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第1話





 朝の陽ざしが差し込む窓辺で、私は銀のポットから丁寧に紅茶を注ぎながら、心の中で思い切り叫んでいた。



――これはもう、どう考えても恋だわ!



 テーブルを挟んで座るお嬢様、リゼット様は、例のごとく淡い微笑みを浮かべながら婚約者のセオドア様と向き合っている。けれど、その視線は彼の肩あたりをさまよい、セオドア様はセオドア様で、お嬢様のカップの持ち方を真顔で見つめていた。



……いや、見てる場所そこじゃないでしょうよ!!



 私は紅茶を注ぎ終えながら、心の中で激しくツッコむ。


 今日はこの間の縁談の顔合わせ以来、初めてお二人で会われる場なのに。けれど、お嬢様がセオドア様を想っているのは火を見るより明らかだし、セオドア様も嫌っているわけではなさそうなのに、どうしてこうも二人の会話は嚙み合わないのか。



「いい天気ですね、セオドア様。」


「左様ですね。昨日と比べれば湿度が低く、空気が軽い。」


「あ…、はい。そうですね。」



 ほら!どうしてそこで「貴方の瞳のように澄んでますね。」とか言えないのよこの人は!


 このままでは、せっかくの縁談が愛ある関係に発展する前に終わってしまう。


 そう確信した私は、紅茶ポッドを片付けながら、密かに決意した。



 ――お嬢様の恋、わたくしミレイユが全力で後押しして見せますとも!



 そうと決まれば、とりあえず邪魔者の私はこの場をいったん退散して、二人きりにして差し上げなければ。


 私はお嬢様に小さくエールを送ると、静かにその場を後にした。


 厨房に入ると、メイド仲間ハーミアが好奇心を隠せない表情で近づいてきた。



「ミレイユ!お二人の様子どうだった?」


「今はまだぎこちない感じだったけど、まだ婚約されたばかりだから仕方ないわよ!」



 さっきの様子だと、私が居なくなったところで気まずい雰囲気のままな気もするけど。



「そういうものか~。でもほら、お嬢様って騎士団の訓練場の前を通る度に、必ず立ち止まってたじゃない?やっと縁談まで話が進んだんだから、これからが楽しみよね~。」



 ハーミアに言われて、いつものお嬢様の様子を思い出す。確かに、お茶会の帰りとか、お出かけの帰りとか、やけに遠回りして帰るなぁとは思ってたけど、騎士団の訓練が目当てだったのね…。



