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第5話




  ――「ひどい」って、何よ、私。



 朝の鏡の前で、思わず自分にツッコミを入れる。



「ねえ、何が“ひどい”なのよ。いやほんと、どの口が言ったのそれ。怖いっ!」



 昨夜の記憶が蘇るたび、布団を被って消えたくなる衝動にかられる。いや、むしろ今すぐ異国に旅立ちたい。名前変えて。身分証も焼いて。


 だって、考えてみてほしい。


 全部、自分の勘違いじゃない?


 誰がどう見ても、セオドア様は何も悪くない。手紙も書いてなければ、婚約だって実質もう終わってるし、文通してたのは別人同士だったし。


 それを私ったら、感情が抑えきれずに、まさかの、



「もう、わかりませんっ……っ!」



 ――って、まるでドラマのヒロインみたいな捨て台詞を吐いて逃げたわけですよ。


 思わず床に突っ伏した。誰かあのときの私を時空の彼方に蹴り飛ばしてほしい。過去の自分が今この部屋にいたら、間違いなく正座させて説教してる。


 でも、でも、あのときは本当に、わけがわからなかったんだもの。


 胸がぎゅっとして、涙が出そうで、怖くて、恥ずかしくて、どうしたらいいかわからなかった。

 そしてなにより……あの一言を、ずっと心のどこかで、期待していたから。



 (勘違いしてても、ほんとに好きだったんだな、私……。)



 鏡に映る自分を見ながら、こっそりと認めたくない本音が顔を覗かせる。だけど今さらどの面下げて会えばいいのか。


 ――ああ、どうかこのまま、お屋敷のどこかに隠れてやり過ごせますように。


 そう心から願ったその瞬間、部屋の扉がノックされた。



「……ミレイユ?セオドア様が、お見えですって。」



 終わった。願ったそばから。どうしたらいいんだろう。昨日の今日で、まだ顔を見て話しなんてできない。



「体調が優れないって言って、お帰りいただくね!」



 返事ができないでいると、何かを察してくれたのか、私を呼びに来たハミールは、努めて明るい声で続けた。


 ハミールの気遣いに感謝しかない。今度好きなスイーツ奢るからね…。


 嘘から出た実か、本当に体調が悪くなった気がして、ベッドに戻る。午前中だけお休みさせてもらって、午後からお仕事をしよう。


 心の中で、ハミールと侍女長に謝って、私はもうひと眠りすることにした。









 午後になって、体も少し軽くなった気がしたので、私は厨房の片付けを手伝い、洗濯物を干し、いつも通りに仕事をこなしていた。



  ――なるべく、何も考えないように。



 そんなときだった。中庭に面した回廊で、掃き掃除をしていた私に、後ろから静かに声がかけられた。



「ミレイユ、少し、いいかしら?」



 その柔らかな声に振り返ると、やはりお嬢様だった。


 陽の光を背にして佇む姿は、いつもと変わらず美しく、けれどどこか心配そうに私を見ていた。



「は、はい……。何か、ご用でしょうか?」


「ううん。ちょっとだけ、お話がしたくて。」



 お嬢様は、回廊の脇にあるベンチに私を促す。私はほうきを壁に立てかけ、ぎこちなくその隣に座った。


 そして――少しの沈黙の後、お嬢様が、ぽつりと口を開いた。



「……昨日は、驚かせてしまってごめんなさい。ちゃんと、話しておくべきだったわね。」


「い、いえ……私こそ……取り乱してしまって、申し訳ありませんでした」



 声が震えそうになるのを、必死に抑える。


 お嬢様は静かに首を振った。



「ミレイユは悪くないわ。…でもね、ちゃんと私からも言っておかなくちゃ、と思ったの。文通のこと、ダリオンのこと、そして――セオドア様のこと」



 私は静かにうなずいた。



「……はい。昨日、セオドア様が言っていました。ずっと、お嬢様とダリオン様が手紙を交わしていて、セオドア様はただの仲介役だったって……。」



 そう言いながら、胸がちくりと痛んだ。



「つまり、セオドア様が、お嬢様と文通していたわけじゃ……?」


「ううん。一通も書いていないわ。」


「…………。」


 私は何も言えず、ただ目を伏せた。セオドア様に届いていた手紙も、私が何度も届けたものも、全部……ダリオン様宛てだったんだ。


 ずっと……ずっと、勘違いしていた――!


