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第2話





 道端に小さく咲いた草花は、陽に焼かれすぎることもなく、ただ柔らかく風に揺れていた。行き交う人で賑わう市場を抜けて、伯爵家へ帰る道すがら、少し遠回りをして騎士団営地へと向かう。


 剣同士がぶつかり合う音が響く訓練場を抜けて、宿舎の入り口に立つ騎士に声を掛ける。



「こんにちは。いつもご苦労様です。」


「あぁ、ミレイユちゃん!いつもご苦労様、ちょっと待っててな。」



 初めて来たときは、怪訝そうな顔で名前を確かめられたけど、もうすっかり顔馴染みになってしまった。挨拶もそこそこに、見張りの騎士が宿舎の中に入っていく。


 あのお茶会の翌日に、お嬢様の手紙を届けて以来、もう何度も宿舎に通っている。それ自体に何か思うところがあるわけではない。むしろ、お二人の文通のお手伝いをできることは、お嬢様の恋を応援し隊の私にとって大変喜ばしい事である。



 ―――でも、それにしたっておかしいわよね。



「ミレイユ嬢!……来てくれて嬉しいよ。いつもすまないな。」


「……いいえ、とんでもありません。お役に立てて嬉しいです。」



 そう答えながら、笑顔を作る。けれど、その言葉とは裏腹に、私の心にはモヤモヤがくすぶっていた。


 おかしい。やっぱりおかしいわよね?


 だって、これはあくまでお嬢様とセオドア様の恋文のやりとり。それなのに、渡しに来ているのはいつも私で、返事を受け取るのも、いつも私。


 しかも、なんだか彼、毎回少し嬉しそうじゃない?前よりずっと話しかけてくれるし、最初より表情もやわらかいし――。



「あの、今日は、お時間はありますか?」


「え?……あぁ、そう、ですね。はい、大丈夫です。」


「では、こちらに。むさ苦しいところで申し訳ないが…。」



 心なしか嬉しそうな声音で、宿舎の中を案内される。先週も誘っていただいたのに断ってしまったので、今日は大人しく付いて行くことにする。


 いつもは凛々しく吊り上がった眉が、情けなく垂れ下がっているのを見ると、断るのが申し訳なくなってくるのだ。


 なぜ私が気を使わなければいけないのか。前を歩くセオドア様の背中をついつい睨みつけてしまう。


 それにしても、私をお茶に誘うくらいなら、お嬢様をデートに連れ出して差し上げたらいいのに!忙しいのは分かるけど、私なんかに構ってる時間があるならお嬢様に時間を使うべきでは?


 私は買い物カゴに忍ばせた手紙を見た。いつもの簡素な封筒。そこに、そっと指先を触れる。



(……やっぱり、ちょっと地味よね。)



 手紙そのものは少し厚みはあるものの、封筒も無地で装飾もない。お嬢様のお手紙にしては、少し素っ気ないような気がしてしまう。


 けれど、すぐにほんのり甘い香りが鼻先をかすめた。



(……あ、でも、やっぱり。)



 ほのかに漂う薔薇の香り。リゼット様がいつも身に纏っている香水と同じ――きっと、手紙に忍ばせたのだ。



(ふふっ。やっぱりこれは、恋文じゃない)



むしろ、地味な封筒なのは“他人に気取られないように”というお嬢様なりの配慮なのかもしれない。


 お淑やかで控えめなお嬢様らしい、奥ゆかしい愛の形。私はにんまりとしながら、姿勢を正した。



「……あの、お嬢様はお変わりありませんか?」



 セオドア様が、こちらを振り返りふと尋ねる。その声に、私は内心でガッツポーズを決めた。



(気にしてるのね!やっぱりお嬢様のこと、ちゃんと想ってるんだわ!)



 嬉しそうにしていたのは、お嬢様の様子を私の口から聞き出せるからだったのね。


 いっそ本人同士で手紙を渡し合えたら、きっと一歩踏み出せるのに――。



「お変わりありませんよ。毎日、訓練場の前を通るたびに、“今ごろセオドア様も頑張ってらっしゃる頃かしら”と仰ってます。」



(ほんとは郵便経路の都合ですけど、そこは気遣いで盛っておくわ。)



「……そう、ですか」



 彼はわずかに目を伏せる。その横顔に、私はまたもや切なさを覚えてしまう。



(……あぁ、もうっ!やっぱり不器用な人!このままじゃ、手紙のやりとりだけで一年経っちゃう!)



