グルジの妹
木陰で介助を受けながら、探索者の男にこれまでの過程を要約して説明した。
そこへ、茶色の外套に身を包んだ一人の少女が近づいてきた。
さきほど、ベルと見間違えた少女だ。よく似てはいるが別人だ。背の高さが全く違う。
顔はほっそりしてはいたが、あどけなさの残るゆるやかな頬。
普段は温和な顔立ちなのだろうが、今は口元をきつく引き締めている。
どうも怒っているらしい。不甲斐ない俺の態度が気に障ったのだろうか。
少女の外套の隙間からのぞいた服に、思わず目を見張る。
鈍い金色の刺繍が施された白い法衣。
どこか古さを感じさせる地味な模様だったが、幾重にも織り込まれた深い魔法を感じる。一針ごとに、丹念に詠唱を織り込んでいったのだろう。気の遠くなりそうな手間を込めた最高の品だ。審美眼の確かな者が鑑定すれば、相当な値がつくだろう。探索者の面々はこの事実に気づいているのだろうか。
あらためて少女を確かめる。
足運びや全身の挙動がぎこちない。
未熟なのが手に取るようにわかる。
このフィーリアンには過ぎた衣装だ。
少女が怒気をはらんだ顔で右手を上げた。
俺に向かって平手打ちの軌道を描く。
その緩慢な速度は、なにかの冗談かと思う程だ。
接触する寸前、その平手を人差し指で払いのける。
体勢を崩された少女は身をくねらせ、尻もちをついた。顔を真っ赤にして立ち上がった。
その一生懸命さは嫌いじゃない。
「よせよせ」
探索者の一人が少女を取り押さえた。
「だってあの人が!」
少女がわめいている。
リーダーが厳しい顔で話しかけてきた。
「あの子は、あんたのリーダーの妹だそうだ」
「そうか」
俺は立ち上がって少女に近づく。
取り押さえていた男に合図して手を離させる。
少女が涙ながらに怒鳴る。
だが、こちらにはすまないとか申し訳ないという気持ちはない。
それを伝えると余程悔しいのか、少女は言葉にならない声をあげながら杖で殴ろうとする。
少女を止めようとする男を俺は制した。
大振りの杖がゆるやかにゆっくりと、無駄な軌道を描いてこめかみに迫る。
なるべく衝撃を受ける位置に自分の頭部を移動する。
長い時間が経過して、やっと杖が接触した。
ところが、あまりにも軽い衝撃で別の意味で驚いた。
こいつは本当に探索者なのか。
昏倒する意識のなか、少女が驚きの表情になった。
まるで初めて人を殴ったような顔だ。
こいつ、本当に――
目を覚ますと、横で少女が目を腫らしていた。
俺の覚醒に気づくと、いきなり抱きついてきて謝り出した。
なんだこいつは。
声がこめかみに響く。
少女を払いのけて立ち上がる。
リーダーに礼を言おうとしたが、どこにもいない。
「どこにいった」
少女が不思議がる。再度たずねる。
「ほかのヤツらは?」
「出発されました」
「もしかして依頼したのか」
「はい。次の街に行くついでとかで、安くしてもらいました」
この辺りは豚兵がうろつく危険地帯だ。だが、日中は平穏そのもので金を払うほどじゃない。まんまと騙されたというわけだ。
立ち上がると少し眩暈がした。まだ回復していないようだ。
「大丈夫ですか、あっ」
追いすがる少女を払いのける。
これから街に戻って装備を調達しなければならない。なにかと物入りになる。
足運びを確かめる。問題はなさそうだ。
夜通しにはなるが、街に戻れるだけの体力はある。
「怪我は――え?」
少女がうっとうしいので取り押さえる。袖をつかむと丸太を握っているみたいに力がはいらない。魔法の効果か。
「いったいなんなんだおまえは」
「グルジ兄さんのことを聞かせてください」
不吉なイメージが浮かぶ。嫌なことを思い出させる。
「ヤツなら第六階層で、獣と悪魔に挟撃された。今頃は原型をとどめてないはずだ」
少女が息を詰まらせ、呼吸を荒くする。探索者にあるまじき動揺振りだ。
「あなたは、なぜ、ここにいるんですか」
