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竜紋士シグ  作者: アタケ
1/21

暗闇の迷宮

PCゲーム「ウイザードリィ」に影響を受けた迷宮探索ものです。

他のブログで途中まで、連載していました。


「転生を信じるか」

 唐突に声をかけられた。

 普通なら一笑に伏すところだが、その言葉は甘美な匂いを放った。

 自問自答を繰り返しているうちに、奇妙な場所に連れてこられた。

 仄かな蝋燭の灯かりが揺れる、薄暗い一室だった。

 足元の硬い床に、大きな円が描かれていた。

 円の中央には三角形を組み合わせた図形が描かれ、不吉な記号が青白く輝いている。

 生温かい空気を伝って、なにかを唱える声が漂ってきた。

 暗闇に、青白い火柱が立ち昇った。

 空気が薄くなるような息苦しさを感じる。

 意識が遠のいていく。

 この場を離れようとすると影が立ちはだかった。

 ここに誘い込んだ人物だ。

 その顔を見て、騙されたことに気づいた。

 口をつりあげた卑屈な笑い。

 その顔を絶対に忘れない。


 *


 目を開く。

 周囲は暗闇に包まれている。

 また、異国の夢を見ていた。

 ひんやりとした壁にもたれながら、空気の流動音に神経を研ぎ澄ます。

 足音が近づいてくる。

 たどたどしい歩き方。

 暗闇のなかから小柄な、幼い少女が現れた。

 灰色の法衣に身を包み、外套を羽織っている。

 少女がぎこちない笑顔で携帯食を差し出してきた。

 受け取ると少女は満面の笑みを浮かべて戻っていった。

 向こうでは三人の男女が話し合っている。

 少しして、一人の男が陽気な笑顔で近づいてきた。

 鎧に身を包んだ長身の戦士だ。鍛えられた筋肉が盛り上がっており、ゆるやかな曲線を描く長剣を携えている。装備一式から威圧する気配を感じる。

 その戦士に対し、俺は頭の中で思考試合を試みる。手始めに、手持ちの短刀でそいつの鎧の継ぎ目を狙ったが、あっさり刃先が弾かれた。すかさず反撃の一振りが襲いかかってくる。数度試してみたが、見えない力によってことごとく阻まれる。

