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疵魂の聖人は異世界に眠る  作者: 怠惰
幼少期編
5/12

3/閑話:ユーゼリカ・ロウ・マイアラストの親愛


「アドルちゃん、寝ちゃったね」


「まったく、ほとんど動いてもいないくせに無様なものね」


 帰り道での馬車の中で私たちは今日一日のことや次に遊ぶときのことを話していた。

 しかし私の対面でアリサの膝の上に抱かれている小さな男の子、アドルはその内にすっかりと寝入ってしまったようだ。


「普段は小憎らしいことばかり言ってくれるけど、寝顔はかわいいものね」


「あはは、確かにアドルちゃんはちょっとひねくれてるからね」


 ぷにぷにと頬を突いてみるが嫌がる素振りも見せない。相当に疲れがたまっていたのだろう。

 アリサはずり落ちないように体を抱きなおして安定させ、頭を優しく撫でる。そうするとアドルも口元に僅かに嬉しそうな笑みを浮かべるのだった。



 私がアドルに初めて会ったのは今から二年ほど前のことだった。

 家の近くにあった教会に引っ越してきた子がいるというので、その子と友達になろうという話が子供たちの間で出た。

 そしてとりあえず一緒に遊んでみようということでその集まりの中でも一際行動力があり、新しく来た子にも興味があった私が呼んでくることになったのである。

 実際やったことは簡単で、教会に行って遊びに誘い他の子供たちと合流する、それだけである。

 アリサはその頃からのんびりとした子供であったが、まだ今ほどアドルに対し過保護な部分は少なかったので呼び出しにも素直に応じてくれた。

 だが教会の中にある家ということもあって、彼女と遊ぶときはいつも近くの広場か他の子の家に集まることにしていた。騒いだりして神様に怒られるのは怖いからだ。


 アリサに弟がいるというのは付き合い始めて早いうちに聞いていたが、実際に会ったことは無かった。弟を連れてきてとアリサに頼んだことは何度もあったが、体が弱いからといつも断られてしまうのだ。

 私を含めアリサの家にあがったことのある子供は誰一人としていなかった。それはやはり、教会に遊びに行くというのが不敬なことであると思っていたためである。

 教会は祈りを捧げる場所です、静かになさい、神様が見ていますよ、そう言い聞かされて育ってきた私たちには敷居が高い場所であった。

 ある日、友達の一人がアリサに弟くんっていつもどんなことしてるのと質問した。アリサはそれに対し、なんだか難しい本を読んでるか寝てるかだよ、と答えていた。

 この街は王国の中でも指折りの大規模な都市であるが、それでも文字を読むことのできる平民というのはあまり多くない。アリサは神官の娘であるからある程度の勉強はしているだろう。

 だが、二歳年下の弟はアリサにも読めないような本を毎日読んでいるという。それに私は少なからぬ興味を抱いた。

 正直言ってその頃の私は少し増長していた。いくらお転婆だのなんだの言われているとはいえ貴族としての教育を受けていた私は、精神的に周囲の子供たちよりも成長している部分があった。

 その辺の子供とは比べ物にならないほど頭がいいと自分で思っていた私は、その弟とやらがどれだけ出来るやつなのか見てやろうと思ったのだ。


 次の日、私はひとりで教会の門をくぐりアリサの家の扉を叩いた。アリサの母親に迎えられた私は弟さんに会いたいという旨を伝え、部屋まで案内してもらった。アリサは父親に連れられて家を留守にしていたそうだ。

 アリサの母親はなにやら嬉しそうな様子であった。そのアドルという男の子は本当に部屋から出ることが出来ないくらいに体が弱いので、こうして友達が訪ねてきてくれるのは初めてであるということだった。

 まあ、実際のところは好意ではなく好奇心による訪問であったのだが、些細な違いであるということにしておいてほしい。


 そうして目の当たりにした少年は、この世のものとは思えない神秘的な姿をしていた。

 透き通るような白い肌には穢れ一つ無く、そっと本の表紙に重ねられた指先は完成された彫像の如き繊細な美しさを秘めている。

 窓からの風に揺れる細い黒髪は陽光に曝されてなお瑞々しく、それ自身が内側から輝いているようにも見える。すらりと伸びる鼻梁の線と柔らかな曲線を描く輪郭は性差を越えた艶かしさがあった。

 伏せられていた切れ長の目がこちらに向けられる。女の子みたいな長い睫、髪と同じ色の吸い込まれそうな黒瞳、筆で描いたように整った眉。すべてが私の心を捉えて離さなかった。

 教会の片隅に天使様がいらっしゃった、ふとそう錯覚してしまうほどに少年は儚く非現実的な存在であった。


 それから私たちは互いに自己紹介をし、他愛も無いことを語り合った。少年はその声までもが水晶の鈴の如き清らかさを持ち心震わせるものであったが、今は置いておこう。

 語らいの中で私はこの少年の内に秘められているものに気づき、そして己を恥じた。彼は私などよりももっと多くのことを知っており、また広い視野を携えていた。

 今まで私が培ってきた知識が如何に狭窄した見解によるものであり、思慮の浅い短絡的な了見によるものであったかということを痛感させられたのだ。

 だが、そこでしょげかえってしまうほど私はかわいい性格をしていない。むしろ対抗心が激しく燃え上がるのを感じた。いつかこの少年をぐうの音が出ないほどに言い包めてやろうと密かな決心を抱いたのであった。

