子猫はかわいくてかしこいので
※助かりますが、冒頭で子猫が酷い目にあいます。ご注意ください※
ガーデンパーティーの只中、色とりどりのドレスが翻る一角から少し離れて、伯爵家の令嬢シャーロットは美しい庭園を散策していた。
見事な造形美を誇る花や庭木のトピアリーに誘われ歩いていると、扇で口元を隠した同年代の少女たちが、嫌だわ、とささやきながらそそくさと横を通り過ぎていく。何か、とシャーロットが視線を巡らせれば、生け垣片隅にカラスが数羽たかっているのが見える。目を凝らしてよく見れば、カラスは何かをつついていて――何を啄んでいるのかを理解した瞬間、シャーロットは駆け出した。
「やめて、だめ! やめてちょうだい!!」
扇を振るい、シャーロットはカラスを追い立てる。ガアガアと恨めしげに鳴いてカラスが飛び立った。飛び去りはせずに、シャーロットが立ち去れば残りを食らってやろうと言わんばかりにカラスたちは生け垣の上に立つ。カラスの視線が集まる中、シャーロットは膝をつき、小さな命をすくい上げた。
両手の上にすっかり乗るくらいの、小さな小さな黒い子猫。ぱやぱやした毛はじっとりと血に塗れて、食いちぎられた傷口が覗いている。
「そんな、酷い、どうして」
微かに震えた前足。悟ってしまった。助けられない、と。瞳が潤んで――シャーロットは堪えきれず、か細い声を漏らし泣き出した。
理解していた。上位貴族としてふさわしい振る舞いではないと。同世代の貴族子女たちが集う場だ。失態をさらしたことを両親に叱られるだろう。ドレスのスカートも血で汚してしまった。眉をひそめる人の視線を感じる。この後、きっとひそひそと噂されるだろう。それでも、手の中の幼気な命が、今にも失われそうな温もりが、あまりにも悲しい。
どうしても泣きやめずにいるシャーロットの背後に、ひとりの少年が立った。少年はどこか困ったようにシャーロットと膝の上の子猫に視線を巡らせて、口を開いた。
「……その猫を、助けたいの?」
かけられた声に、シャーロットはしゃくり上げながら振り返った。涙で滲むシャーロットの瞳に映ったのは、明けてもなお霞む春の空のように淡い水色の髪と、真鍮色の瞳。その色合いを持つ少年を、シャーロットは人づてに聞いていた。シャーロットよりひとつ年上の十四才、開闢以来の魔術の天才と名高い公爵家嫡男ユージーン。シャーロットは涙をはらはらとこぼしながらユージーンを見上げ、震える唇を開いた。
「助けたいけれど、助けられないの」
「いいよ」
ユージーンがシャーロットの横に片膝をつき、子猫にそっと手をかざす。
「僕は丁度、そろそろ使い魔を決めようと思っていたところだから」
ユージーンの手から光があふれる。眩い光に包まれて、子猫の傷がまるで時を巻き戻すかのようにふさがっていく。ピクピクと耳が動き、子猫は顔を上げてユージーンを見つめた。
「おいで、ノア」
子猫が「にゃ」と可愛らしい鳴き声を上げて、ユージーンの肩に飛び乗る。ユージーンは片手で子猫を支えながら立ち上がって、シャーロットを見下ろした。
「今日は、帰ったほうがいいんじゃない」
「あ、あの!」
「ノアの様子が気になるなら、いつでも僕の研究室を訪ねてくればいいから」
そう言って、ユージーンはシャーロットの言葉を待たずに立ち去った。シャーロットはまるで夢に包まれるかのような心地で、光射す方へ歩んでいくユージーンの後ろ姿をぼんやりと見つめていた。
§
両親はシャーロットを叱らなかった。ほんのひと言苦言を呈しただけで後は娘の心根の優しさを褒め、それから何よりも、娘が突然結んできた縁に、少し困ったように笑っていた。