 妄想をやめ、目の前にいる戦士・グルジを改めて一瞥する。彼の装備品は込められた魔法が効果を発動する、いわゆる魔法の武具だ。

「優しくしてやれよ」

 笑いながらグルジが言った。彼はこの迷宮探索パーティのリーダーでもある。

「ベルはおまえと話したいんだぜ」

 その言葉に引っかかる。幼い少女のベルは一度も発音したことがない。言葉を失っているからだ。わざとか無意識なのか、グルジはよく適当な言葉使いをする。

「必要ない」

 俺の返事にグルジはため息をつく。

「まあいいさ。そろそろ行くぞ」

「待て」

「なんだ。怖気づいたか」

 今度は薄笑いを浮かべた。こちらの怒りを誘っているのか。無視して言う。

「探索を中止してくれ」

「おいおい、まだ言ってるのかよ。もう納得したんじゃなかったのか。みんなはやる気満々なんだぜ」

 確かに、ここで士気を衰えさせるのが賢明じゃないということは、重々承知しているが。

 グルジは言う。

「命が惜しいってのはわかる。でもな、今やめたらパーティは解散になっちまうぜ」

「それを説得するのがおまえの役目だ」

「まいったな」グルジが頭をかく。「危険ならすぐに引き返すさ。でも、なにも起こってないんじゃ、そいつは無理な話だ」

「わかってると思うが、いざとなったら」

「ああ、言わなくていい。誰だって死にたくはないさ。しかしな。探索者ってヤツは根が博打好きだ。こんな危険な迷宮に挑むんだからな。それはおまえも同じだろ」

「俺は違う」

 グルジは苦笑する。

「まあ、気づかいには感謝はしておくぜ。行こう」

 渋々うなずき、闇に向かう。

 歩行に気をつけながら考える。この迷宮を探索してからずっと、引っかかるものがあった。

 最近まで存在が知られていなかった迷宮。

 いつ作られたのか不明。

 地元の人間でさえ気づかなかった。

 挑んで戻ってきたのは数名。

 どうにも嫌な感覚がしてならない。

 この疑問への返答は決まっていた。

 ――辺鄙な場所にある迷宮には魔物も多く、わざわざ近づく必要がない。迷宮は最近になって発見されたので、探索者が少ないのは当然。さらに、最寄りの町には主要な施設が揃っておらず、寄りつく探索者も少ない――

 どれも、もっともな意見だ。

 情報では、最高到達地点は地下第六階層。迷宮の奥には、三つの顔を持つ獣が巣食っているという。

 おそらくガルモと呼ばれる魔物だ。岩をも砕く豪腕をもち、ひと蹴りで地を滑空し、硬い表皮は剣を弾き返す。中級の探索者には攻略が難しい怪物だ。

「おう、そろそろ行こうぜ」

 グルジのささやく声で仲間たちと合流し、隊列を組む。

 先に立つのがリーダーのグルジ。それに自分がつづき、戦士のマーカスが並ぶ。

 後列には主に回復魔法を扱うフィーリアンの女・ビアスと、攻撃魔法を得意とする見習いマイザンストールの少女・ベル。

 グルジを追いながら周囲を警戒する。

 俺たちの背後に気配はない。

 暗闇ではあったが、ビアスの支援魔法によって状況把握は容易だった。

 通路は馬車が通れるぐらいの幅がある。石畳の床は凹凸が多く、小石も多い。

 無音の足運びは自然にできて当たり前だが、ベルの歩みがわずかに遅れている。「見習い」のつくマイザンストールではそれも仕方がないだろう。

 グルジが壁際に身を寄せた。

 全員の呼吸が停止する。

 ベルの心臓の鼓動が速い。

 この先の広間に、無数の蠢く物体がいる。大型の巨虫が宙を舞っているようだ。

 全員の呼吸が揃う。

 こぶしひとつ分の間をおいて、グルジが飛び出した。

 広間に陣形を展開。

 その隙間を縫って熱風が解き放たれた。

 両腕で抱えきれるかという火球が一直線、宙を突き進み、多くの巨虫を丸焼きにする。

 マイザンストールの攻撃魔法だ。

 難を逃れた巨虫が、頭上を飛び交っている。

 急降下するところを確実に仕留める。グルジも刀の切っ先で両断している。リーチが長いだけに、すでに多くの死骸が散らばっていた。

「もう残っていないよな」

 マーカスが壁際の黒炭を睨んでいる。

 ボフッと煙が舞い上がった。ビアスが火球の残骸を蹴り飛ばしていた。

「ろくなもんがないわね」

 消し炭のなかから硬貨や金の粒が転がり出てくる。魔物には光り物を集める習性があった。迷宮の探索はこういった金品を回収するのも目的のひとつだ。ほかには珍品を目的としている者もいる。

「油断するなよ」

 マーカスが頭上や壁面を気にしている。いびつな足運びをするマーカスは、以前、倒したとばかり思っていた怪物に足首を切断されたという。

 ビアスが熟練の技術を身に付ければ、いずれは神経を完全接合することも夢じゃないだろう。ただし、魔法使いが上級魔法を扱えるようになるにはそれなりの歳月が必要だ。熟達のフィーリアンに治療してもらう手段もないではないが、とんでもない治療費を請求される。

「ベル!」

 グルジが叫んだ。後方のベルの頭上に、一匹の巨虫が舞っていた。巨虫が羽をすぼめた。急降下の合図だ。

 ベルは左右を見回している。

 巨虫が降下する。猛毒の針を突き出している。

 ベルまでは距離が遠い。通常走行では間に合わない。

 俺は強化体術を発動する。

 すかさず体内に吸い込んだ空気を圧縮し、全身の筋肉を硬化させる。

 周囲の空気が弾けとぶ。

 地を蹴り、闇を疾走する。

 足から痛みが噴出する。

 筋肉が断裂する前に跳躍。

 短刀を振り抜き、巨虫を寸断する。そのまま自分の勢いを殺しきれず、上体を捻って背中をぶつけ、地面を転がって静止した。

 足が腫れ上がっていくのを感じる。

 強化体術は己の身体能力を向上させる技術だ。発動の強度によって、筋肉の断裂や粉砕骨折の状態になる。下手をすれば即死もありうる。

 向こうでグルジが頭をかいている。まったく無様だ。

 泣きそうな顔でベルが駆け寄ってくる。

 それよりも回復が先だ。

「ビアスを呼んでくれ」

 ベルがうなずき、駆けていく。

 金品を拾うのに熱中しているビアスを、ベルが引っ張ってくる。

「はあ。しょうがないねえ」

 ビアスがしゃがみ、両手を俺の負傷した足にかざす。見えない力が加わるのを感じると同時に、波打つように激痛が噴き出す。これまでに数回治療を受けたが、ビアスの治療は荒い。

「ほい、終わり」

 ビアスはさっさと引き返していった。

 足にはまだ痛みが残っていたが、なんとか立ち上がれるようになる。

 グルジが近づいてくる。

「災難だったな。ベルも次からは気をつけろよ」

 ベルがうなずき、平謝りしてくるのを制する。ふと、その顔が天井を見上げて止まった。

 視線の先――天井に干からびた巨虫が張りついていた。

 小石を拾う。

 警戒していたマーカスが疑念の顔になる。

「なにをするつもりだ」

 気にせず小石を命中させ、死骸を落とす。地面に接触すると乾いた音がした。ひび割れた殻から翡翠らしき宝石が覗いている。手にするとかすかに魔法力を感じる。

「運がいいな」

 グルジが言う。

「そいつには魔法を蓄積できる護符の効果がある。ウチの妹も似たようなのを持ってたな」

 グルジの実家は魔法工房をしていたという。幼い頃から魔法の装飾品に親しんできたグルジには簡単な目利きなのだろう。

 目を輝かせているベルに、宝石を投げ渡す。

「?」

「おまえが見つけたものだ」

 俺の行動に、マーカスが意外な顔をする

「いいのか。結構な代物だぞ」

「戦闘で返してもらうさ」

「ふん。分け前からは引いておくからな。ベル、もらっておけよ」

 ベルは何度もうなずいて喜ぶ。実際、ベルが身につけたほうが全体の為になる。

「ほんと、ロクなもんがないね」

 こちらのやり取りを知らないビアスが、拾い集めた貴金属を袋に収めている。マーカスが注意する。

「ちゃんとしまっておけよ」

「わかってますって」

 ビアスが飄々と応える。当人は、してやったりという顔だが、くすねているのはお見通しだった。知らない振りをするというのも疲れる。ビアスのほうもこちらに薄々勘づいているようで、不穏がられているようだが。

 マーカスとビアスの二人を盗み見る。二人はおそらく殺人を犯している。これまでに数え切れないほどの人間の顔を見てきたが、二人の顔相と行動から、人間を殺しているのが手に取るようにわかった。

 そんなことは露知らず、ベルが近づいてきて口を開閉する。「ありがとう」と言っていた。

 手で制する。別にそんなつもりじゃない。

「いくぞ」

 グルジの合図で先に進む。まだ探索は終わっていない。


 *


 迷宮の第五階層を探索し終えた。

 なだらなかスロープ状の下り斜面を前に、休息を取る。

 ここの迷宮の構造は蟻の巣に似ている。広間のような開けた空間が、細長い通路で結ばれて水平に配置されている。上下の階層間は階段、もしくはスロープ状の斜面で繋がっている。稀に落とし穴と見間違うような縦穴になっているときもある。

 ほとんどの迷宮は魔法使いによって作られたものだと言われている。

 マイザンストールの魔法には地面を掘り起こす呪文がある。昔、誰がはじめたのか魔法使いの間で迷宮作りが流行した。強大な魔法が気兼ねなく存分に使えるというのが大きな理由だったという。

 迷宮作りに熱中するうちに、大量の仕掛けを施す者が現れるようになった。常人には危険な場所であったが、魔法使いには格好の遊び場だったようだ。

 だが、地下室を作る者が続発するようになると、地面の陥没などや魔法実験の悪影響が深刻化した。そこで、魔法協会によってただちに禁止令が出され、迷宮作りは沈静化した。

 ほとんどの迷宮は埋め立てられたが、奥地にあるものは魔物の発生減少させる効果があるとの理由で保留状態になっている。実際はただの放置だったが。

 迷宮作成は人間を治癒する作業に酷似していると、かつての大魔法使いが言葉を遺している。


 *


 俺たちは第六階層に降り立った。

 迷宮では層が深くなるにつれて瘴気が濃くなり、体調を崩しやすくなる。知覚神経も鈍くなり、魔法効果も弱くなる。

 だが、こちらの体調は良好だ。装備にも問題はない。

 探索は順調に進み、第六階層が最下層との確信にいたった。

 底から伝わってくる震動に、空虚な乾いた感覚がなかったからだ。固くて重く、遠いものしか返ってこない感覚は、これまでに踏破してきた迷宮の、最下層と同一のものだった。

 俺は、亡くなった師匠から百の依頼達成を課せられていた。この迷宮を踏破すれば折り返しに達する。

 その先の指示はない。なにも考えていない。

 達成すれば見えてくるだろうと師匠は言った。

 だからこそ、死んでは意味がない。確実にこなしていかなければならない。

 先を行くグルジが足を止めた。

 暗闇の迷宮に灯かりが現れている。

 迷宮の仕掛けであることは事前情報で知っていた。

 三つの顔を持つ、獣のいる場所。

 仲間たちが息をひそめ、己の武器を握りなおす。

 リーダーのグルジが全身をかすかに震わせる。

 右足の、五指のつま先から踵へと伝わり昇る筋肉の連動がわかった。

 飛び出したグルジを追って、仲間たちが続く。

 開けた場所に陣形を展開する。

 すかさず、地を轟かす咆哮が放たれた。

 真正面のいかめしい古びた門の前に、番犬の如き獰猛な獣がいた。

 凄まじい怒気を放つ三つの顔。石を踏み砕く剛足。

 ガルモだ。

 突然、ガルモが掻き消えるように姿を消した。瞬時に横っ飛びした。

 あまりの力で石畳が踏み砕かれ、ツブテが飛びちる。

 グルジの構えた両刃剣が空気をうならせ、直角に迫る獣を牽制する。

 筋肉の隆起した長身のグルジと対峙して、獣の巨大さがわかる。

 上から見下ろす獣が、喉を震わせた。

 たちまち、眩暈がした。

 耳に残響音がこだまする。

 ガルモの威嚇音波だ。

 わずかに筋肉が萎縮する。

 だが、豪胆の戦士グルジは、ものともせず突撃する。

 切っ先が獣に届く寸前、横なぎに吹っ飛ばされた。

 転がり止ったグルジの鎧装甲が、一部凹んでいた。

 同時に、肋骨三本の骨折を聴き取った。

 グルジは何事もなかったように立ち上がる。フィーリアンの強化詠唱と鎧の魔法効果がなければ、内臓をごっそり喰われていただろう。

 この意外な結果に、ガルモがその威勢をひそめた。ただの雑兵ではないことを認識したのだろう。

 ――相手に油断をさせない。

 このやり方は長丁場になるが、敵に攻撃を躊躇させ、行動を著しく制限させる効果がある。

 相手をこちらの方式に引き込む。

 生存して帰還する。その為の戦闘術式。

 だが、グルジの行動には眉をひそめずにはいられない。

 ――いつものことだ。

 雑念を斬り捨てる。

 グルジの振りかぶり動作がはじまる。

 ガルモには死角がない。

 下手に接近すれば体当たりを喰らい、体勢を崩されて終わりになる。

 それならば、当たらなければいいだけのこと。

 俺は獣の怒声を退け、距離をつめる。獣はグルジの両刃剣を飛んでかわした。そのかわした先へ、二重運足の足さばきで接近する。

 完全な背後からの奇襲だった。突然現れた俺の姿に、ガルモのすべての筋肉がこわばった。

 まだヤツの四足は着地していない。

 斬撃の迸りを。

「!」

 口笛にも似た奇妙な音波が突き抜けていった。

 全身に不吉な悪寒が走った。

 通路からおびただしい量の黒い瘴気が漂ってくる。

 同時に、一番後列にいたビアスのところから、巨岩に押しつぶされたときの液体の弾ける音がした。

 俺はガルモへの攻撃をやめ、距離を取る。顔をそのままに視野の端で捉えた。

 そこには、そびえたつ異形がいた。

 青白く、黒々とした人間を模した巨大な姿。

 だらしなくのびている六本の腕。

 天井をこすろうとでもいうのか、不気味な三角耳を生やした頭部が首を曲げている。一つしかない巨眼が、つまらなさそうに俺たちを見下ろしている。

 ――ガルモが仲間を呼んだ。

「ありえねえ」

 マーカスが口を震わせている。

 仲間を呼ぶ芸当ができるのは悪魔しかいない。だからこそ、獣に属するガルモという強敵に挑んだ。その為に装備を整えてきた。一体なぜだ。これは特例とでもいうのか。

 異形の巨大な拳が、突き刺さっていた地面から浮き上がる。

 爆心地にも似た円形に凹んだ石畳の下に、砕け散った肉塊と大量の鮮血が迸っていた。

 この異常事態に、仲間たちは完全に呑まれていた。

 グルジが正気を取り戻す。

「よけろ! マーカス!」

「ごがっ」

 ガルモの渾身の一撃によって、マーカスが壁に激突した。ありえない角度に首が曲がり、えぐられた腹から鮮血が溢れ出す。

「ベル! こっちに来い!」

 グルジの一喝で、硬直状態だったベルが我に返る。杖に顔をうずめるようにして駆け寄っていく。

 すでに全滅は必至だった。

 離脱の文字が脳裏をかすめる。

 背後を塞いでいる六本腕の能力を推測し、撤退方法を組み立てる。

 グルジとベルを連れての撤退は不可能。自分一人なら可能。

 二つ目の言葉が脳裏に浮かぶ。


 ――仲間を見殺すことになっても、自分の生存を優先する――


 戦闘時の自分勝手な離脱行為は重罪に匹敵するが、緊急時であれば問題はない。

 そして、パーティを組む際に皆から了承を受けていた。

 それはパーティを組む際の、各々の行動信念によるものだ。

 行動信念とは、戦闘時に自分がなにを一番に考えるかだ。

 大きいところでは、敵を全滅に追い込む、仲間を守る、なんとしてでも生き残る。

 小さいところでは、先手必勝、防御優先など。

 この行動信念を事前に仲間に伝えることで、戦闘時の陣形や各々の役割分担の組み立てがなされ、戦闘を積み重ねることで洗練されていく。

 強敵を前に、目で合図している時間などない。ひとたび戦闘に突入したのなら、全員が一丸となり、よどみなく流れる連係とひとかけらも無駄のない行動が要求される。

 それゆえ、高度に洗練されたパーティは小国の軍事力に匹敵するといっても過言ではない。

 半年前。

 いくつかの探索をこなし、ひとりになって仲間を探していた。

 ベルが誘いをかけてきて。

 そしてグルジがきいた。

「おまえの信念はなんだ」

「仲間を見捨ててでも、自分の命を優先する」

 意外な顔をする面々のなかでグルジは苦笑した。

「いいだろう。そのかわり、俺たちの最期は伝えてくれよ」

「わかった」


 *


 聴き慣れない詠唱が耳に届く。

 異形が呪文をつむぎはじめた。

 影響範囲内のこの空間が、深く圧迫されていく。

 グルジが剣の柄を握りなおし、ベルが俺の前へと進み出た。

 ベルが振り返った。引きつった笑顔を浮かべている。

「……」

 無言を合図に、俺は単独での撤退を開始した。

 撤退といえば聞こえはいいが、その実、ただの逃走だ。

 通路を塞ぐ六本腕の悪魔が詠唱しながら攻撃態勢にはいっていた。異形ならではの飛びぬけた戦闘能力だ。

 人間大の巨岩としか思えない拳が降りかかってくる。

 よけるのは簡単だが、続く二本目三本目が迫っている。三本目をわざと受け、有利な場所に転倒する算段をする。

 ところが、悪魔の腕が遅くなった。

 悪魔の脚部で爆発が巻き起こっていた。

 ベルの詠唱だ。

 瞬時に撤退計画を組み立てなおす。

 悪魔の拳が迫る。

 接触の瞬間、空気を押しひろげて閃光が発せられた。

 続けて異形の腕、足でも爆発する。

 俺の投げ放った火薬球だ。

 もちろん殺傷効果を狙ったわけではない。その証拠に、異形には埃がかかった程度にしか感じられていない。

 だが、わずかに生まれた躊躇が、十分すぎるほどの生存猶予になった。

 背後でグルジが鼻を鳴らしたのがわかった。

 グルジは自分の身を犠牲にしてでも仲間を守るのを信念にしている。

 ベルの信念は、聞いていない。

 背後の爆発音とともに、俺は闇に消えた。


 *


 あれから三日は経過しただろうか。

 現在、第三階層にいる。

 探索済みの進路は怪物の存在確率が低く、危険度が少ない。

 とは言っても、上層に戻るほどに怪物の気配が多くなっているのがわかる。

 都合のいい考えは捨てなければならない。

 踏んだ記憶のない足場をさけ、壁への接触も避けた。

 曲がり角では先の様子を窺い、扉があれば向こうの様子を探ってから開けた。

 手持ちの武器類を改めて確認する。

 火薬球は怪物に使った分で終わりだった。

 一発で宝石一個分の希少な代物だった。

 今回の探索が決まってから、拭いきれなかった予感が購入を促した。

 俺を逃がすために悪魔に立ち向かっていった二人の姿が脳裏を掠める。

 気持ちを切り替え、目の前の迷宮に集中する。

 この第三階層を最短で突っ切るには、最低三つの要所を通過する必要がある。

 これまでの経験上、単独で突破した際の生存確率は七割か八割。

 命を賭けるには安すぎる博打だが、選択の余地はない。

 怪物との戦闘は極力避けなければならない。

 毒や麻痺針にやられる――単独時におけるそれは死を意味する。

 ささいな傷も致命傷へと繋がる。

 傷を負わなければ常に万全の体調を保てる。

 別の探索者たちの存在も期待しないではないが、わずかな食糧の前には絶望的だ。時間はかけられない。

 意識を集中して暗闇を探る。

 あちこちで怪物の気配を感じる。

 瘴気の充満する迷宮は、魔物を活性化させる格好の住処だ。


 *


 闇を抜け出る。

 無呼吸・無音で通路を疾走する。

 身に纏った装束の魔法効果によって、空気がすり抜けていく。

 向こうの闇を確認する。怪物の気配が肌に伝わってくる。

 二つの集団がいる。

 獣二体に、黒装束の人を模した偽人が一体。

 広間に飛び込む。

 すぐさま黒装束の気配を追い、短刀で仕留める。

 突進してきた獣の攻撃を軽くかわし、急所に深く突き入れる。

 背後で絶命のうめき声を感じながら、次の広間へ。

 現れた扉に突入する。

 無数の巨虫が飛び交っていた。

 おびただしい羽音に聴覚が麻痺しそうになるが、感覚の情報量を制御すれば位置確認の手助けにしかならない。

 音に合わせて短刀を突き出す。

 巨虫が次々と真っ二つになる。

 雲霞となっていた巨虫も残り五匹。

 確実に仕留める。


 *


 軽い疲労感。

 傷はない。

 残った難所は、あと一つ。

 扉のすぐ向こうに三つの集団、計十体の魔物がいきりたっている。

 想定のなかで悪い状況になった。

 覚悟を決めて部屋に突入。

 間をおかず獣を一匹仕留め、横の黒装束の攻撃を紙一重でかわしつつ、短刀を突き出して牽制。背後に降り立った黒装束にナイフを投げつけ、その場から離脱。

 そして、離脱先で待ち受けていた黒装束の攻撃をかわし、勢いにのせて短刀で襲う。

 黒装束がよける動きを予測し、左手に握った短刀で突き刺す。

 見事に心臓に命中するが、抉らずに引き抜いた。致命傷ではない。くぐもった声を上げて、黒装束が飛び退く。ここで絶命させていると、先に牽制した黒装束の攻撃を受けることになり、短刀を抜いている時間がなくなる。武器を失うのは避けたかった。

 その黒装束たちが散開した。

 ひらけた空間に巨大昆虫から火炎が吐き出された。

 火炎を浴びつつ、黒装束を追いつめ、仕留める。

 二匹めの火炎が発せられる。

 これに乗じて、傷を負わせていた黒装束を仕留める。

 連係のできていない魔物がいくら集まったところで雑兵にしかならない。

 三匹目の火炎で最後の黒装束を仕留める。

 獣三体は中央でまごついている。

 この機に、昆虫を外殻ごと深く突き刺す。

 火炎を浴びながら、残り二匹を退治する。

 その後、獣三体も倒した。

 わかってはいたが、火炎の連続掃射はこたえた。

 広間を抜ける。

 あとは低級の怪物ばかりだ。

 スロープを上がり、第二階層へ。


 *


 軽い痺れを感じながら、魔物との戦闘を重ねる。

 多数の敵に対しては、やはり相応の傷を覚悟しなければならなかった。

 回復のできない現状では傷が蓄積していくばかりだ。

 この状態が続けば、やがて小さな傷が致命傷になる。

 そんなとき、暗闇に太陽の光の筋が現れた。

 とうとう出口に辿り着いた。

 一瞬、気が緩んだ。

 始終、張り詰めだった緊張がほどける。

 その緊張の隙間を縫って、頭上に殺気が現れた。

 完全に油断しきっていた。

 戦闘態勢への移行が間に合わない。

 小さな虫の一撃が迫る。

 こちらは瀕死寸前。

 一撃を喰らえば確実にあの世行きだ。

 耳元で擦過音がした。

 脳裏を、ベルのひきつった笑顔がかすめた。

 ささいな虫に殺されるのと、仲間と異形に立ち向かっていくのと、どこが違うのか。

 行動信念とは。

 ズシャリと、衝撃音がした。

 ――。

 頭上を風が通り抜けていった。

 俺の足元に、粉々になった虫の残骸が散らばっている。

 今のはフィーリアンの空気魔法だ。

「大丈夫か」

 目の前に探索者の男が現れた。

「運がよかったな」

 男の目配せする先に、杖を構えたフィーリアンらしき少女がいた。

 一瞬、目を疑った。

「ベルか?」


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