1.デニス・リデェリアル
「今すぐ魔獣と決別し、神の名の下、教えに準じなされ!」
髭と髪を綺麗に切りそろえた中年男。今話題の正教会の説法師が、諭すような声で訴える。
無染色の薄汚れた貫頭衣。腰のベルト代わりに荒縄で絞っただけの姿。
リデェリアル村の長ほどの目を持ってすれば、胡散臭さを見抜くことができる。
説法師は立派な靴を履いていた。顔は日に焼けきっていない。手は綺麗なまま。
自分の足だけで旅をしてきた様ではなさそうだ。
「今すぐ帰らないと魔獣をけしかけるぞ!」
長であるアエリックは怒声で応じた。
たとえば、この男の言うとおりにして、魔獣を手放すとしよう。
たちまちの内にこの村は立ちゆかなくなる。経済的にも、政治力的にも。
「切迫しておるのじゃ。話だけでも聞いてくだされ!」
今度は情に訴えようとする。
あの手この手の力ずく。
これは技術。
技術は力でねじ伏せるもの。長は、早くやめにしたかった。
「魔獣の腹の中で説法なされよ。骨も服も残らない。人殺しの証拠が無くなるので何の憂いもありませんが?」
そこまで言われて、やっと説法師は後ずさる事を思いついた。
事はついでである。長は指笛を吹く真似事をした。
「また参ります」
説法師は肩を落として逃げていく。
事前の準備なく指笛だけで魔獣は操れないのだが……。長は魔獣を操るための複雑な儀式を思い浮かべて苦笑いを浮かべた。
ウラロ王国の国境線。
ここ、リデェリアル村は、特別な村として大陸に名を馳せていた。
魔獣使いとしての名と、強力な使役魔獣により、細々と繁栄を続けてきた村だ。
主として戦争であるが、ベルクライン王国の求めに応じ、魔獣と魔獣使いを戦力として提供することにより、税のほとんどを免除されている村である。
経済的に豊かになろうと思われるが、農業に向かない山間部という立地条件。並びに魔獣の飼育と魔獣使いの育成に裂く経費と時間が、発展を阻害している。
だが、村人達は実直な性格と勤勉の風習により、世代を重ねてきたのだ。
魔獣とは不思議の力を持った巨獣。
魔力を蓄え、魔法の力を息をする様にして使う獰猛な獣。通常の獣とは魔力の有無で区別できる。
巨大な魔力を持つ故に特別な進化を遂げた不思議な生き物。
特殊な宗教の教典には生物でないと定義されているくらいだ。悪魔や魔人と等しく扱われる。
もっとも、悪魔や魔人の目撃例が百数十年に一度に比べ、深い森の奥や荒れ地では日常茶飯事に目撃される魔獣の方が馴染みがあると言えるが……。
魔獣を技術だけで使役するリデェリアル村は、世間一般の目で見て、かなり特殊な存在である。
そのリデェリアル村にも、世間一般と同じく普通の生がある。
デニス・リデル、13歳。
リデェリアル一族、族長の三女として生まれる。
同年齢の女の子と比べ、低い部類に属する身長。未成熟な体つき。オドオドとした目。
茶色がかった黒髪は背中に届くかどうかという長さ。
印象的なのは小枝の様に細くて華奢な手足。
あと三年もすれば……、もう少しふっくらとすれば、美しい娘となること間違いなし。
その地位もあって、一族の若者よりの求婚を捌くのに苦労するであろう事が約束された幸せな娘。肉付きが良くなりさえすれば!
……のはずだった。
デニスは村の子供達と山へ入っていた。10人ばかりの集団である。
リーダー役はデニスより一つ上の男の子、カイル。
デニスはその性格からどうしてもリーダーには成り得ない。
極度の上がり性だったからだ。
村長の娘といえど、ムラの共同体から課せられる使役を免れるほどこの村は大きくない。
山間に点在する、せいぜい30軒の集落である。
薪拾いは子供達の大事な仕事。
人類共通の敵、魔物や魔獣が怖いところである。だが連中は、もっと深い山奥に生息するのが常。
ましてやリデェリアル村は魔物を使役する村。
強弱合わせ、数十頭にのぼる魔獣を飼っている。騎士一個大隊または、傭兵団一個に相当する一大戦力である。
そんなおっかない村に近づこうという魔物・魔獣はいない。いないこともないが、発情や怪我やその他の理由による単発ものしかない。
今は魔獣共の発情期でもない。山で魔獣同士の抗争があった気配もない。
その他に相当する原因は可能性として限りなく無に等しい。
ところが、その他の原因が起こってしまった。
「デニス姉ちゃん、あの子、どこの家の子だったっけ?」
筋向こうに住むジムが、突然、指を差してそう言った。
今年8歳になる洟垂れ坊主。デニスが弟のようにかわいがるやんちゃ坊主である。
「どこの子って?」
最初、デニスは村の子供かと思った。
でも子供だったらジムが知らないわけがない。たった30軒あまりの小さな村。子供達はみな家族のような者だったからだ。
つまり、あの子とは、人間の子ではない……?
魔獣という意味でのあの子?
リデルの指さす先を見る。
鬱蒼と茂った木々の向こうには何も無い。
青白い壁があるだけだった。
……そんな色が森にあるはずない。
上を見る。
巨大な顔がデニスを見下ろしていた。
それは犬、もしくは尖った狼の顔。
全身が氷のような青白い体毛に覆われた魔獣だった。
どうひいき目に見ても肉食の魔獣。
凍て付く蒼色の双眸が、デニスを静かに見下ろしていた。
心配してましたけど、この世界に人間はいるようです。
第1章は修行編みたいなもので、本編は第2章より始まると言って誤りは無いでしょう。
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