第3話
翌朝、澪はスマホのアラームが鳴るよりも早く、朝の日差しと鳥の声で目を覚ました。昨夜は不思議なものを目にしたおかげで落ち着かない気持ちでいたが、気がつけば眠りについていたらしい。澄んだ朝の空気のおかげで、いつも家で迎える朝よりも気持ちよく思えた。
身支度を済ませ用意しておいた朝食を摂ると、廊下から伊原の声が届けられた。
「起きてらっしゃいますか?」
「おはようございます。開けていただいて大丈夫です」
戸を開けて顔を覗かせた伊原は朝早くにも関わらず、しっかりと身なりを整えた姿だった。その立ち姿からは、集落の地主であることが自然と伝わってきた。
「おはようございます。今日はどうされますか?」
「今日は昨日お聞きした話を参考に実際に様子を見て回ろうと思っています。ご迷惑でなければもう一晩泊まらせていただきたいのですが、お願いできますか?」
澪の返事を聞いた伊原は悩むこともなく首肯してくれた。
「ええ、何もお構いはできませんが、部屋であれば何日でも使っていただいて結構です。また何か聞きたいことがあれば声をかけてください」
そう告げると伊原は部屋を後にした。
伊原には昨日の話を参考にと答えたが、澪の心の中では今日調べたいことは決まっていた–––––昨夜目撃した人影の向かった先に何があるか調べる。それがこの集落を訪れた目的である噂の謎に繋がっている気がした。
屋敷から通りに出ると、昨日見たのと同じように静かな田舎風景が広がっていた。道ゆく人におかしなところはなく、澪にも気持ちよく挨拶をしてくれる。
昨夜の人影が向かった方へ歩みを進めると、集落を外れ山へと向かう道へ出た。集落の中心にある伊原の屋敷のあたりに比べると、少し人通りが少ないだろうか。
そこへ通りかかった女性に澪は声をかけることにした。
「こんにちは、少しお時間よろしいですか?」
「こんにちは。学生さんかしら?」
女性は足を止めると気持ちよく挨拶を返してくれた。澪が嘘を口にする前から学生だと思ってくれたらしい。
「大学の調査で、少しお話し伺えますか?」
女性が肯定の返答をするのを確認すると、早速気になることを聞くことにした。
「この通りはどこにいくんでしょうか?」
「ここをまっすぐ行くと集落を出て山のほうに行くのよ」
「どこかにつながっているとか、先に何があるとか追うことはないんですか?」
「どうだったかしら」
女性は首を傾げ、少し沈黙した。
「何か建物があったような気もするけれど、わざわざ行く用事もないからあまり知らないわ」
澪は女性に感謝と別れを告げると、通りをさらに行くことにした。もともと舗装されていない田舎道ではあったが、心なしか少しずつ荒れた山道といった雰囲気が出てきた。人影も減る一方だ。
周りに人がいないことを確認すると、澪はカバンからカメラを取り出し録画ボタンを押した。カメラを構えながら次第に歩きにくくなる道を進んでいると、女性が言っていたものだろう建物が見えてきた。
その建物は木材を使って建てられた粗末な小屋だった。遠くから見ているときには分からなかったが、近くで見るとかなり年季が入った建物に見える。何か違和感を覚える建物だった。
カメラに映しながら一回りして気がつく–––––その小屋には窓がなかった。そのことに思い当たったとき、気がつくと背中にうっすらと冷や汗をかいていた。そこ知れぬ感情を覚えながら、構えたカメラを下ろすことができない。
深く呼吸をして気持ちを落ち着かせると、澪は扉を叩く決意をした。無礼に思われぬようにカメラを一度止め、スマホの録音アプリを立ち上げる。扉の前に立ち、もう一度深呼吸をした。
コンコンコン。
周りに誰もいない小屋の前に扉を叩く音が広がった。中から応える声はない。
コンコンコン。
もう一度扉を叩くがやはり応じる声はない。それどころか中からは物音もしなければ人の気配も感じられなかった。
応答がないことが分かった澪は心なしか早くなる歩調を抑えつつ、小屋の前を後にし、通りをもとに伊原の屋敷まで戻った。
屋敷に戻った澪は玄関で伊原に迎えられた。
「おかえりなさい。調べ物は順調ですか」
今朝と変わりない様子の伊原の顔を見て、澪の中にあったそこ知れぬ感情は鳴りをひそめ、一気に現実へと引き戻されるようであった。
「はい。おかげさまで勉強になっています」
一息おき、再び伊原と目を合わせると澪は問うた。
「一つお伺いしてもよろしいですか?」
伊原は迷うこともなく首肯すると、澪に先を促した。
「集落の外れの山側に小屋のような建物があるそうなのですが、伊原さんはご存知ですか?」
「…さて、知りませんな。物置か何かでしょう」
そう答えた伊原は澪のことを待たずに屋敷の中へと去っていった。態度こそ変わらなかったものの、その背中からは何も話すことはないという気配が感じられるようだった。




