5/CONTRACT(後)
結局三人でお風呂に入りました。
いやいや、やましいことはしてませんしまさかラッキースケベなんてものもありませんでしたよ。でも異性の裸が目の前にあればそれが子供であろうとガン見しちゃうのは紳士たるもの仕方ないよね。
ついでに恥ずかしがるユーゼリカがとても可愛かったので綺麗だねと褒めたら目潰しされました。チョキじゃなくて虎口拳だったのが救いではあったけどどこでそんな技術を身につけたのか不思議でなりません、アドル・スロウスです。
そんなこんなで私の準備も一通り済み、儀式の順番が回ってくるのを待つのみとなりました。
今私が身につけているのは姉たちと同じく神官用のローブですが、正式な神官となればこの他にも動きやすいズボン形式のものや戦闘用の軽鎧、馬上で着る重鎧なんかもあります。
一言に神官といっても事務仕事を担当する人もいれば説法を行ったり懺悔室で対応を行う窓口担当、武を鍛え己を磨く神官戦士までその内容は様々なので、それぞれに合わせた神官服が用意されているのです。
また男女でも刺繍の位置とか細かい装飾による差が多少ながらあったりします。まあ今回は儀式を行うだけなので男女問わずサイズが異なるだけの統一規格のローブが用いられているわけですが。
「うう、緊張してきた……アドルちゃんは平気なの?」
「こいつがこの程度でどうこうなるわけないじゃない」
「いや確かに平気だけどさ、ユーゼリカは僕をなんだと思ってるのさ」
「興味ないとか言っておきながら人の裸をじろじろ見るような変態小僧」
「返す言葉も無かった」
姉は間もなく自分の番が来るという時になって緊張のピークに達したらしく、先ほどから落ち着かない様子でうろうろとその辺を歩き回っていた。対してユーゼリカはいつも通り堂々とした様子で、ただ自分の番が来るのを静かに待っている。
ユーゼリカに気が散るからアドルでも抱いて大人しくしてなさいと言われ、その通りにすることで多少平常心を取り戻しつつあるようだが。
いや冷静に考えてみるとちょっとおかしくないかそれ。なんで私が姉の精神安定剤みたいに扱われてるいるのか。そしてそれに何の疑問も無く従っている私も大分染まってきた感が否めない。
受付を済ませた時に私たちの前で順番待ちをしていた人は二三人しかいなかったので、そろそろ誰かが呼ばれる頃だろう。
「姉さんはまだ十歳なんだし、今年駄目だったとしてもまた来年儀式を受ければいいじゃないか。もっと軽い気持ちでいればいいよ」
「そうは言っても神様に会うんだし、どうしても緊張しちゃうよ」
「神様に会うっていっても実際目の前に出てくるわけでもないし、やることは黙って祈りを捧げるだけでしょ」
「ううう、なんでアドルちゃんはそんなに気楽に考えられるのかなぁ」
「それが僕だからとしか言えないよね」
「まあ、アドルだから仕方ないわね」
「ユーゼリカまでへっちゃらそうだし、うう、裏切り者ぉ……せめて先に儀式受けてきて、どんな感じだったか教えてよぉ」
と涙ながらに訴えたところで、儀式を管理する神官の口から姉の名前が呼ばれた。
姉は「あうう」と情けない声を上げた後、私の頭を一度抱きしめてから神殿へと向かった。
「姉さんなら大丈夫だよ、自信を持って挑めば必ず神様も応えてくれるさ」
「私もアリサなら加護を賜ることが出来ると信じてるわよ。胸を張って挑みなさいな」
「うん、ありがとうアドルちゃん、ユーゼリカも。それじゃ行ってくるね」
姉の姿が神殿の扉の向こうに消える。心配してない訳じゃない、だが姉ならきっと神の加護を得られるだろうと私は思っていた。
私は顔を伏せ、胸元で手を組んで祈りを捧げる。どうか姉が神々に認められますようにと。
「なんだかんだでアリサのことは心配なのね」
「僕は加護を得られなくても別にいい。だけど姉さんはどうか神様に認められて欲しいね」
「アリサも同じ事思ってそうね」
「確かにそうかも。ユーゼリカの祈りも、きっと神様に届くと思ってるよ」
「ん、ありがと」
ユーゼリカは腕を組み、じっと神殿を見つめている。その中で今頃姉さんはどうしているだろうか。
「ねえユーゼリカ」
「なに」
「やっぱり緊張してるでしょ」
「……そんなことないわ」
「爪先動いてるよ」
一見落ち着いた様子に見えるが、彼女の足元では先ほどから靴先が一定のリズムを刻んでいるのだった。それを指摘するとユーゼリカはばつの悪そうな表情になり、それから一度大きなため息をついた。
「意識しないようにしてたのに、言わないでよ、そういうこと」
「あー、ごめん。そりゃそうだよね」