 そうしてしばらくアドルと付き合っていくと、彼の本性に関してもだんだんと見えてくるようになった。

 彼はその見た目とは裏腹に、案外ずる賢い部分があるようだ。そして感情を隠すのは上手いが、思ったことはすぐ口に出る性格をしている。欲はあまり無いように見えて意外なところで強情である。

 そしてなにより、寂しがりやであった。

 ……まあその、正直言って、そこが放って置けなくていまのような関係になってるんじゃないかと思う。絶対にそう口にはしないが。



「今日はありがとね、ユーゼリカ」


 仲睦まじい姉弟の様子を眺めているとアリサはふとそのようなことを口にした。


「別に私が来たかったからついでに誘っただけよ。アリサたちが来ないようなら他のやつらを誘おうと思ってたし……何笑ってるのよ」


 私が話していると急にアリサはくすくすと笑い出した。何よ、思うところがあるなら言ってみなさい。


「ユーゼリカが嘘をつくときって、絶対に視線を合わせないよね」


「は? 一体なんの話よ」


「今日は私たち、ううん、アドルちゃんのためにいろいろと準備してくれてたんでしょ? この馬車とか、釣竿とか。あ、それにアドルちゃんの分の着替えも一応準備してくれてたみたいだし」


「な、ななっ!?」


 顔に血が上るのが自分でも分かった。私の慌てた姿を見てアリサはもっと笑みを深める。


「一月前くらいにアドルちゃんの誕生日をあたしに聞いたでしょ? それからしばらくユーゼリカの様子がちょっとおかしかったし、何か計画してるのかなってばればれだったよ」


 多分アドルちゃんにも、という一言が止めになり、私はついに力尽きてばったりと倒れ伏した。

 なんてこったい、恥ずかしいから気づかれないようにこっそりと用意を進めてきたというのに。

 釣竿と服は今日使わなくてもプレゼントするつもりだったし、花畑に関して最近冒険者から聞いたというのは嘘。一年ほど前に父様に連れてきてもらったのだ。それ以来私の一番お気に入りの場所だったから、アドルにも教えてあげようと思ったのだ。

 馬車もわざと簡単に貸してもらえたかのような口調で伝えたが、実際には一週間真面目に習い事を受けることを始めとしたいくつかの代償と引き換えに借りたのであった。

 だって、歩きだったらアドルは絶対にあの場所まで辿り着けない。馬車でも辛いことにはかわらないだろうが、それでも徒歩よりはましだろうと思って準備したのである。

 恥ずかしさに堪えられず淑女とは程遠いうめき声を上げる私を笑いたければ笑うがいいわ! と、両手で顔を押さえながら思っていると。


「だから今日は、本当にありが、と、」


「……アリサ?」


 ぽろぽろと。

 笑顔を浮かべるアリサの頬には、幾筋もの涙が伝っていた。


「アドルちゃんは、体、弱いから。こうやって、と、友達と一緒に、誕生日、祝えるだなんて、思ってなくて、それで、」


 零れた雫はアドルの顔に落ち、つうと輪郭を撫でて襟元に吸い込まれていく。

 あふれ出す涙は止まる所を知らず、次々と水滴となりアドルへと降り注ぐ。それでも、アドルが目を覚ますことは無い。いくら涙が頬を叩いても身動ぎ一つせず、ただ規則的な寝息を静かにたてるばかりである。


「嬉しいの。すごく嬉しくて、嬉しいのが、とまらなくて。うぅ、うううぅぅぅ……!」


――ああ、もう。本当にこの馬鹿姉弟はこれだから。


――これだから、目が離せないんだ。


「アリサ」


 ぐずりながらもアドラの体に回した腕は決して解かないアリサ。その目尻に溜まった涙を優しく拭い取る。

 二年以上に渡る付き合いを続けている今でも時折、アドルからは初めて会ったときのような存在感の希薄さを感じることがある。

 目の前にいるのにまるでここに存在していないような、気がついたらどこかに消えてしまいそうな儚さが彼には残っている。

 きっとアリサも、私と同じような感覚を味わうことがあるのだろう。だから彼と直接触れ合うことを望み、過剰なまでに世話を焼きたがる。


「私はどこにも行かない。いつだってアリサたちの傍にいる。私たちは友達だからね」


「それに、どこにも行かせないわよ。友達なら黙ってどこかにいくようなことを許すものですか」


 こいつは変なやつで、口が減らなくて、こちらが貴族だからって尻込みするどころか逆になじってくるようなアホだけど。

 私にとっては大事な友達なんだ。友達のためならいくらでも手助けはするし、こうやって誕生日を祝うのだって当然のことだ。お礼を言われるようなことじゃないのよ。


「うん、ありがとう……ユーゼリカ」


「だから、お礼なんかいらないわよ」


「ずっと、アドルちゃんとは友達でいてね?」


「………………………………と、友達ね。任せときなさい」


 ずっと友達という言葉にちょっと引っかかりを覚えたことに意味なんて無い。




 無いのよ、分かってるわね?


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