第十四章 海へ
電車は、都心を抜けて南へと走っていた。
ボックス席には、神納、松崎、高山、そして膝の上に白い箱が置かれていた。
車窓の風景が、ビル群から住宅地へ、そして緑の多い丘陵地帯へと変わっていく。
「トンネル、入るよ」
高山が言った。
ゴォォォォ、という轟音とともに、視界が闇に包まれた。
窓ガラスに、三人の顔が映る。
耳がツンとする気圧の変化。
言葉がかき消される騒音。
神納はその中で、隣に座る松崎の肩が触れている感触と、向かいの高山の視線を感じていた。
言葉はいらなかった。この揺れと、音と、気圧の変化を共有しているだけで、彼らは一つのチームだった。
トンネルを抜けた瞬間、視界が一気に開けた。
「わあ」
松崎が声を上げた。
水平線。圧倒的な青。
海だった。
それは、どんな高解像度ディスプレイで見るよりも、荒々しく、眩しく、巨大な質量を持っていた。
駅を降り、砂浜へ向かう。
風が強かった。潮の香りが鼻腔を満たす。
波の音が、すべての会話を洗い流すように轟いていた。
ザザァァァン、ザザァァァン。
それは、九条の言う「ホワイトノイズ」とは違った。生命の鼓動そのもののような、不規則で有機的なリズム。
三人は波打ち際に立ち、靴を脱いだ。
海水が足首を洗う。冷たさが、脳天まで突き抜ける。
高山が箱を開け、白い粉を風に乗せた。
それは一瞬で舞い上がり、青い海へと溶けていった。
データのように削除されるのではなく、世界の一部へと還っていく。
拡散し、混ざり合い、見えなくなる。
だが、それは消失ではなかった。
「……川本!」
高山が突然、海に向かって叫んだ。
「お前、泳げなかったくせに! これからは泳ぎ放題だな!」
その言葉に、松崎が吹き出した。
「そうね。バタ足の練習しなさいよ!」
神納も笑った。腹の底から笑いがこみ上げてきた。
川本が死んでから初めて、彼らは川本を「死者」としてではなく、「友人」として笑うことができた。
「あーあ」
松崎が波打ち際に座り込んだ。スカートが濡れるのも構わずに。
「気持ちいい。ここには『共感してください』っていうボタンがないもんね」
「そうだな」神納も隣に座った。「海は、僕らのことなんて全く気にしてない。それが救いだ」
自然という巨大な他者。
それは人間の感情を理解しないし、寄り添いもしない。ただ、圧倒的な物理現象としてそこに在る。
その無関心さが、逆説的に、彼らの小さな自意識の殻を砕いてくれた。
「ねえ」
松崎が海を見つめたまま言った。
「私たちが今日したことって、記録に残らないよね。ログもないし、写真も撮ってない」
「うん」
「でも、一生忘れない気がする」
神納は頷いた。
「脳の海馬が忘れても、身体が覚えてるよ。この潮風のベタつきとか、砂の感触とか」
三人はしばらく、言葉もなく海を眺めていた。
夕暮れが近づき、空と海の境界が紫色に滲み始めていた。
そこには、明確な輪郭線はなかった。
生と死、記憶と忘却、私とあなた。
それらの境界が曖昧に溶け合うグラデーションの中で、神納は初めて、自分の「居場所」を見つけた気がした。
それは「ここ」という座標ではなく、「揺らぎ続けること」そのものだった。
(続く)