「……あたしは、アリサみたいに人生を捧げるほどの覚悟で神様を信仰してないから」
「うん」
「もしアリサでも駄目なようだったら、私なんかじゃ到底無理ってことじゃない」
「そんなことは」
「そうなの。私は知ってるから、アリサがどれだけ神官になりたがってるかって。――アドルを助けてあげたいと思ってるかって」
姉が信仰する神は両親と同じ戦神イフェルではなく、慈母神アルハー。彼の神が司る属性は水、そして――癒し。
アルハーの授ける力の中には、他の神々では及ばぬような強力な治癒の魔法があると言われている。
「あの子は本気で力を求めている。どんな癒しの魔法を掛けても治らないあんたの体をそれでも治そうと努力している。
私はアリサなら絶対に神に認められると思ってるわ。だけど、それでももし、万が一加護が得られなかったら」
ユーゼリカは笑う。だがそれは人の上に立つ者としての自負を持った、普段の彼女とはかけ離れた笑い方。
彼女は自嘲する。己の浅ましい考えを。
「結局のところ、私が心配してるのはアリサが加護を得られないことじゃなくて、そうなったら自分も加護を得られない可能性が高くなるってことなのよ。私は、私のことしか考えてない。私のことしか見えてない。ほんと馬鹿みたい、まったくもって呆れるわ。
これじゃアデルに初めて会った時と一緒、自惚れていた頃から何も変わっていやしない。少しは成長してると思ったけど、所詮私の器なんてこんなものなのかしらね」
小物は死ぬまで小物なのかしら。そう空を見上げて静かに呟いた彼女の姿は、私には身悶えて天を仰ぎ絶叫しているように見えた。
姉が私のためにアルハーの加護を得ようとしているということは知っていた。そしてその為に普段からどれほどの努力をしているかということも。
そんな姉がもし加護を得ることが出来なかったなら。彼女はきっと悲しむだろう。己の力不足を悔やむことだろう。普段から付き合いの深いユーゼリカならその光景が容易く想像できることだろう。
しかし彼女は、「そんなこと」より自分も加護が得られなくなるということを心配した。そして、その事に気づいてしまった。
自分はアリサが無事加護を得られるかなんてどうでもいいと思っているのだと。あんなに頑張ってきた友達より、自分のほうが大事なのだと。
その考えは、彼女が己の指針としている貴族の誇りを汚す唾棄すべきものであった。彼女の全てを否定する、愚かな思考であった。
そうして空っぽな笑顔を浮かべる彼女は、目を逸らしたくなるほどに痛々しかった。
しかしまあ。
何を言ってるのやら、この勘違い系ネガティブ幼女は。
いや、十歳になったわけだしもう少女と言うべきなのだろうか。その辺の境界が私には良く分からんが、そんなものに関する考察はロリコン諸君に任せるとして。
「別にいいじゃん、それで」
え? と、彼女は驚いた様子でこちらを振り返る。そして私が何を肯定したのか理解すると、一転して怒りの炎を双眸に灯した。
しかしこんな場所で騒がれては困ると、彼女が口を開く前に両手をかざし押し止めて話を聞かせる。
「取り違えるな、ユーゼリカの器が小さいってことじゃない。別に自分の心配をするのは悪いことじゃないだろうってことだよ」
「何を言ってるの。私は、アリサの思いを踏みにじるような事を」
「まあそうだね。それはアリサなんてどうだっていいと言ってる様なものだよ、そこは否定しない。
だけどさ、ユーゼリカは本気でそんなことを思ったわけじゃないんだろ? 気づいたらそういう思考になってたってだけのことだ」
「そんな事を考えるのは、私が他者を軽んじているからじゃない」
「なんでそうなるんだよ。お前は聖人君子かあるいは魔術師のゴーレムか何かなのか? こんな一年に一度しかない大事な場面なんだ、緊張して周りが見えなくなって当たり前だろ。少し自己中心的な考え方になったってそれはしょうがないことだよ。
ユーゼリカが貴族として周りから敬意を示されるに相応しい人物になることを目標としているのは知ってるし、そのために日頃から努力してることも分かってる。そしてそれは、こんなちょっと考えに魔が差した程度のことで根本から崩れるようなもんじゃない。気づいたら反省して直せばいい、その程度のことじゃないか。
そもそも本気で姉さんのことをどうでもいいと思ってるのなら、今こうやって落ち込んでなんかいないだろ」
「で、でも」
「でもも何も無い。それで納得できないならこう言わせて貰うよ。僕はユーゼリカの事はそれなりに知ってるつもりだ。ユーゼリカは僕の知る中で最も潔くあり、最も誇り高くあり、最も美しくあり、そして最も陽気な最高の友達だ。だからこんな下らないことでうだうだ言うなよ。僕には人を見る目が無いってことになるじゃないか。