「とにかく、私たちは邪魔にならないよう、密かにお嬢様を応援しましょう!」



 ハーミアと二人でお嬢様の恋を応援し隊を結成した。その後もハーミアと二人で作戦を練っていたところ、見回りに来た侍女長の喝が入ったので、今日はいったん解散とした。









 静まり返った客間に、銀のスプーンがそっと受け皿に置かれる小さな音が響いた。お茶会を終えたセオドアは、椅子を引き、静かに立ち上がる。


 対面に座るリゼットは、笑みを崩さぬまま、わずかに首を傾けた。



「……お茶、お口に合いましたか?」


「ええ。お気遣い、ありがとうございます。」



 事務的な会話。だが、言葉の背後にわずかな探り合いが滲む。二人きりで会うのは、先日の縁談の席以来。


 だがその本質が“形式”であることを、どちらも理解していた。



「この紅茶、珍しい葉だと聞きました。」



 セオドアが付け加えるように言うと、リゼットはやや意外そうに目を細めた。



「お気づきになられましたのね。ええ、この茶葉は南方の交易品ですの。……でも、もっと特別なのは、淹れた者の方かもしれませんわ。」


「と、言いますと?」


「今日のお茶を淹れたのは、メイドのミレイユです。……あの子、紅茶を淹れるのが得意なんです。」



 その名が口にされた瞬間、セオドアの表情がふと緩んだ。彼の口元が、笑みともつかない温度で、綻ぶ。


 その変化はほんの一瞬。だが、リゼットの目はそれを逃さなかった。



「……彼女、案内をしてくれた娘でしょうか。」


「ええ。誠実で、手先も器用で、何より気持ちのよく通じる子ですわ。」



 セオドアはそれ以上何も言わなかった。ただ、再び正面に向き直り、静かに頷いた。


 その様子を、リゼットは涼しげな笑顔で見つめていた。


 彼女は、手元のティーカップの縁をそっとなぞるように撫でた後、本題を切り出した。



「セオドア様。先日お願いした文、彼に届けてくださったのですね?」


「はい。……こちらに、返事を預かっております。」



 セオドアは外套の内側から、折り目正しく封をされた便箋を取り出した。


 淡い生成色の紙に、騎士団の印が押されている。


 リゼットはそれを受け取り、ほんの僅かに笑みの角度を深くした。



「ありがとうございます。これで、先日の頼み事は終わり――そういうことで。」


「……承知しました。」



 それだけで終わるはずだった。


 だが、セオドアがわずかに身を引こうとしたその時、リゼットはふと声を上げた。



「――ああ、そうだわ。ひとつだけお願いがあるんです。」



 彼が振り返るのを待たずに、リゼットは続ける。



「次から、私からの文は……ミレイユに託してもよろしいかしら?」


「……ミレイユ嬢に?」



「ええ。私より、あなたも気を遣わずに済むでしょう?あの子、とても真面目で口も堅いのよ。」



 セオドアは短く黙した。


 口元に手を当てかける癖が出るのを自制して、代わりに頷く。



「……わかりました。」



 その表情に浮かんだのは、わずかな戸惑い――そして、気付かぬうちに芽生えた小さな期待だった。


 リゼットはそれを見逃さず、静かに紅茶を一口すする。まるで何事もなかったかのように。



(……やっぱり、貴方はミレイユの方ばかり見ていたわ。)



リゼットはもう一度だけ微笑み、そっと紅茶を口に運んだ。


香りはまだ、ほんの少し熱を残していた。









 侍女長に小言を言われて厨房を後にした後、お嬢様のお部屋の掃除を終えて、吹き抜けから階下を見ると、丁度セオドア様が、お帰りになるところだった。


 鉢合わせないように、セオドア様の背中を見送ってから階段を降りる。


 客間を出てまっすぐ玄関ホールへ向かったセオドア様が、ふと立ち止まった。


 何かを探すようにあたりを見渡し――そして、目が合った。



「…………え?」



 思わず階段を下りたところで足を止めた。


 開け放たれた玄関の扉から差し込む陽差しを背に、こちらを射抜く真っ直ぐな視線。


 けれど、すぐに彼は目をそらし、いつものように無表情で一礼して去っていく。


 ……なに、今の。私、なにかした?顔に何かついてた?

 いやいや、あれはきっと…。



 ――お嬢様を想っているけれど、言葉にできない切ない視線!


 やっぱりこの恋、わたしが応援しなきゃ始まらないやつだ!彼の真面目さゆえに、何も始まらないで終わってしまう、そんな悲しい未来なんて絶対ダメ!


 私は手に力を込めぎゅっと握りしめた。



「覚悟してください、セオドア様……この恋、私が動かして差し上げます!」


「ふふ、ミレイユ。そんなところで立ち止まってどうしたの?」



 声を掛けられて振り返ると、お嬢様が微笑ましそうにこちらを見ていた。密かに気合を入れていたところを見られてしまった、恥ずかしい……。



「そうだ、貴女に頼みたいことがあったのよ。」


「……!はい、どんな御用でしょうか?」



 お嬢様は廊下の片隅に私を、読んで小声で話し始めた。



「明日なんだけど、貴女は買い出しに行く予定だったわよね?」


「はい、午後からですけれど、市場まで行く予定です!」


「よかった。実はね――帰りに騎士団の宿舎まで行って、セオドア様にお手紙を届けていただきたいの。」


「……!!」

 私は胸の奥が跳ねるのを感じた。まさか……!


 ついに、お嬢様とセオドア様の文通が始まったのね!!



「今日いただいたお手紙のお返事を書こうと思っているの。少し遅れると思うから、明日、改めて届けてくれるかしら?」


「もちろんですとも! 私、全速力でお届けに参ります!」



 嬉しさのあまり、つい前のめりになってしまった。


 だって、これはまさに――


 お嬢様とセオドア様の、恋の始まりの合図!



「ありがとう、ミレイユ。助かるわ。」



 お嬢様は、どこか静かに微笑んでおられたけれど……


 恋を秘めた乙女って、ああいう落ち着いた雰囲気になるのよね。うん、きっとそう!



(やっぱり、そうだったんだわ。お嬢様はセオドア様のこと、本気で……!)



 あの目を合わせない会話、ぎこちなさ、妙な間。全部、“恋のはじまりの証”だったのね!私の胸の中はもう、妄想と使命感でフルスロットルである。



「必ず私の手でお渡ししてきますから!素敵なお返事になりますように、お嬢様のご健闘、お祈りしております!」


「……ふふ、ありがとう。」



 お嬢様の柔らかな笑みに見送られ、私は勢いよく廊下を駆け出した。

 

 ――いよいよ始まったのね、お嬢様とセオドア様の恋文劇!

 

 これがいつか、結婚式のスピーチに使えるようなエピソードになるよう、このミレイユ、全力で応援させていただきますっ!





 けれどこのときの私は、まだ気づいていなかった。


 お嬢様の恋を応援しているつもりが、誰よりも先に――私自身の恋の渦中に放り込まれていたことなど……。






一部、名前が初期設定になっていたので修正してます。

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