「信念だからだ。仲間を見捨ててでも生還するっていう」
少女がきつい顔つきで平手打ちしてきた。軽く反らす。
「殴りたかったらもっと鍛えてからにしろ。じゃあな」
「待ってください!」
「なんだ」
「助けたお礼をしてください」
俺が虫に襲われたときのを言ってるんだろう。たしかに礼を返す義務がある。
「今は見てのとおり手持ちがない。街に戻ったら」
「お金はいりません!」
「なに」
「わたしとパーティを組んでください」
「なんだと」
*
言ってる意味がわからなかった。
目の前にいるのは未熟とはいえ仮にも魔法使いだ。しかも、治癒魔法を扱えるフィーリアンならば引く手数多だろう。
「正気か。自分がなにを言ってるかわかってるか」
「はい。決定でいいですね」
「待て」
あらためて少女を観察する。
さっきの空気を操る魔法をみれば、それなりの使い手とわかる。しかし格闘術はどうだ。素人以下だ。言動もどこかおかしい。若年者にありがちだが社会を知らなさ過ぎる。苦労するのは目に見えている。
思案していると少女が必死に言う。
「グルジ兄さんは、あなたを高く評価していました。自分の背中を任せられるのはあなたしかいないって。あなたのおかげで探索が楽になったと何度も言ってました」
それは初耳だ。グルジがそんなことを思っていたとは。あの無茶な単独突入はそれもあったのか。
「それなのに! あなたは兄さんを見捨てて自分だけ!」
そこまで言うのなら仲間にしたくないはずだ。おまえはどうしたいんだ。
「兄さんは、自分が死んでもあなただけは生還させると言ってました。だからあなたを恨むなとも」
「だから?」
「え」
「探索者は非情になって当然だ。命なんてもんは、いくらでも生まれてくる。場合によっては一切れのパンより安いときだってある。学校で習わなかったか」
「それは」
「おまえも探索者なら、いちいち感情的になるな。礼はあらためてする。もういいな」
「だめです! わたしとパーティを組むんです」
「くどいな」
「わたしは兄さんのパーティに加わる為にここに来たんです。あなたはまだパーティの一員のはずです」
「理屈ではそうだが」
迷宮への探索時には、管轄の斡旋所に届け出るのが義務になっている。今回の届け出には少女の言う通りの扱いになっているはずだ。
「あっ」
少女がなにかに気づく。
「そうです。これはお礼じゃありません。ここに来る前、斡旋所で確かめてきました。わたしの名前がもう明記してありました。わたしはパーティの一員です」
少女の言うことは間違いない。迷宮にはいる前、グルジがそう言っていたからだ。
だが、パーティの脱退は自由だ。そもそも単なる届け出に拘束力などない。
こちらの考えを見抜いたのか少女が言う。
「もちろん強制力がないのは知ってます。でも」
「でも?」
「ずっと付きまといますから」
悪寒が走った。少女が俺をあちこち捜し回っている姿が浮かんでくる。本当にやりかねない。
「……わかった。承諾しよう」
「わあ」
少女の顔が満面の笑みに変わる。
「喜ぶのは早い。条件がある」
「なんでしょう」
「……」
「はい?」
「リーダーは、おまえがなれ」
「はい? えっ? そんな!」
「これは絶対だ」
「できません! できません!」
大げさに首と両手を振って断ってきた。
「だったら、この話はなかったことにしろ」
「そんな。どうしてなんですか。それも信念ですか」
「いや……」
「理由を教えてください」
「師匠に言われた。リーダーにはなるなと」
「なぜですか」
「知るか」
俺の素っ気ない返事に、少女が考え込んで。
「わかりました。リーダーになります」
本気か。
「本気か」
思わず口に出してしまう。なぜ断らない。
「これからよろしくお願いします」
本気で眩暈がした。これじゃ笑いものだ。探索者にとって評価は重要な要素だ。二度と依頼を受けられなくなるかもしれない。
*
