prologue/I Was The One(前)
本作品を閲覧頂きありがとう御座います。
冒頭から唐突な話ですが、この前章部分には人によっては不快に感じられるかもしれないような表現が含まれております。死生観や命に対する扱いに関するものです。
また冗長な説明が主になりますので面倒に思われる方は本編からお読みになって頂いても問題は御座いません。チートの内容だけ知りたいという方は後編の最後の辺りに纏めてありますのでそちらをお読み下さい。
これから先は本文となります。拙い作品では御座いますが宜しくお付き合い下さいませ。
細く短い人生だった。
自分の生きてきた道を振り返ってみれば、そう形容する他無いと思う。
大学を卒業して社会人になってわずか数年。会社の飲み会の帰り、電車の中で急に腹部に痛みが走った。
何かヤバいものでも口にしたか、なんて思ったら次の瞬間には床に倒れて意識を失い、気が付けば病院の白い天井を見上げていた。
医者はただの検査入院だなんて言ってたが、毎日のように見舞いに来る両親の姿と点滴から投与される効果の分からない薬物、大仰な機器での検査を受けるばかりの日々に違和感を感じ始めたのは何時頃だったか。
少なくとも食事も出来なくなってから数ヶ月が経ち、骨に皮が貼り付いているかのような細腕に刺さる針が四本目を数えた頃には己の運命を悟っていた。
ああ、もう私は死ぬのか、と。
病は気からと言うが、そう思ってからの進行は早かった。あっという間に会話することすらまともに出来なくなり、最近では一日の大半を眠りながら過ごしていた。
そして今朝になり、とうとうその時が訪れるのを感じた。
意外と死ぬことに対して恐怖を感じることは無かったのだが、ただいくつか心残りがあった。
まず、今まで育ててくれた両親に何も返すことが出来ないままに逝こうとしていること。
既にほとんど見えなくなった視界の中、ベッドの傍で俺の手を握り締めて泣いている母親と、拳を震わせながら俯いて立ち尽くす父親の姿を見て本当に申し訳なく思う。
親不孝な息子で、ごめんなさい。
長生きできなくて、本当にごめんなさい。
次に、いままでの人生で思い通りに生きてこなかったこと。
高校生の頃、進路について考えた際に就職に有利だからという理由で理系を選び、電気工学科に進んだ。
だけど俺が本当に進みたかったのは文学科であった。将来役に立たないという理由で諦めたがその選択を今でも後悔することがある。
お陰様で就活ではほとんど困ることもなく、あっさりと社会の一員となることが出来たが、そこに俺の夢見た世界は欠片も無かった。
インクの匂いが漂う部屋の中で悠々と本を読みながら過ごす日常。入院生活で多少はそんな暮らしも出来たが、無機質な病室ではなくもっと寛げる空間でそれを実現したかった。
波形の止まった心電図を眺めながら、薄れゆく意識の中で考える。
最後の心残り。それはとても俗なことでありなんとも申し訳ないのだが、まあ20代の色々と持て余し気味な世代であるということで何卒勘弁して欲しい。
こんな前置きのせいで大半の人は感づいているだろうと思うが、まあぶっちゃけてしまうとしよう。
恋愛したかった。んで、色々とチョメチョメ致したかった。
やーい、お前の人生、全年齢対象版!
エロもグロもない人生だったけど、せめてオチだけはついたかな……
*****
と、ここまでは記憶にある。
いやまあ死んだからには記憶も何もあったもんじゃない筈なんだが、それは一先ずどうでもいい。取り敢えず現状を確認しよう。
ひとつ、最も重要なことだが、あの時確実に私は死んだ。証拠といえるようなものは無いが、揺らぎ無い確信と実感が私にはある。
ひとつ、これは夢や幻覚といった類の代物ではない。半年近くベッドの上で夢を見て過ごしたのだ、現実のそれとの区別などもはや容易につく。
ひとつ、何故か私は異界のような場所にいる。地平線まで広がる平坦な白い床に、雲一つ無い青空。地球上にこのような景色を望める場所があるとはとても思えない。
ひとつ、私の体は形を失い、もやのような何かとなっている。しかし五感はしっかりと働いているようだからなんだかよく分からん。
以上の事柄より、結論としては。
「何も問題は無いな」
『一言目からそのような事を言われたのは初めてです』
「おおっ?」
突然目の前に小さな炎のようなものが現れたと思ったら、そこから女性の声が響いた。
ちろちろと燃えるその炎は、現在の私の体であるもやもやに比べどこか力強い印象を持っている。
『貴方の様に落ち着いた魂と話すのは久しい事ですね。大概の方は取り乱してまともな会話になるまでしばし時間が掛かるのですが』
「まあ半年近く自分の死なんていう最大級の凶事と向き合っていれば達観もしますよ」
『ふむ。では前置きは省略して、現在貴方の置かれている状況と、これから行われる事柄について説明させて頂いて宜しいでしょうか』
「前置き? ああ、慰めとかそのようなものですか。別に求めておりませんので結構です。話を進めてください」
『……冷静なのはいいのですが、逆にこちらの調子が狂いますね。では、少々長くなりますが話を始めさせて頂きます』
そうして始まった炎の女性の説明は、まあなんだ、色々と現代の価値観からすればぶっ飛んだ代物であった。
『まず第一に、ここは魂の中継点とでも呼ぶべき場所になります。本来死者の魂はその世界の管理者の下に送られ、罪科を処した上で再び輪廻の内に戻されることとなります。