それに、緊張してるようなら僕のことを抱かせてやってもいいんだぜ? なんでも僕を抱くと心が落ち着くと、どこかの誰かさんが絶賛しているらしいからな」
両手を広げ冗談めかした口調で言い放つ。まあユーゼリカは別に絶賛はしていないし、沈静効果も姉限定のものかもしれないが。
そうしてしばらく向き合っていると、ユーゼリカは無言のまま一歩こちらへ歩み寄ってきた。手を伸ばせば届く距離。
彼女はそっと腕を伸ばして私の肩に手を掛ける。右手に続いて、左手。そして更に一歩踏み込み、肌が触れ合うほどの距離となる。
ユーゼリカが顔を上げる。青く澄んだ瞳が至近で私のそれを見据えている。風が柔らかく彼女の艶やかな金色の髪を撫で彼女自身の持つ甘い香りを齎す。
目の前で上体を反らすユーゼリカ。しなやかな背筋が力を蓄え開放の瞬間を待ち構える。耳が細い呼気を捉えた。腹筋が引き締まり、生み出されたエネルギーは少女の肉体を突き動かした。
そして二人の距離は零となり、放たれた衝撃の残滓は鈍音に変わり周囲に響く。
つまり頭突きされました。
「貴様……それが貴族のやることか……」
「調子に乗って偉そうな事を言うから躾けてやったまでよ」
身長の差により頭頂部付近に喰らったせいで彼我のダメージ量には明確な違いが生じたようで、私が頭を抱えて座り込む傍らユーゼリカは軽く額を押さえてこちらを見下ろしている。
途中まで「あれ? もしかして本当に抱きつくつもりなの? ちょっとまてこここ心の準備が」とか胸を高鳴らせていた私の純情を返せ畜生。
「でもおかげで目が覚めたわ。確かに私らしくも無かったわね、この程度のことで取り乱すだなんて」
「気にするなよ、ユーゼリカも人の子だってことだろ」
「ちなみにあんたもこの後儀式を受けるのに全く緊張の色が見えないわけだけど、今の自分の発言に関してどう思う?」
「僕はそもそも加護を得られるだなんて欠片も思っちゃいないからね。緊張うんぬんの前に早く部屋に帰りたいと思うだけだよ」
「……ホント可愛くないわ」
「ユーゼリカはいつでも可愛いよ」
「今再び淑女頭突きの出番が来たようね」
「どこに淑女要素があったのか詳しく説明を望む所存です。っと、終わったみたいだ」
神殿の扉が開き、満面の笑みを浮かべた姉が駆け出してきた。どうやら無事に加護を得られたみたいだ。そして私を押し倒さんばかりの勢いで抱きついてきた姉と入れ替わりにユーゼリカの名前が呼ばれ、彼女は神殿へと歩き出す。
「ありがとね、アドル。……私も頑張るから」
すれ違い様、ユーゼリカは私にだけ聞こえるよう耳元でそう呟いた。視線を合わせないようにしながら恥ずかしそうに告げたその言葉には、返事をしないでおくことにした。
「アドルちゃん顔赤いよ、どうしたの?」
それは決して照れてうまく言葉が出てこなかったわけではないのだ。うむ。
*****
神殿から出てきたユーゼリカの表情は実に晴れやかなものであった。結果を聞くまでも無く彼女もまた加護を得ることに成功したのだろう。続けて私の名前が神官に読み上げられたので、興奮して体に抱きつき頬を赤らめる姉をユーゼリカの力を借りつつなんとか引き離して神殿へと向かった。
筋肉質な男性神官に誘導されて内部へと足を踏み入れる。背後で木製の厚い扉が閉まる音がする。
石造りの神殿には採光用の窓は一切無く、通風孔が足元にいくつか設けられているだけである。内部の照明器具には松明やランプではなく魔術灯が用いられている。魔術灯とは文字通り光を生み出す魔術が込められている照明器具である。
何かを燃やしているわけではないので換気する必要も無く生み出す光も炎より明るく安定している、更には手入れも簡単であると至れり尽くせりであるがその分割高な道具だ。具体的にいえばこれ一つで一般市民の一月の生活費程度。手が出せないほどの高値ではないが手軽でもない、というところか。
それらがいくつも吊り下げられた神殿中央部に、四人の神官が複雑な魔法陣を囲うようにして立っている。ここまで私を連れてきた神官に儀式についての説明、注意などを再度受けた後に私はその図形の中へと進んだ。
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少年は片膝をついて胸元で両手を組み合わせ、僅かに顎を引く。教会でも行われている祈りを捧げる際のその姿勢を取ると、四方の神官がそれぞれに祝詞を口ずさみ始める。独特の言い回しを含むその文言、神妙な雰囲気に包まれるなかで少年は瞳を閉じてただ無心に祈りを捧げる。狭い神殿の中に意味も分からなくなった呪が混沌となって響く。