 改めてお嬢様の口から事情を聞いて、顔から火が出そうだった。穴があったら飛び込んでいたと思う。


 けれど、今さら笑い飛ばせるような話じゃない。



「でも……それじゃ、セオドア様は、ずっと私の勘違いに気づいて……?」



 リゼット様は少しだけ言葉を詰まらせ、やがて、やわらかく微笑んだ。



「……気づいたのは、つい最近みたい。ミレイユが手紙を届けなくなってから、気づいたらしいわ」



 わかっていたらすぐ言ってよ……と言いたいけれど、たぶん、それが言えないくらい、セオドア様も悩んでいたのだろう。


 私は小さくため息をついた。



「……なんだか、もう、穴があったら入りたいです……。」



 情けない声が口から漏れる。自分で言っておきながら恥ずかしくて、膝の上に置いた手をぎゅっと握りしめた。


 お嬢様の前で涙ぐんだりしたら、ますます見苦しいと思うのに、胸の奥がしくしくと痛んで、困る。



「今思えば、気づく機会はいくらでもあったのに……なんで、あんなに都合よく解釈してたのか、自分でも呆れます。」



 必死に笑おうとしたけれど、声が震えてしまった。


 文通の返事がなんだかそっけないとか、封筒が地味だとか、そういう違和感の一つひとつを見て見ぬふりしてきたのは――きっと、そうであってほしいと願っていたからだ。


 リゼット様は少しだけ目を伏せて、それから顔を上げた。



「謝らないきゃいけないのは私の方なの。あなたが勘違いしていたことを、私はどこかでわかっていたの。……けれど、セオドア様の気持ちが独りよがりじゃないか、それを確かめるまでは、あなたに真実を伝えるのが怖かった。」


「お嬢様……。」


「でも昨日、ようやく確信できたわ。あなたも、彼のことを想っているって。」



 私は思わず口を噤んだ。けれど、否定する気持ちはもうなかった。



「……すみません、ほんとはもっと早く気づくべきでした。」


「ううん。それにね、お父様に正式にお願いして、婚約を解消していただいたわ。もちろん、すぐには公にはできないけれど……事情を説明したら、理解してくださったの。」


「そ、そんな……!じゃあ……じゃあセオドア様との婚約は……。」


「もう、形だけのものよ。たぶん、貴女に話したいと言っていたのはこの事だと思う。」



 私は、言葉が出なかった。なんていうか、いろいろと、いろいろと情報量が多すぎて。



「……ミレイユがいてくれて、本当に助かったの。でも、こんな事になるなら、最初から全部、正直に話しておけば良かったって思ってる。」


「…………お嬢様。」


「昨日のあなたの言葉、セオドア様……とても傷ついていたみたい。けれど、ミレイユが自分の気持ちに気づいてくれたこと、それだけは嬉しかったって。」


「~~~~っ。」



(う、うわぁ、ぜんぶ知られてたぁ……。)



「無理にとは言わないけれど……もし、少しでもまた彼と話してみようと思えたら。その時は、私じゃなくて、自分の気持ちで向き合ってあげてね。」



 お嬢様の言葉は、優しくて、でもどこか背中を押すような力強さがあって。


 私はこみ上げてきた感情をなんとか抑えながら、小さく頷いた。



「……ありがとうございます。お嬢様。」



 リゼット様は、ふっと笑って、私の手をそっと握ってくれた。そして、少しだけ間を置いたあと、穏やかに口を開いた。



「……今後の手紙のやり取り、引き続きハミールにお願いしてもいいかしら?」



 私ははっとして、お嬢様の瞳を見つめた。けれど、頷く以外の選択肢はなかった。



「……はい。私も、そうしていただけると……助かります。」



 たぶん、今の私じゃ――セオドア様に会っても、まともに目を見て話せない。


 こんな情けない自分を見られるくらいなら、しばらく会わない方がいい。


 気持ちを整理して、ちゃんと向き合えるようになるまでは……。



「ありがとう、ミレイユ。無理しないで。今は、自分の心を大切にしてあげて。」



 お嬢様の言葉が、胸に優しく染み込んでくる。まるで、私の弱さも全部、最初からわかっていたみたいに――。



「……ご迷惑をおかけしてばかりで、すみません。」


「迷惑だなんて思ってないわ。むしろ感謝しているのよ。だって……」



 そこまで言って、リゼット様はそっと微笑んだ。



「私は、あなたに幸せになってほしいって、心から思ってるもの。」



 ――その言葉に、胸がぎゅうっと締めつけられる。


 私がずっと応援していたお嬢様の恋は、最初から違う形になっていた。


 けれどその想いが、今も私を支えてくれている――そんな気がした。









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