ですが、特殊な事情がありその世界で処理出来ない魂に関しましては一度この場所に送られ、しかるべき調整を行った後に相応しい世界へと送られるのです。
貴方の魂に関しては死因がその世界の管理者では特定不可能であったという理由によりこちらへ送られることとなりました』
「特定不可能? 確かに新種の奇病だとは言われていましたけれど、魂を世界から村八分にされるようなヤバい代物だったのですか?」
って、そうだとしたら凄まじく嫌な予想がひとつ出来てしまう。
医師達の行った各種検査により私の病は感染症の類ではないという結論が出ていたため、臨終の瞬間まで私の病室は無菌室ではなく一般病棟の病室のそれであった。
それがもしも現代医学では発見不可能なウイルス等によるものであったならば、毎日俺の病室を訪れていた両親や医師たちに感染してしまっている可能性が高い。
ひょっとしたら、今頃日本ではパンデミックが起きてしまっている可能性もある。大変な事をしでかしてしまったのだろうか。そうだとしても確実に私のせいじゃないけれど。
『いえ、病気自体は他者に感染するようなものでもなく、私たちからすれば珍しいものでもありません。実際こちらに貴方が送られてきてから死因が特定されるまではほんの数瞬のことでした。
ただ、問題になったのはそれがその世界では決して起こり得ない病であり、そして対処法が一切存在しないということなのです。
その世界では対処不可能な病の因子を持った貴方をそのまま輪廻の渦に戻してしまいますと、もしかすれば種の存亡に関わるような事態に繋がる可能性もあります。
その為、一度世界から隔離した上で貴方に一つの選択をして頂くこととなったのです』
「ふむ。選択というのは?」
『魂の因子を書き換えて元の世界に戻るか、そのままの魂で病の起こりうる世界に転生するか、です』
ほうほう、ふーむふむ。
なるほど、まったく分からん。
「それぞれの選択によるメリットとデメリットを伺ってもいいですか?」
『はい。ではまず魂の書き換えから説明します。
こちらを選んだ場合、貴方は再び地球上の日本に生まれ、以前と同じ人生を歩むことが可能になります。ただし病に倒れるということはなく、生前の記憶も全て引き継いでいます。
貴方の生きた人生を再度なぞる事になりますが、行動によって前世とは別の岐路を進むことも可能でしょう。
デメリットに関しては幼少期に退屈するであろうことくらいであり、特に無いと言ってもいいでしょう。
次に違う世界に転生する場合ですが、こちらはデメリットの方が大きいのでそちらから挙げていきます。
まず第一に、貴方の魂に刻まれた病の因子がそのまま残るため、確実に同じ病に蝕まれるということ。何らかの対処法はありますが、それでも確実に辛い思いをすることとなるでしょう。
そして記憶の引継ぎがほぼ意味の無いものとなること。言語を始め一般常識から全て覚え直すことになります。
更には転生後の世界は安全が保障されないという点が挙げられます。これは生前に積んだ功徳の量――これを以降ポイントと呼びます――を消費することである程度指定できますが、前者を選択するのなら全く必要の無いポイントなので無駄金を使うようなものです。
逆にメリットですが、生前では考えられなかったような生活を送ることが可能です。本の中にしか無かったファンタジーを現実に味わうことができ、良くも悪くも退屈するようなことはまず無いでしょう。
またどちらを選択しても記憶の引継ぎを前提に、ポイントを用いて特殊な技能を身につけたり基礎能力の底上げを行うことが可能となります。』
他にも色々と長所短所はありますが大きな点としてはこういった所です、と言って女性は締めた。
安定志向で行けば間違いなく前者である。生前の知識を持ったままやり直せるのであれば、間違いなく薔薇色の人生が送れることだろう。
ポイント消費によりどんな特典が得られるのかは分からないが、それが無くとも既に勝ち組としての生涯は確約されているようなものである。
それに比べて後者に関してはギャンブル要素が極めて大きい。
戦時下の世界や人類が下等生物と見なされている世界に生まれたら即アウトの危険性があるし、それを回避しても生まれが奴隷だったりしたら目も当てられないことになる。
ポイント消費という回避策も用意されてはいるが、どうせならポイントは能力の強化に注ぎ込みたいところだ。
とどのつまり、この選択はこういうことを問うているわけである。
「約束された楽しい人生を蹴ってでも、刺激的な人生を求めるか」、と。
『選択は一度きりです。慎重に考えた上で宣告をお願いします』
何故このような事態になり、魂うんぬんといったオカルトな会話をする羽目になっているのか、正直良く分かっていないが。
少なくともこれだけは言える。
「慎重に? こんなもの、選択の余地すらないだろう。答えは一つだ」
英雄は死して名を残すという。
獣は死して毛皮を残すという。
だが、私は死して後悔を残した。
過ぎた時間は取り戻せない。だからこそ人は後悔し、次に備えて反省するのだという。
本来既に死んだ身である私に次などは無い。だから、後悔を抱えて消えていくしかなかった。
それが何の因果か、私には次の機会が与えられた。これはまさしく僥倖、降って湧いた奇跡というべき事態である。
だからこそ、無駄には出来ない。
だからこそ、私はしなければならないのだ。生前出来なかったことをするために。
そう、私は――
「別の世界に私を移せ、よく分からん変な炎よ」
決して後悔することのない、私の望んだ、私だけの選択をするのだ。