神の加護が授けられるとき、周囲の魔術灯はその輝きを僅かに曇らせる。そしてその代わりに儀式を受けるものの姿が仄かに光を放つのである。その色彩は戦神イフェルなら赤、慈母神アルハーなら青といった具合に加護を与える神によって異なり、それによりどの神の加護を得たのかを判断する。
加護を授けられたということを儀式の中で実感することはない。というのも、その最中はトランス状態にあり意識を半ば失っているためである。その為儀式を受けるほうとしては祈りを捧げていたらいつの間にやら終わっていてなんだか知らないうちに加護を得ていたということになる。
四種の囁きが反響するその中で跪く少年の額にうっすらと汗が滲み始めた頃。扉が閉まり儀式が始まって五分ほど経った時、少年を案内し儀式の説明を行った神官、場の外側からその様子を見守っていた彼が異常に気づいた。
空間に満ちる魔力の高まり。その現象自体は魔法や魔術を行使する際必ず起こることであり、大規模な魔法の一つであるこの儀式においても発生するのは自然なことである。
だが、今回はその規模があまりにも大きい。いつのまにか神官四人の持つ魔力の総量を超える程に濃密となったそれは、少年を中心として魔法陣全体に満ち溢れていた。攻撃系統の魔法に用いれば教会の敷地を根こそぎ吹き飛ばしても釣りが出るような膨大な魔力である、暴走した場合は如何な事態を引き起こすことになるか知れたものではない。
だがそれに気づいても最早止める手立ては無い。意識を半ば失っている少年と神官達を今無理に引き戻した場合彼らの精神に傷を残す可能性がある上に、下手に手を出せばそれが暴走の切欠ともなりかねないのだ。
男はただ顔を青くしたまま依然高まり続ける魔素の中、儀式の推移を見守るしかなかった。何が原因でこのような状態となったのかは分からないが、ただ己の信仰する神に無事を祈るほかに出来る事は無いのだから。
儀式も終わりに近づき、神官たちが最後の祝詞を口にした瞬間。神殿内部に吊るされた六つの魔術灯の全てが砕け散り、闇の中で何か重いものが地に落ちる音が四つ重なった。
しかしそうして生じた沈黙と暗闇は、一瞬の後に膨大な光の奔流の中へと飲み込まれていった。
その輝きは何物にも染まらぬ清廉な白色でもあり、視界全てを塗りつぶす暴力的な黒色でもあった。
*****
二人の少女は神殿内部の様子を見て言葉を失った。地面には粉々になった魔術灯の硝子が散乱し、未だ室内に色濃く漂う魔素の残滓が肌を刺すように感じられる。
だが、その中へと一歩進んだとき。薄暗い空間の奥で神官たちに囲まれてうつ伏せに倒れる少年を見つけると揃って悲鳴を上げた。
「アデル!」
「アデルちゃん!?」
少年の傍に駆け寄るとその身がまだ生者のものであることに安堵の息をつくが、代わりに何が起きたのかという疑問が少女たちの胸の中に芽吹く。黒髪の少女がその肩に触れて上体を引き起こすと、少年は小さなうめき声を上げて瞼を開いた。
「あ……姉さん、それにユーゼリカ」
「アデルちゃん大丈夫!?」
「いったい何があったのよ!? 物凄い魔力が感じられたと思ったら神官の方は真っ青な顔で逃げ出してくるし、外は今大騒ぎになってるわよ!」
「大丈夫、どこも変なところは無いよ姉さん。それとユーゼリカ、それについてなんだけどね……」
少年は顔の右半分を僅かに歪めるようにして苦笑する。それは金髪の少女が常識外れに無茶なことを言うときに少年がする仕草であり、少年が本気で困っている時にだけ見せる顔であった。
「あまりに滅茶苦茶なことだから。正直に言っても、信じてもらえないかもしれないけど」
「前置きはいいからさっさと言いなさい!」
「ユーゼリカ! ちょっと、落ち着いてっ!」
襟元を掴んで引き寄せる金髪の少女に対し、少年はまだ体に力が戻らないのか抵抗も出来ずされるがままである。そうして苦しそうに眉間に皺を寄せる少年を助けようと黒髪の少女は間に割って入った。
「あっ、ご、ごめんなさい。私つい」
「ケホッ、いやいいよ。僕も空気を読まずにごめん。それじゃ、さっきの出来事についてだけど」
黒髪の少年はそれをさも些事であるかのように口にした。
黒髪の少女はそれを聞いて、これってどういうことなのと小さな頭を傾げた。
金髪の少女はそれを聞いて、これからどうなることやらと痛む頭を抑えた。
「なんか、六大神様全員から加護を貰っちゃった」