誘っていただいたのだから、とひとまず手紙を送れば、『本当にいつ来ても構わない。先触れもいらない』という返事が返ってきて。シャーロットは初回は恐る恐る、二回目からは足取りを弾ませて、足繁くユージーンの研究室に通い始めた。
〈あるじ、あーるじっ〉
シャーロットが顔を見せると、研究室に可愛らしい幼子の声が響く。
〈シャーロットきたよ! きた!〉
「見てるんだから、わかるよ……」
ユージーンが面倒くさそうに返事をする。ノアはユージーンの態度を気にも留めず、シャーロットに駆け寄った。
〈シャーロット、きょうはなに? なにあるの?〉
シャーロットは笑み崩れて膝をつき、すり寄ってきたノアの柔い毛を撫でる。シャーロットの胸元には水宝玉のペンダントが揺れている。当然のように会話を交わす主従を前に、シャーロットにはノアの声が聞こえないと知ったとき、しょんぼりとしたシャーロットに後日ユージーンが贈ってくれた、ノアの声を聞くための魔術具だ。
「今日は、ささみスープを持ってきましたよ」
〈ささみスープ! ノアそれすきっ〉
ピンとしっぽを立てて、ノアが『早くくれ』と急かすようにシャーロットの膝によじ登る。シャーロットはゆるゆるに頬を緩ませて、ノアを抱き上げた。
「ンフフ、ノアくんかーわい、かわいいですね、かーわいい」
〈ノアはかわいいだよ、でもあるじはあんまりいわない〉
シャーロットの手にじゃれつきながら、ノアが堂々と宣う。ユージーンは呆れた声を出した。
「使い魔を猫可愛がりしてどうするの」
〈ノアかわいいなのに?〉
「お前ね……」
主従の会話にくすくすと笑いながら、シャーロットはノアのお皿に持参したささみスープを注いだ。ほんの少しだけ、ほぐしたささみも入っている。ノアが〈おにく!〉と弾んだ声を上げてぴょんと飛ぶ。一心不乱にささみスープを食べるノアを相好を崩し眺めて……シャーロットは心から、幸せを噛み締めていた。
あの日から半年ほど。本当に足繁く、毎日のように研究室に通いづめてしまった。どこに何があるか、いつ、どれくらいノアにおやつをあげてもいいか、勝手知ったるほどに。
迷惑だろうか、と迷う日もある。それでもノアに会いたくて、ユージーンに会えることが嬉しくて、シャーロットは研究室に向かう足を止めることができない。ことさら歓迎したりせずに、それどころかろくに挨拶もせずにシャーロットの存在を受け入れるユージーンの態度が、まるで『ここにいて当然』と示しているようで、胸が締め付けられるほどの幸福を感じる。だってシャーロットは、ユージーンに恋をしているから。
ノアが救われたのと同時に、どうしようもなく恋に落ちてしまった。……ユージーンはどう思っているだろうか。こんなに受け入れてくれているのだから、憎からず思ってくれているのだろうか。ちらりと送った視線の先で、ユージーンがため息をこぼした。
「何でそんなに可愛い自認なの」
〈だってノアはノアだけど、ノアのおなまえは『かわいい』だよ〉
ささみスープを平らげたノアがぺろりと口元をなめる。シャーロットはたまらずノアに手を伸ばした。
「キャー! ノアくんはかわいい! かわいいですもんねえ!」
撫でるシャーロットの手にじゃれついて転がり、ノアがふわふわのお腹を見せてくれる。シャーロットはノアのお腹を撫で回し、手に思い切りじゃれつかれながらしみじみと呟いた。
「ずっとこのままでいてほしい……」
「僕は早く利口になってもらいたい」
ユージーンがうんざりと呟く。ノアがピンと耳を立てた。
〈あるじ、ノアはかしこいだよ〉
「その尻尾が二又になる頃には、今よりずっと利口で強くなっているよ」
苦笑を浮かべ、ユージーンがノアの眉間を撫でる。ノアは目を丸くして、きょとんとユージーンを見つめた。
〈ノアつよくなるの?〉
「ああ。早く強くなって、あのカラスたちに仕返しするといい」
