き付けていた。
「いや、リデェリアルへ向かうぞ!」
ダレイオスは丘を駆け下りた。
―― リデェリアル村襲撃から四日目の夕暮れ ――
この丘の上が人面岩。そこまでたどり着くことができた。
何度も騎士団と戦い、ゴーレムの間隙を付き、ワイバーンの目を逃れた。
「もう少しだからね、ガル。頑張ろうね」
デニスがガルを励ます。
少しでもガルの疲弊を助けようと、デニスは歩いている。ずっと歩いている。
デニスはこの数日、ほとんど物を口にしていない。ろくに睡眠も取っていない。
もう限界だった。
次に戦う時がこの世とのお別れ。
自分が死ねばガルも死ぬ。
デニスははっきりと認識していた。
父や母は、もうこの世にいないだろう。
それでも約束の地に向かう。
周囲を警戒しながら丘の上に上がる。聖騎士達は姿を隠せる森や岩場を探している。
見晴らしの良い丘の上は、穴場であった。
もうすぐ夜が来る。夜になれば探査の手もゆるくなる。
逆に言えば、人面岩のすぐ側まで敵の手が伸びてきたと言うこと。もう逃げる場所がない。
登りきった頂上は開けていた。
背の低い草が一面を覆っている。
祭りが開けるほどの平らな広場。
丘の向こう端。そこから山が始まっている。
人面岩は、その山に刻まれた巨大な顔。
斜め上を見上げる目。削げた頬。固く結んだ唇。形象化された顎髭。
強固な意志を持った表情。それが赤い夕日に照らされ、実に神々しかった。
デニスは、人面岩に向かって歩きながら涙を流していた。
やっと来た。
だけど誰もいない。
ここは安全な場所ではない。
やがて聖騎士に見つかる。
一握りの希望が切なさに変わる。
デニスは人面岩にたどり着いた。
硬い岩肌に手を伸ばす。
荒い作りの氏神様は、デニスになにも語らない。
倒れ込むようにしてデニスは座り込む。
ガルも座り込んだ。寝そべったといった方が良いかもしれない。彼も疲れているんだ。
西の空を見た。
ゆっくりと日が山向こうに沈んでいく。
美しい光景だった。
最期に見る光景だろう。
太陽を背にしてワイバーンの大群が飛んでいる。
こちらへ向かって飛んでいる。
見つかったのだ。
物音が聞こえてきた。
聖騎士の操る馬だ。山や森、荒れ地をものともしない巨大で精悍な馬。
地響きも聞こえてくる。ゴーレムのものだ。
「グルルル!」
ガルは立った。
血でかぴかぴになった毛が逆立つ。まだやる気だ。
「もういいよ、ガル。もうやめよう」
デニスの手がガルの前足に触れる。
「わたし達はよく戦った。いっぱい生きた。もういいよ」
「クーン」
ガルは鼻で鳴いた。愛しそうにデニスの頬を舐めた。
そして前を向いた。
ガルの目は殺気に満ちていた。体は生気に満ちていた。
騎乗した聖騎士が姿を現した。丘を埋め尽くす数。
後方にゴーレムが12体。
空には1ダースのワイバーン。
ガルはやる気だ。
敵わぬともやる気だ。
少なくともデニスより後に死ぬつもりはない。
聖騎士とゴーレムの行進は続く。見事に整列した密集隊形。蟻のはい出る隙間も無い。
地が揺れる。
激しい音がする。
デニスは気づいた。
揺れるのは聖騎士やゴーレムの行進が元ではない。
激しい音は聖騎士達とは違う方から聞こえてくる。
どこだろう?
すぐ後ろ。
振動と音は、人面岩からだった。
なんだろうとデニスが覗き込む。ガルがデニスの襟首を加えて飛び退る。
そして、人面岩が爆発した。
第2章 了
キリがいいので、一旦2章を終わります。