第2話 始まりの朝食と、竜姫の契約
夜が白み始める頃、荒野に佇む古の神殿跡には、淡い橙の光が差し込んでいた。
ひび割れた石畳に咲く名もなき草花が風に揺れ、崩れかけた柱の隙間から小鳥のさえずりが響く。静寂に包まれたその空間に、焚き火の炎がパチ、パチ、と乾いた音を立てていた。
「さて……朝飯の支度だな」
俺は、焦げた皮袋から食材を取り出す。
あるのは、しなびたジャガ芋、塩気の強い干し肉、古代麦の粉、そして奇跡的に割れていなかった卵がひとつ。
貴族の食卓どころか、庶民の朝食にも及ばない。だが俺はため息ひとつつかず、焚き火に鍋をかける。
調理の手は迷いがない。その動きは美しくすらあった。ジャガ芋の皮を剥き、丁寧に隠し包丁を入れ、干し肉は小さく刻む。鍋に水を注ぎ、スープが沸く間に、鉄板の上でパンを温めていく。
──その様子を、静かに見つめる竜。
「……妙なる手つきだな、人の子よ。まるで舞のようだ」
低く、響くような声。
リュシアは、神殿跡の石柱に身体を預けたまま、彼女は赤い瞳を細めてこちらを見ている。
「俺は戦士じゃない。料理人さ。剣じゃなく、包丁で仲間を支えてきた」
俺はそう答え、パンの上に卵を落とす。じゅう、と立ち上る香ばしい音。卵の白身が焼け、黄身がぷるんと揺れる。
「料理人……それで、か。貴様の手が、どこか懐かしいと思った」
リュシアは目を伏せ、かすかに鼻を鳴らす。スープの香りに、わずかに喉が鳴るのが聞こえた。
俺は完成した料理を木の皿に盛りつける。
ジャガ芋と干し肉のスープ。鉄板で焼いた古代麦のパン。そして、絶妙に火を通した目玉焼き。
「──お待たせ。朝飯が出来たぞ。竜でも腹は減るだろ?」
俺が差し出すと、リュシアは驚いたように目を見開く。
竜である彼女にとって、人間の“施し”など受けた記憶はないのだろう。迷いながらも、皿を受け取り、小さくちぎったパンを口に運ぶ。
──その瞬間。
「……な、これは……っ」
銀の瞳が見開かれ、言葉を失う。
カリッと焼けたパンの香ばしさ。卵の濃厚な黄身。そして、スープに溶けた肉の旨味と芋の甘味が舌を包む。
体の奥が温かくなるような、そんな力を感じた。
「……癒しだ。これは……癒しの味……」
リュシアは震えるようにスープをすする。
数百年生きてきた竜の姫が、ただの朝食に涙を滲ませた。
「我が名はリュシア。竜族の姫にして、かつてこの大陸を翔けた者……。まさか、料理一つで心を動かされる日が来ようとはな」
「大げさだな。でも──嬉しいよ」
そのときだった。
リュシアの胸元の鱗が、淡い光を放ち始めた。
「……これは、“契約の兆し”……。魂が、汝の料理に応えようとしている……」
静かに立ち上がるリュシア。
その巨体は光に包まれ、やがて──人の姿へと変わった。
流れる銀髪、紅玉の瞳、白銀のドレスを纏った姿は、神秘と気高さを併せ持つ美しき竜姫。
「アレン、そなたと魂を交わす契約をしよう」
「魂の契約?」
リシュアは小さく頷く。
「この契約で我が力を汝に授けようぞ」
ドラゴンの力が使えるようになるって事か。
「改めて聞こう──そなたの名は?」
いいだろう。散々料理人は使えないだの、足手纏いなど言われたんだ。
ここから再スタートだ。
「俺の名はアレン・グランシェフ」
リュシアはうなずき、そっと俺の手の甲に触れる。
その瞬間、竜の紋章が浮かび上がった。
「契約、成立よ。アレンが料理を振るうとき、私の竜の力をもって応えるわ」
「随分と重い契約だな」
「その重さに見合う味だった。……それだけよ」
俺はふっと笑い、焼けた鍋の底を見つめる。
(もう一度信じてみるか。料理で、誰かの心を救えるってことを)
風が吹く。朝の光が、俺たちの影を長く伸ばしていた。
「さて、次は食材探しといこうか」
「うむ。この近くに“森の番人”と呼ばれる魔獣がいるわ。脂は乗っているけど、癖が強いわ」
「上等だ。俺流に、下処理してやるよ」
竜姫と料理人。
奇妙なバディは、今まさに第一歩を踏み出した。