 騎士たちが普段利用しているであろう食堂に入ると、セオドア様に促されてベンチに腰掛ける。


 私がすぐに手紙を差し出すと、すっと受け取った彼がふと、私の手元を見た。



「……そのリボン。」


「え?あっ、これですか?今日は買い出しの帰りなので、少し派手だったでしょうか。」


「いや、似合ってる。……さっき風に揺れてたから、目に留まった。」



 ぽつりと呟いたその一言に、私の心臓がいきなり跳ねた。



(え、今……?)



 まさか――。


 いやいや、違う!これはきっと、恋する乙女のメッセンジャーへの敬意ってやつ!


 お嬢様への好意がにじみ出た結果の、何気ないひと言よね!



「あ、ありがとうございます。」


「いや、急にすまない。」



 二人の間に沈黙が落ちた。


 普段褒められ慣れてなくて、ついついドキッとしてしまった。お嬢様、申し訳ありません!ちょっとした出来心なのでお許しください!


 心の中でお嬢様に土下座をして謝っていると、セオドア様がふと口を開いた。



「……あの、ミレイユ嬢。」


「はい?」



 お嬢様に関する新しい進展かしら。私はすぐに顔をあげた。



「女性というのは……その、男性から……その……デートに誘われたら、嬉しいものですか?」



 唐突な問いかけに、一瞬きょとんとしたあと――私はぱあっと顔を輝かせた。



「もちろんですとも!それはもう、舞い上がるくらい嬉しいですよ!」


(セオドア様……ついに!!)



 きっと、ようやく勇気を出されたのね。お嬢様への想いがあふれて、行動に移すことを決められたのだわ。


 私が感激して目を潤ませているとは露知らず、セオドア様はなぜか少し目を伏せて、呟くように言った。



「……ミレイユ嬢が、嬉しいと思うなら……よかった。」


「え?」


「いや、なんでも。……その、月末の休暇に、湖のある公園へ行こうと思っています。」



 ゆっくりと、けれど確かに選んだ言葉だった。



「……もし、ご都合が合えば――お嬢様と、ご一緒に。」



 きた、これきた!デートのお誘い!私は拳をぎゅっと握りしめた。



「喜んでお嬢様にお伝えいたします!きっと、お嬢様もお喜びになります!」


「……ありがとう。では、そのように。」


 セオドア様と向かい合ってお茶をいただきながらも、私の頭の中はもう、お嬢様とセオドア様の恋の行方でいっぱいだった。


 ――初めてのデート。湖の見える公園。


 穏やかな風、揺れる木々。視線がふと重なって、照れくさそうに笑い合うお二人……!



(あぁ、想像するだけで尊い……!)



 思わず頬が緩んでしまう。気を引き締めなければと思うのに、どうしてもにやけてしまう。だってこれは、長く冷戦状態だった二人の、やっとの前進なのだから。


 お嬢様は不器用で繊細で、セオドア様もまじめすぎて空回ってしまうけれど……きっと、この一歩が二人を近づけてくれる。


そんな未来を夢見ながら、私は今日も“恋の使者”としての使命を胸に刻んだ。









「――というわけで、お嬢様!セオドア様からデートのお誘いです!」



 帰宅するなり報告した私に、お嬢様は最初こそ「まぁ」と微笑んだけれど、その目は一瞬揺れた。



「……それ、本当に私宛てだったのかしら?」


「え? 何を仰いますか。セオドア様が、湖のある公園へご一緒にって!あんなに緊張していらっしゃったんですから、間違いなく本気ですわ!」



 私は力強く断言した。お嬢様が不安になるのも無理はない。でも大丈夫、私が保証します!


 リゼット様はひとつ息を吐いて、少しだけ考え込むようにしてから、そっと視線を上げた。


「……ミレイユ、お願いがあるの。」


「はい、なんでしょう!」


「当日、一緒についてきてくれない?私、一人じゃ……ちょっと、心細いの。」



 わずかに頬を染めたお嬢様のそのお願いに、私は感動で胸がいっぱいになった。



(あぁ……デートという大切な場面に、お嬢様が不安を抱えるのも当然だわ!)



