第5話 市場の始まり、はじめての一皿
朝露がまだ地を濡らす頃。俺はリュシアと共に、小高い丘の上に立っていた。
眼下に広がるのは、商人と旅人でにぎわう街──ガルドの市。瓦屋根の家々が肩を寄せ合い、白い煙がのぼっている。焚き火か、朝食の仕込みか。どこか懐かしい匂いが風に乗って届いてきた。
「……人って、こんなにも集うものなの?」
リュシアが呟いた。慣れない人混みに、少しだけ顔をしかめている。どこか幼さを残した横顔は、まだ人の世に馴染めていない竜の姫そのものだ。
「市場ってのは、食材の宝庫なんだ。料理人にとっては聖域みたいなもんさ。これから通うことになるかもしれないし、慣れてくれよ」
俺はそう言って微笑む。昨日、崩れた神殿を離れた。今日からが本当の旅の始まりだ。
俺たちがガルドの門をくぐると、市場は賑わいをみせていた。
焼きたてのパンの香り、干し魚の塩気、香辛料の刺激──そのすべてが俺の胃を刺激し料理人としての本能を呼び覚ます。
「……へぇ。これは……胃が唸るわね」
リュシアが目を細めて空気を吸い込む。
「じゃぁ、──今日はここで俺の料理が通用するか挑戦してみるか」
目をつけたのは、通りの端にぽつんと空いた、小さな屋根付きのスペース。場所こそ目立たないが、風通しはよく、香りが流れやすい。料理で挑戦するには悪くない。
借り賃は銀貨二枚。俺の手持ちの半分が消えるが──賭ける価値はある。
「リュシア、すまないが、しばらくここで料理を売る。手伝ってくれるか?」
「……ふん、アレンの料理で人が集うか、見物だな」
腕を組んで頷いたリュシアの瞳には、わずかながら期待の色が宿っていた。
俺は荷袋を開け、食材を並べていく。そして、今日の主役を決めた。
「……よし、これだ」
取り出したのは、森猪のロース肉。あの日、リュシアと共に討伐した“森の番人”の一部。脂身と赤身のバランスが絶妙で、旨味の深さは他の肉とは一線を画している。
薄くスライスした肉を、特製のタレに漬け込む。薬草と果実を発酵させた、甘辛い自家製ソース。炭火を起こし、網に肉を乗せる。
ジュウウ……!
脂が弾け、煙が立ち昇った。香ばしさが空気を包み込み、隣の屋台の声が一瞬止まるほどの存在感を放つ。
「……これは……」
「なんだ、この匂い……腹が……」
通りすがりの少年が、くんくんと鼻を動かして足を止めた。
焼き上げた肉をパンに挟み、温かい野菜スープを添えて、一皿仕上げる。
「最初の客には、試食サービスってことで。どうぞ」
少年は目を輝かせ、パンにかぶりついた。
「──っ! うまっ! これ、すっごくうまいよ!!」
そのひと言が、すべてだった。
気がつけば、人の波が押し寄せていた。
「俺にもくれ!」
「この匂い、たまらん!」
「スープだけでも売ってくれ!」
たちまち行列ができ、屋台の前は騒然となった。
俺は肉を焼き、パンに挟み、スープを注ぎ、ひたすら提供を繰り返す。気づけば、もう息をつく暇もない。
「……ふん。仕方ないわね、手伝ってあげるわ」
リュシアがため息をつきながら木皿を配り、スープを注ぎ、列の整理までこなしてくれた。竜の姫の気品と迫力は、子どもたちの騒ぎ声すら鎮める。
「ふむ……人間のくせに、意外と素直ね」
「それ、お前が怖いだけだと思うけどな」
「うるさいわね。……でも、こうして感謝されるのも、悪くはないわ」
そんな掛け合いすら楽しく思えた。
陽が傾き始めた頃。最後の肉が売れ、スープ鍋の底が見える。ようやく一息ついて、俺たちは屋台の端に腰を下ろした。
「……疲れたか?」
「いや。……楽しかったわ」
リュシアは空を見上げながら、照れくさそうに微笑んだ。
俺は湯を沸かし、持ってきた茶葉で紅茶を淹れる。香草の香りがふわりと漂い、今日という一日に静かに幕を引いた。
「明日は、もっと良いものを作る。そうすれば──また誰かが、笑ってくれるかもしれないな」
その言葉に、リュシアは黙ってうなずいた。
料理で、繋がる心。
追放された料理人と、孤高の竜姫の旅路は、今、確かな一歩を踏み出したのだった──。
面白かったら本編の下の方にある☆☆☆☆☆から評価を入れていただけると嬉しいです!
ブックマークもしていただくとさらに嬉しいです!
10話くらい投稿してブクマ付かなかったら続き辞めようかなと思います。