ずっとずっと僕のことだけを考えて
その男は「自分は同性愛者だ」と言った。
「つまり、男の人が好きだと」
「恥ずかしい話だけどね?」
男は笑う。酒に酔っているからなのか、顔は朱を帯びて、体温の高さと合間見れば確かに恥ずかしがっているのかもしれない。
それとも、恥ずかしいと口にして自分が傷つかないように守っているだけなのかもしれない。
笑う男の瞳がどこを向いているのかわからないが、時折細められた瞼の中で黒い光沢が真正面に来る。それでも一秒か二秒ほど。僕を凝視してはすぐに離れていく。
「結婚してんのさ。ほら、薬指」
男は自分の細く白い指に嵌めた無骨な指輪を見せてくる。先月式を挙げたのだと。お相手は婚活パーティーで出会った女性だ。
「好きなんだよ。好きなんだ。だけどさぁ」
満たされない。違和感がある。つまるところ、幸福ではないのだと男の言葉から贅沢なニュアンスを感じ取る。
「変だろ?」
「変じゃないですよ」
僕が即答したことに男は驚いた様子だった。これまでも同じことを言った人間はいただろうに。瞳孔は開かれその暗黒に僕を映している。僕の表情から言葉の真意を探ろうとしているのだ。その視線から逃れるようにグラスを傾ける。5万円前後のスパーリングシャンパンが口に溶ける。
「だって、奥さんのこと好きなんですよね?」
「ああ。でも」
男の口に指を当てる。男は口を窄め、それを確認するように唇を撫でた。
「奥さんを傷つけたくないんですよね」
「あ、ああ」
余韻に浸り、あやふやな返事と錯乱する目線。男がどれほど同性を性的に見ているのかがわかる。同時にそれをどれほど隠してきたのか。ちょっとしたスキンシップも彼にとっては初心な思春期の魅力的な刺激と同じように感じられたことだろう。
「だから秘密を抱えてこられた」
僕はテーブルのアイスペールへと目線を下げて、憂いを帯びた声で言う。
「妬いちゃうなぁ……」
「………………は、ははっ」
男は口を歪ませて、何とも言えずに乾いた笑いだけを溢した。
「…………えっと、な、何か頼む?」
そう言って逃げようとする男に僕はくすりと笑うと甘えた声で囁く。
「ねぇ。お兄さんは、男の人に告白した経験ってあります?」
「…………あ、ああ」
一点を見つめる僕の目から男は顔を逸らす。まるで過去の自分を思い返すようにその顔に影が落ちる。
「高校の同級生に、一度だけ。……普通に振られたけどね」
普通。さも、当たり前のことだと今はわかっているように。
「へぇ。お兄さんから告白されるなんて……羨ましい」
「…………ははっ」
男の目が僕に向く。顔、体。無心で眺めて、振り払うようにギュッと目を瞑った。
「やめてくれ。妻がいるんだ」
「…………やだな。冗談ですよ」
「……そう、だな。冗談……だよな」
男はそう繰り返してソファの背もたれに身を預けた。安堵、そして落胆の息が漏れる。
「ねぇ、お兄さん。告白って、怖いものですか?」
「ああ、怖い」
僕の質問に男は疲れきった様子で答える。
「振られるんじゃないかと考えると、怖くて」
ズルい解答だ。
「それでも告白した」
いつだって貴方達はそうだ。
「好きだったから」
自分の想いばかり優先させる。
告白された側のことなんて気にも留めないのだろう。
数秒の沈黙。氷が溶けてボトルが音を鳴らす。
「本当に好きだったんですかね」
「え……?」
男の間抜けな顔にほんの少しだけ苛立った。
同性からそういう目で見られているということ。
学校という閉鎖空間でそんな貴方と一緒に過ごさないといけないこと。
貴方達にとっては、馬鹿なことをしたと思い出にできても、僕にとっては永遠に付き纏う呪いになる。
「だって、本当に好きだったなら……。僕なら相手の迷惑になるかもって……告白できないですから」
そう言って、男の薬指を愛おしそうに撫でた。
今度は貴方が狂えばいい。
ずっとずっと僕のことだけを考えて。