「もちろんです、お嬢様!私、全力で気配を消して、石像のように立ってますから!」


「ふふ、うんとおめかしして行きましょうね!」


「…?はい、もちろんです!」



 私もおめかしする意味はあるのかな?とりあえずお嬢様が嬉しそうなので、一安心だ。









 休日の朝、いつもより少し遅く差し込む陽の光が、窓辺の鏡を優しく照らしていた。


 今日はお嬢様の大切な外出の日――つまり、セオドア様との初デート。私は朝からそわそわしっぱなしで、落ち着かない気持ちのまま部屋の掃除を終え、お嬢様のお支度を手伝っていた。


 お嬢様がお選びになったのは、淡い水色のドレス。裾がふんわりと広がる軽やかな一着で、白い刺繍が涼やかに映えている。


 普段は落ち着いた色を好まれるのに、今日はほんの少し、華やかさを足しているのがわかる。



「リボン、曲がってないかしら?」



 帽子の縁に巻いた薄紫のリボンを整えながら、お嬢様がふとお尋ねになる。



「完璧です、お嬢様。まるで湖に咲いた睡蓮のようですよ!」



 思わず出た言葉に、お嬢様はくすりと笑って照れたように視線を逸らされた。


 ――本当に、素敵。セオドア様、ちゃんと気づいてくださるかしら。


 私の方も今日は少しだけおめかししている。もちろん、目立たない程度に、メイドとしての分は守りつつ、いつものエプロンは外して、胸元と袖口に赤い刺繍の入ったよそ行きの紺色のドレス。髪も三つ編みにして、そこにほんの少しだけ、前に褒めてもらったワインレッドのリボンを通してみた。


 鏡に映る自分に、私は少しだけ眉を寄せる。



(……ちょっと、やりすぎたかしら。)



 そんな私の様子を見たのか、お嬢様がそっと言った。



「ミレイユ、少しだけ髪を下ろしてみない?今日は、せっかくのお出かけなんですもの。」


「えっ、私ですか? あっ、でも……はい、そうですね。お嬢様がそう仰るなら。」



 緊張しつつも素直に従って、そっと編み込みをゆるめて肩に流す。髪が揺れる感覚がなんだかくすぐったい。


 ――お嬢様の恋が、うまくいきますように。私の小さなおめかしは、そんな願掛けのつもり。



「では、参りましょうか。きっと、もうすぐ迎えが来る頃ですね。」



 そっとドレスの裾を整えて立ち上がったお嬢様は、どこか凛としていて……今にも風に乗って湖まで舞い上がってしまいそうだった。



(……セオドア様、今日のお嬢様を見て、きっと驚くわよ!)



 暫くすると門番の知らせを受けて、私たちは玄関へと向かった。


 緊張しているのか、普段より少しだけ歩幅の狭いお嬢様の隣を、私は一歩引いて並んで歩く。扉が開くと、そこには今日の主役――セオドア様の姿があった。


 いつもより襟元が整えられた騎士の礼装。きっちりと磨かれた黒のブーツ。そして何より、緊張気味に立つ姿がどこか初々しい。



(……よし、合格。今日のお嬢様の装いにきっと見とれるはず!)



 そう確信していたのに、私の目はその隣に立つ“見慣れぬ男”に奪われた。


 セオドア様よりもいくらか背が高く、鋭い視線とくせのある黒髪。そして、妙に整った顔立ち。


 えっ……ど、どなた……?



「お迎えにあがりました、リゼット様。こちら、同僚のダリオンです。本日は、同行していただくことになりまして」



 セオドア様が、ほんの少し言いづらそうに紹介する。その声に、お嬢様はすぐに小さく頷いて、にこやかに応じられた。



「ご丁寧にありがとうございます。……どうぞ、よろしくお願いしますわ、ダリオン殿。」


「こちらこそ、光栄です、お嬢様。」



 低く響く声で軽く頭を下げるダリオン。その仕草にも無駄がなく、騎士としての品格を感じさせる。……でも。



(……なぜ、今日はお一人でいらっしゃらなかったの?)



 私の視線がセオドア様とダリオンの間を行き来してしまう。


 でも、すぐに――はっ、と私は気づいてしまった。


 ……ま、まさか。



(お嬢様とセオドア様が、私のことを気遣って……!?)



 今日のデートは、お嬢様とセオドア様が初めて心を通わせるかもしれない、大事な一日。でも、私はお嬢様の護衛として同行する予定だったから、ずっとお二人の背中を見ながら、ひとり寂しく過ごすはずだった。


 そこに――このイケメン騎士投入!


 ……これは、間違いない。お嬢様とセオドア様が話し合って、気まずくならないように、私の“お相手”として誰かを用意してくれたんだわ!



(うう、お嬢様……なんて優しいお心遣い……!)



 お嬢様の想いを“ついに察してくれた”セオドア様が、気を利かせてダリオン殿を呼んでくれたんだと、私は完全に信じて疑わなかった。


 その一方で、セオドア様がちらりとダリオンを見て小さく息を吐き、ダリオンが「ふうん」と興味深げに私とお嬢様を交互に見ていたことには、まったく気づかなかった。







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