〈する!!〉
素早く身を翻し、ノアがまだ少しぱやぱやの残る毛を逆立てた。
〈ぜったいゆるさない、ぎったんぎったんにしてやる!〉
ノアは耳を倒し背中を弓なりに高く丸めて、シャーと牙を見せる。ユージーンは軽やかに笑った。
「カラスの寿命が尽きる前に、急げよ」
あんなにも恐ろしい目にあったのだから、怯え縮こまっても当然だと思うのに。怒り、立ち向かおうとするノアの強さが眩しくて、シャーロットは目を細めた。あまり危ないことはしないで欲しいな、とつい願ってしまうシャーロットの前で、ノアはご機嫌になって声を弾ませる。
〈ノアかしこいから、いいことおしえてくれたあるじに、いいことおしえてあげるね〉
「なに」
〈あのね! シャーロットが、あるじかっこいいって!〉
「キャー!!」
にこにこと主従が話すのを見守っていたシャーロットに、突然爆弾発言が投げ込まれた。シャーロットはたまらず悲鳴を上げる。
〈ノアかしこいからおぼえてるよ! すきっていってた!〉
心当たりはある。ノアが喋れると知らなかった、初めて研究室を訪ねた日だ。元気に走り回るノアに安堵して、安堵するあまり泣いてしまって。ぎょっとしたユージーンが研究室を飛び出して、残されたシャーロットは泣きながら、ノアに向かって心のまま喋り続けた。――何を喋っているかもあやふやなまま、心のままに。
「あ、あ……」
言葉が出ずに、シャーロットは顔を耳まで真っ赤に染めてわなないた。しんと静まった研究室に、次の爆弾発言が落とされる。
〈あるじうれしいでしょ! あるじはシャーロットがすき〉
「ノア黙れ!!」
ユージーンが叫んだ。ノアは〈へんなの!〉と言って、気の向くまま窓から差し込む光を捕まえようと遊び始める。ふたりは言葉を失って、真っ赤な顔を見合わせた。恥ずかしさのあまり滲んだシャーロットの涙に、ユージーンが前髪をくしゃりとかき上げる。
「――初めて見たときからそうだ。君が泣くと堪らなく落ち着かない」
ユージーンは苦虫を噛み潰したような顔でシャーロットを見つめた。
「にこにこ菓子を摘んで、楽しそうに庭園を眺めて、少し目を離したら泣いている。理不尽だ。何をしてでも泣きやませなければいけない気になる」
初めて研究室を訪ねた日。研究室を飛び出したユージーンは花を腕いっぱいに抱えて戻ってきて、それから魔術で部屋中に花をくるくると舞わせた。シャーロットは泣きやんで、舞い踊る花を見つめて口元を綻ばせた。ほっとした様子でシャーロットを眺める、ユージーンの眼差しを今思い出す。
「笑っていて。――泣くなら僕の近くにして」
はい、と小さくこたえて、シャーロットは微笑みながらぽろりと涙をこぼす。ユージーンは困り果てたように、「この場合はどっちなんだ」と呟いた。
ノアは満足そうに〈ノアは『かしこい』だからねー!〉と毛づくろいを始めて――どう見ても両想いだろう、という状況に、すでに両家の間で縁談が進んでいたとふたりが知るのは、この後すぐのこと――
シャーロット:この後家に帰って、両親からユージーンとの婚約を聞かされる。本当にこの後すぐ。
ユージーン:『魔術にしか興味を示さなかった息子がついに!!』と知らぬ間に両親に外堀を埋められた。まだきちんと自覚できずにいるけれど、主従の繋がりからノアが読み取ったユージーンの感情は、まごうことなく『シャーロットが好き』
ノア・カワイイ・カシコイ・ネコチャン:後に『アレはアレで、生きるためだった。自分は生きているし、主に会えた』と心の落とし所を見つける。かしこいので契約してすぐの頃から記憶があるし、『相応しい使い魔を選定していたのに、そんな小汚い猫をなぜ!』と叫んだニンゲンの顔も覚えている。将来の姿は九尾の最強御猫様。








