断罪イベント365ー第55回 なぜ彼女は“B”と呼ばれるのか
黒幕ラボの創設期――
まだ看板も、紅茶室も整っていなかった頃の話である。
王都の断罪劇が次々と炎上し、クラリ嬢は一人、火消しに追われていた。
人を信じる余裕などない、そんなある日、ひとりの侍女が派遣されてきた。
「“B”と呼ばれた少女」
「新任の侍女です。」
扉の外から、静かな声がした。
入ってきたのは、背筋のまっすぐな少女。顔立ちは整っているが、感情はほとんど表に出ていない。
クラリ嬢はペンを置かずに言った。
「名前は?」
少女は一瞬、迷ったようにまばたきし――
「……必要ございません。」
「なぜ?」
「役職のほうが正確です。
名前より、働きで覚えていただければ。」
その返答に、クラリ嬢は思わず笑った。
どこか、自分に似ている気がしたのだ。
「じゃあ、あなたは……そうね。“B”と呼ぶことにしましょう。」
「B、でございますか?」
「ブレイン。頭脳、という意味よ。
今のこのラボには、冷静な頭が必要だから。」
少女はわずかに頭を下げた。
「承知いたしました。」
─その日から、Bの観察と記録の日々が始まった。
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クラリ嬢は紅茶が好きだ。
1日に最低でも3杯、多ければ5杯。
だからこそ、Bはまず紅茶の「分析」から始めた。
選ぶ茶葉は、クラリ嬢の集中度に合わせて調整される。
・【アッサム】:力強いコク。推理中に。
・【ダージリン】:軽やかで香り高い。文章校正時に。
・【キームン】:まろやかでバランス型。悩んでいるときに。
・【ハーブティー】:睡眠不足時用。あくまで非常手段。
湯温は常に93度。
ただし、一度だけ空のポットに移して「92度」に落とす。
「香りが立ちすぎると、演出の邪魔になりますので」とはBの弁。
さらに水にもこだわる。
茶葉と同様、水にも“相性”があるという。
・軟水は香りを引き出し、
・硬水は紅茶の渋みを際立たせる。
Bは、井戸水・湧水・市販ミネラルを比較し、
最終的に「雨を受けてろ過した白い瓶の水」に落ち着いた。
(クラリ嬢曰く「ラボのどこにそんな瓶があるのよ……」)
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記録帳の端には、いつも「観察」欄がある。
・クラリ様、本日3杯目。
・文体、少し乱れ気味。
・砂糖は入れず。代わりに沈黙を。
・筆のリズム、前日比+12%。絶好調。
クラリ嬢はその帳面を時々覗いては、口元をゆるめる。
「あなた、観察しすぎよ。」
「観察とは、誠実の証です。」
「……理屈っぽいところも、ブレインらしいわね。」
それが、ふたりの最初の冗談だった。
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数ヶ月後。
紅茶室に、ようやくカーテンがついた。
窓辺には、小さな鈴が吊るされる。
風が通るたび、チリリと鳴る。
クラリ嬢はカップを持ちながら、ぽつりと言った。
「B、あなたの紅茶、いつも少しだけ“間”があるのね。」
「ええ。香りが広がる時間を測っています。
お嬢様が考え事を終えるころに、ちょうど飲み頃になるように。」
「……それって、ラボの仕事じゃないわよね?」
「いえ。ラボの頭脳なら、主の心を読むところから始めるべきかと。」
クラリ嬢はその答えに、何も言わなかった。
ただ、カップを持ち上げ――静かに笑った。
「……あなたがいてくれて、よかった。」
Bは紅茶の香りが立つのを見届けてから、そっと頭を下げた。
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