第4話 忘れられた神殿と伝説の調味料
森の番人との激闘から一夜が明けた。
神殿跡に差し込む朝日が、崩れた石柱を黄金色に染める。
「ふぅ……やっぱり、石畳で寝るのは背中にくるな」
俺は寝袋から身を起こし、大きく伸びをした。
リュシアはすでに起きていて、石段に腰をかけ、静かに空を見上げている。
「……ここも、ずいぶん変わったわ。かつては、祈りの灯が絶えなかったのに」
「竜でも、懐かしむもんなんだな」
「私も記憶はあるわ。長く生きすぎて忘れたこともあるけど……香りや味は、記憶の底から蘇るわ」
そう言って、リュシアは昨日の“番人ロース”の皿をちらりと見る。
何度も舐めるように味わっていたくせに、まだ名残惜しいらしい。
「──ところで、よ」
「ん?」
「この神殿には、“失われた調味料”が眠っているという噂があるのよ」
「……調味料?」
焚き火の準備をしながら、俺は眉をひそめた。
「古の神官が使った“聖なる粉”。ひとふりで素材の味を何倍にも引き立てると言われた幻の調味料よ」
「おとぎ話みたいな話だな……」
そう言いながら、フライパンに残った脂で森の番人の骨を炒め始める。
出汁をとる前に焼き目をつけて旨味を閉じ込める──料理の基本だ。
「遺跡の地下、封印の間に隠されていたはずよ。だけど封印を解くには“二つの火”が必要になるのよ」
「二つの火?」
「一つは、魂の契約で得た“竜の火”。そしてもう一つは……」
──ゴゴゴゴゴ……!
突然、神殿の奥から地響きのような音が鳴り響いた。
柱の間にある祭壇の奥、崩れた扉の向こうで、何かが目を覚ましたかのように。
「……今のが“合図”か?」
「恐らくね。この地が、我らの契約に反応したのよ。行きましょう、アレン。失われた調味料を求めて」
俺は小さく頷いた。
* * *
神殿の地下へと続く階段は、苔に覆われ、空気は重く湿っていた。
松明代わりの火石をかざしながら、慎重に足を進める。
「しかし、調味料が封印されるって……いったい、どれだけヤバい味なんだ」
「……それだけの力を持つ、ということよ。美味なるものには、人の心すら変える魔が宿るわ」
「料理で人が変わるってのは、まあ……分からなくもないな」
かつて、仲間たちの笑顔を何度も見てきた。
心を折られ、立ち上がれなかった者も、俺の料理でまた剣を取った。
階段の突き当たり。そこには石の扉があった。
中心には竜の紋章と、もう一つ──燻んだ鉄のくぼみ。
「……ここだ。“竜の火”を注いでみて」
俺は窪みに右手をかざす。契約の刻印が、淡く赤く光る。
──ボウッ!
小さな炎が浮かび、紋章の中心に吸い込まれていく。
続いてリュシアが左手を掲げると、彼女の中から銀白の炎が現れ、扉を覆った。
重く鈍い音を立てて、石扉がゆっくりと開く。
中には、黄金色の光を湛えた小さな祭壇があった。
その中央に、黒曜石の壺が一つ──まるで神聖な宝を守るように、鎮座している。
「これが……?」
「“ソル=サーレ”──太陽の粉、と呼ばれた調味料よ」
壺の蓋をそっと開ける。
ふわりと広がる香りは、言葉にできないほど繊細で豊潤。
塩でも砂糖でもない。まるで──食材を生かすために存在する“調和”の香り。
「ひとつまみ、試してみるか……」
持参していたパンの切れ端に、“ソル=サーレ”をほんの少し振りかけて口に運ぶ。
──瞬間、脳が痺れる。
焼きすぎて固くなっていたはずのパンが、まるで焼きたての香ばしさを取り戻したかのように蘇る。
塩気も、酸味も、甘みもないのに、全てを包み込む旨さ。まさに“目覚める味”。
「こいつは……ヤバいな」
「効いた?」
「効いたどころじゃない。これは“魔法”だよ。料理の世界を一段、変える力がある……!」
リュシアも試してみる。
パンを口にした瞬間、驚きで瞳を見開き、口元を覆った。
「これは……まさしく、竜族の王がかつて求めたという“真の味覚”……!」
ただの調味料が持つ力に、心から震えていた。
「これさえあれば──俺はもっと、料理で人の心を動かせる」
神殿を出る頃には、日も傾きかけていた。
リュックの中には、黄金の壺。そして心には、確かな確信を持って、俺は神殿を後にする。