隆起する森の道を進んでいると、少女が露出した根に足をぶつけて転んだ。
歩いているとまた転んだ。
さらに転んだ。
法衣の魔法効果でたいした傷は負わない。
そう言ってるそばから今度はよろめいた。
イライラしてきた。
少女の首元を掴んで「いい加減にしろ」と脅す。
「す、すみません」
うつむいて、少女がグルジの名前を口にした。同時に目に涙を溜めて泣き出した。
「すみま、せん」
うずくまって歩こうとしない。
そうこうしている内に木々の暗がりが濃くなってきた。
日が暮れようとしていた。
*
起伏のある森の斜面を見繕い、野宿のできる場所を確保する。
木々に遮られて向こうからは見えづらく、こちらからは見やすい。
この森にはドップと呼ばれる豚兵が徘徊している。道に馬の足跡があり、周辺の木々に、遊びがてらに打ち叩いた傷があった。豚兵がよくやる習性だ。
「ここで野宿するんですか」
ようやく気を落ち着かせた少女が、いまさらなことをきいてきた。
「物音を立てるなよ」
「わかりました」
少女はうなずくと、荷袋から灰緑色の毛布を出す。身を隠す際、周囲と同系色を選ぶのは教本通りだ。
「知ってて選んだのか」
「なにをですか」
少女はきょとんとしながら答えた。
「いや、いい」
魔法学校では魔法至上主義なところがあるとは聞いていたが、ここまでとは思わなかった。魔法使いは素質に大きく左右されるため、泣く泣く退学する者が多い。そのために頭数が少なく、慢性的な人材不足に陥っている。周りからの卒業基準を低くしろとの声に押され、未熟な者が多く輩出されることになった。質の低下を嘆く者も多い。
草木を敷いた斜面にもたれていると、少女が毛布にくるまった。
「寝ないんですか」
「こうしているだけで充分休んでいる。それより声を低くしろ」
「ごめんなさい」
少女は毛布に顔をうずめた。
森が濃い闇に沈んでいく。迷宮と違うのは、多くの生き物の息吹がざわめきとなって発せられることだ。
枝葉の隙間を抜けて、赤い夕陽の光線がちらちらと目に突き刺さる。
瞬く間に、森が深い闇に包まれていった。
*
意識が遠のきだす。目も霞みはじめた。
眠りに落ちそうだった。思いのほか疲れがたまっていたようだ。堆積した傷が眠りを誘っている。警戒就寝が難しいほどだ。このままでは意識を没っしてしまう。
少女を起こす。
「なん、ですか」
「少し眠る。その間警戒しててくれ」
少女が慌てて身を起こす。
「は、はい。どうぞ」
「物音がしたらすぐに起こせ。頼むぞ」
「はい、わかりました」
少女が険しい顔つきで辺りを警戒するのを確認してから、目を閉じて眠りに落ちた。
*
異世界にいた。
見慣れない服を着た人間があちこちにいた。
誰も鎧を纏っていない。武器も携えていない。軽装で色とりどりの服を着ている。
道は固く整備されていて、奇妙な光沢を放つ巨大な建物が建ち並んでいる。 おびただしい直線で構成された異世界は、技術を超越したという表現では遠く及ばない不可思議な光景だった。
内部を見透かせるガラスを大量に面した意匠。大量の異国文字。どれほどの労働資源が投入されているのか、まるで見当がつかない。
向こうの空に、天まで届こうとするほどの高い塔がいくつも建っている。おそろしい光景だ。
暗闇が訪れると、おびただしい光彩が瞬く神の世界。
果たして魔法の力だろうか。
道を進んでいると、地面に二本の鉄の棒が敷かれていた。左右にどこまでも果てしなく続いている。その鉄の棒に沿って、重量感溢れる巨大な乗り物が走行してきた。四十人は楽に乗り込めるだろう鉄の外装の乗り物が六つ、連結して走行していく。軍の大隊移動に使われるものかと思ったが、誰もが気軽に乗車している。彼らは一体どこへ行こうというのか。旅か、民族移動か。
捉えきれない情報が洪水のように溢れ出して、そして薄れていく。
これまでに何度も見てきた異国の映像だった。