38話
「うぅ……っ。ぐぅぅぅ……」
小さく唸るポッポロン。
彼は先ほど立てたアースウォールの陰に隠れ、毒の苦しみと戦っていた。
「あぐぅ……。はぁ、はぁ……。うぅうっ」
苦しい。呼吸ができない。
痛い。体が焼ける。
水に溺れる苦しさと、火に投げ込まれたような熱さ。
経験した事のない重苦に蝕まれ、ポッポロンは丸くなりながら必死に耐えていた。
苦痛に耐えるポッポロン。彼の頭には一つの事が浮かんでいた。
それは死への恐怖ではない。苦しさへの懇願でもない。
ただ信じる者に対しての、必死の思いだった。
(駄目だ……! 僕が……ユーリさんを、支援、しなきゃ……!)
使命感に顔を上げ、ポッポロンは前を見る。
そこにあったのは、いつものように彼の前に立つユーリの背中と、それを見下ろすように立つ、巨大な竜王の姿だった。
ぐにゃぐにゃと歪む視界。だがポッポロンには確かに見えた。
竜王もまた苦しむように、口からだらだらと涎を垂らしている事を。
それはまるで野生の獣が飢えに耐えているような。
理性を失い獰猛さが現れたような。
そんな恐ろしい風貌に、今のポッポロンには見えていた。
「ガ、ガフ……ッ。ク、クク……何と言う、奴だ」
キグリギスは含み笑いを漏らす。
ぽたぽたと流れ落ちる涎には、赤いものも混じっていた。
彼はもう老齢の竜人である。
老いに蝕まれた体は既にボロボロで、ブレスを吐くのにも痛みを伴う有様だった。
毒の吐息など吐けば、こうなる事は分かっていた。
ではなぜこのような行動に出たのか。
ひとえに、それは意地だった。
動くのもままならない体に鞭を打ち、彼は限界を超えて二人を迎え撃った。
だがこの二人はそれを更に超えんと、必死に抗って見せたのだ。
老いた自分と、立ち向かってくる若人二人。
己の限界を悟った自分と、そんな己の限界すら超えようとする二人。
敗北。
その二文字が脳裏をかすめた。
見えていたのだ、この結末が。
キグリギスの目は未来を見る。
戦えば自分は死ぬ。それと分かっていても、彼は戦う事を決意した。
カッサーロが戦を仕掛ける事も分かっていた。
今日、竜人が滅びる事も知っていた。
自分が死ぬ事も。皆が死ぬ事も。
何もかも、彼は知っていたのだ。
ただ、認めたくは無かった。
自分がこの世に生を受けた意味はあったのか。
生まれ、追放され、滅ぼされ。
そんな事のために自分は生まれたと言うのか。
仲間は滅ぼされると言うのか。
それは意地だった。
クソッタレな運命に絶縁状を叩きつけ、自分の命を捨ててもお前をぶち壊してやろうという。
生まれて以来ずっと定めに弄ばれ続けて来た、キグリギスという男の執念だったのだ。
だが――
「我の、決死の、覚悟すら……。貴様には、耐えられると、言うのか……ガフッ!」
目の前の男は、そこに二本の足で立っていた。
顔色こそ青いものの、鋭い双眸で自分を見つめている。
猛毒で血反吐を吐きながら、キグリギスの顔は可笑しさに歪んでいた。
(運命と言うものの、何と憎らしくも荘厳なものよ。小さきはずのこの男が、とてつもなく大きく見えるわ)
ユーリの眼差しは強い意志を湛えていた。
それはキグリギスのような、破滅を覚悟した意地ではない。
未来を掴もうと必死であがく、眩いばかりの煌めきだった。
その輝きに引っ張られるように、後ろの兎もよろよろと杖を突いて立ち上がる。
最初、こんな弱々しい兎がと思った。
だがそれは間違いだったようだと、キグリギスは認識を改めざるを得なかった。
毒に犯されながらも、二人は自分の前に立つ。
その姿がどうしようもなく、キグリギスには輝いて見えた。




