3話
「まぁ、ゲームくらいならやっても良いですよ」
そう言った悠里に、ティリスタリスは本当に良い笑顔を見せた。
悠里の顔がたちまち赤面してしまうくらいには、その顔は愛らしく、美しかった。
「でも俺……仕事の手伝いって聞いて、最初、転生とか転移とか、そんな話かと思いました」
「あ、異世界ね? 好きよねー、皆」
私も好き。そう言ってティリスタリスは口に手を当てて悪戯っぽく笑う。
神様も知ってるのかと悠里は変なところで感心してしまった。
「私以外にも好きな神が結構多くてね。最初は異世界転生だーって言って、虫や微生物の記憶を消去しないで転生させてたの。魂に刻まれる記憶なんて殆ど無い生物ばっかりだったから、そのくらいならいっか、ガス抜きにもなるしーって、私達も目を瞑ってたんだけどねぇ……」
しかし、どうもそれで問題が起きているらしい。
ティリスタリスは頬に手を添えて、悩まし気なため息を吐く。
「最近調子に乗って、本当に人間を転生させちゃうケースがちらほらあってね。問題になってるの」
「あ、やっぱり駄目なんですか」
「当然よぉー……。人間って、転生させると前世の価値観優先で生きる人が多くって。経済を崩壊させたり、歪な発展をさせて生き物を大量に殺しちゃったり、世界自体を壊しかねないのよ。バランスって本当に大事なのよ?」
それにね、とティリスタリスは続ける。
「魂って記憶容量があるの。だから死んだ後記憶を消して、また新しい生を送ってもらうんだけどね。記憶が溢れちゃったら、どうなると思う?」
「ど、どうなるんですか?」
「うふふ。……なーいしょ」
そう言われれば、自分も死んでいるのにまだ記憶がある。
悠里はぞくりとする。うふふじゃない。
「お、俺はこのままで大丈夫なんですか?」
「モチのロンよ。まかせてちょんまげ!」
あまりにも寒いギャクに悠里はぞくりとした。
本当に大丈夫なんだろうか。
「冗談よ、心配しないで。魂の許容量はある程度マージンとってるし、悠里ちゃんは若いから。まだまだ、当分平気よ」
また揶揄われていたらしい。
口に手を当ててくすくす笑うティリスタリスに、悠里も引きつったような笑いを浮かべた。
「でも人間って不思議よねