7/ある日の学び舎
ユーゼリカいわく、私にわざわざ女装をさせたのは色々と理由があってのことらしい。
それは私の身の回りの介護、じゃなくて補助のためというのもあるが、それ以上に目眩ましとしての意味が大きいのだとか。
なんでも私自身が直接顔を合わせて事情を説明するに至った教会のお偉方や街の権力者たち以外には私に関する情報が一切出回っていないのだそうだ。あれだけ周囲で騒がれていた身としてはあまり信じられないことではあるが、紛れも無い事実であるという男爵様からのお墨付きもある。
とはいえ蛇の道は蛇ということで裏筋から探ろうとすればある程度までは辿れるようだが、それも私が幼い男子であるという程度。それでも目敏い者であれば事件が起きた教会の関係者でありそそくさと街を離れる私たちに関して感づくこともあるかもしれないが、こうして名前と性別を偽った上で外部との関係が断絶される学校内にいればもはや手出し不可能となる。
学校を卒業するまで三年、それだけ時間が稼げれば周囲も落ち着いているだろうし私も将来像について何らかの希望が見えてくるだろう。
彼女にそんなことをドヤ顔でご高説頂いたわけだが、まあ正直に思うところを言わせてもらえば。
「実のところは全部後付けの理由であって、僕でこうやって遊びたかっただけなんじゃないのか?」
「あら心外ね。こんなの遊びのうちにも入らないわ、これからもっと楽しくなるわよ♪」
「斜め上に裏切られた!」
妖怪桃色フリルとなった私の姿にご満悦なユーゼリカに対しあえて叫ばざるを得ない。どうしてこうなった!
というわけで、アドル・スロウス改めアドラ・スラッカスです。コンゴトモヨロシク。
王都サンゴールの一角にあるネフェリム修学院に入学して一週間ほどが経ち、ようやく新しい生活にも慣れてきた。
私たちと同時期に入学した生徒は全員で50人ほど。その大半は貴族の子供であったが中にはいくらか親が爵位持ちでない子もいるようだった。とはいっても私でも名を聞いたことがあるような大商会の息子だったりで、完全に一般市民と言えるような者は私と姉だけであったのだが。
そんなわけで私は周囲から「あらあら、下衆の子がこんなところへ何をしにきたのかしら?」とか「卑しい身分に生きるのってどんな気分なんだろう、ねえ死にたくなったりしないの?」とか「賎民風情と同じ場所でなど学べるか! 私は領地に帰らせてもらう!」とかそんな罵声をかけられ詰られ苛められたりするのかな、と期待……げふんげふん、怯えたりもしていたのだがそんなこともなかった。
まあ私はともかく姉に向かってそんな暴言を吐こうものなら神の力を全力全開にした上で楽しくOHANASHIする所存であったが。
一度やってみたいと思ってるんだよね。美しい魔闘家鈴木の必殺技、レインボー・サイクロン。
食事や入浴などで色々と困ったこともあったがそれもひと段落付き、現状はようやく落ち着いて学校生活を楽しめるようになってきた。
しかしそれにしても、学校につきもののあの施設は私の欲を十分に満足させる素晴らしい水準のものであった。
入学が決まって以来我が半身ともいえる本を読む気持ちも漫ろになってしまうまでに楽しみにしていたその施設とは、まあつまり図書館である。本末転倒? なんのことやら。
製紙・製本技術が存在しているとはいえ書物の類は未だ珍しい品物であり、一般の間ではちょっとした貴重品に近い嗜好品として取引されている。
識字率がまだまだ低い水準にあるこの国では娯楽として本を読むという習慣はあまり広まっておらず、代わりに吟遊詩人の詩により物語というものは後世へと伝わっていくのだ。
もちろん寓話や英雄譚を纏めた書物というのもあるにはあるが、一冊の書として編纂されるような情報というのは大概にして世界や神に関する学論についてである。
それに次いで多いのが若い貴族向けの恋愛物語というのは、まあどのような世界でも考えることは同じなんだといった所であろう。それと同位置に成人指定なやつがあるというのも。
そうした本を読むための正しい手段は大きく分けて三つ。一つ目は当然ながら自費で購入することである。
二つ目は知識人の蒐集家に頼んで蔵書を見せてもらうこと。これは多少の金銭と人脈が必要なのであまり一般的と言えない。
そして三つ目が自治体および国家の手により経営される図書館である。これはある意味で最も手軽だが、今まで私にとっては現実的な手段ではなかった。
図書館と言ってもそこでは帯出などを行っているわけではない。前述した通り本は貴重品であり、高価な代物だからである。大量に生産された有名な本ならまだしも、普通なら同じものが再度手に入るという可能性は限りなく低い。紛失や破損により失われた情報は二度と戻ってこないのだ。
そのため図書館の蔵書は原則その場で読むこととされているのだが、それは私の体ではかなりハードルの高い行為と言える。
前の街では図書館まで私の足で30分といったところであったが、それでも行って帰ってくるだけで一日分の全精力を燃やし尽くす勢いであった。
一年前、六歳半ばに通い始めた頃には図書館に着いた所で助けを求めたこともあったくらいだから、それに比べれば成長していると言えなくもないが。
それから這ってでも図書館に行きたがる私のことを心配する両親との間に図書館通いは週に一回という約束を交わし、更に図書館側に無理を言って貴重でない本に限り一度に二冊だけ帯出を許可してもらっていたのだが、私の知識欲を満たすには余りにも不足していた。
しかしこのネフェリム修学院では違った。蔵書の内容こそ学校らしく堅苦しいものばかりであったが、蔵書の量となにより交通条件が桁違いである。
授業の帰りにちょろっと寄り道して存分に読書を楽しみ、門限が近づいたら気になった書物を部屋に持ち帰ることもできる。これこそ正に私が前世で望んだ理想郷であった。まさかほんの八年足らずで骨を埋める地を見つけてしまうとは、これがチートスキル【天運】の力か……!
まあ三年後には追い出される予定の、薄っぺらい理想郷なんだがね。
そんな調子で部屋・教室・図書館の三箇所を延々と巡回し続ける日々を送っていたのだが、今日になってとうとうユーゼリカと姉がブチ切れて教室から出た私を拉致して部屋に叩き込み現在に至る。
室内での阿鼻叫喚のやり取りと今の心境を一言で纏めるならば。
「制服を 毟り取られて フリルなう」
おや、一句できたな。
いやだからそういうのはもういいんだって。
「やっぱりアドルちゃんはどんな服でも似合うね、かわいー♪」
「今はアドラだよ姉さん、あと褒められてもあまり嬉しくないから」
ひしっと腰元に抱きついて離そうとしない姉さんに撫で回されつつ、にやにやしながらも目にマジな光を灯して私に化粧を施すユーゼリカにジト目を向ける。
「で、一体これはどういうことなの」
「これっていうのはフリルのこと? 化粧のこと? それともパンツ?」
「僕を今こうして飾り立てて何をさせようとしてるのかってことだよ!」
パンツのことは言うな! というか何故そこまで着替える必要があるんだよ!
もこもこするスカートの下はかぼちゃパンツでしっかり隠してあるのに、なんであんな可愛らしいのを着けなきゃいけなかったんだよ!
私の羞恥心を他所にして、ユーゼリカは急に不満そうな口ぶりになる。
「あんた、入学してから今まで何してた?」
「何してたって、別に何もしてないだろ」
「それが問題なのよ。クラスのみんなはもう友達でグループになってるようなトコもあるってのに、あんたときたらずっと図書館で本読んでるだけよね」
「う」
「授業が終わったらすぐ教室を出て行くから知らないでしょうけど、あんた結構噂されてるのよ。私にあんたの事を聞きに来る子もいるし」
「うん、あたしもよくアドラちゃんについて聞かれるなぁ。妹さんはいっつもすぐ帰っちゃうけど大丈夫なのって」
私の体が弱いということは入学後の顔合わせの際クラス全員の前で打ち明けてあり、何かあったら神聖魔法の使える教師と姉かユーゼリカに連絡してくれるようお願いしてある。
そのこともあってか、クラスでの私の認識は授業が終わったら部屋に戻りベッドで横になるような病弱キャラであるらしい。多少の誇張が入っているようだが、まあ大体合っている。
「ここ一週間、散々あんたと友達になりたいって言われ続けてあたしはもううんざりしてんのよ」
「あー……それはあたしも、ちょっと思うかも。もうクラスの女の子には全員言われたかなぁ」
「え、そうなの? そんなこと一言も言われてないんだけど」
なんで誰も言ってこないんだろうか、なんて思っていたら頬を撫でていたブラシが止まった。お腹に顔を埋めてゴロゴロとじゃれていた姉もその動きを停止させている。
それからユーゼリカはそっと姉と共に私の元を離れると、背を向けて二人でなにやら小さな声でこそこそと話し出した。
「こんな顔した相手と正面から友達になりましょうなんて言えるやつがどんだけいるってのよ。いたとしたらそいつはタラシか極度の近眼か、もしくはその両方よ……」
「あたしも、アドルちゃんじゃなければとてもじゃないけど恥ずかしくって無理だよ……」
「それだってのに何をこいつは気軽に声掛けてくれればいいのにみたいなことを……」
「自分で気付くしかないんだろうけど、でもアドルちゃんだから多分それも無理じゃあ……」
しばらく密談を交わした後、何やら結論が出たようで二人して戻ってくる。それから二人して私を指さして一言。
「みんなあんたが悪い!」
「みんなアドルちゃんが悪い!」
「僕が何をした……。それと姉さん、今はアドラだから」
「とにかくこのままじゃ友達の一人も出来そうにないし、私たちで協力して強硬手段に出ることにしたのよ」
「強硬手段って、また穏やかじゃないが何をする気だよ」
「みんなで集まって、交友会を開こうって」
「私たちと友達になった女の子しか呼んでないから、実際にはあんたを私たちの輪に捻じ込む形になるけどね」
あ、そうですか。それはまた楽しそうな企画でございますね、ただし私を除いて。
「もうみんな集まってるから、あとはアドラちゃんのお化粧が終わったらすぐに友達の部屋に移動するよ」
「ああ大丈夫よアリサ、もうあとは唇に紅を引くだけだから。うん、これでよし」
「え、ちょ」
「わっ、すごい! 物語に出てくるお姫様みたい! かわいー♪」
「うーむ、我ながら中々の出来栄えだわ。よし、それじゃさっさと移動するわよ。付いて来なさい!」
そうこうしている内にいつの間にやら両手を二人に引かれ、部屋の外へと牽引されていく私。気分は競りの会場へと出荷されていく子牛である。
って待て待て待て、まだ心の準備が! せめて鏡で今の姿だけでも見せ、あ、だめ、扉が開、
……そのとき私は、静寂って心臓が痛むものなんだなと理解した。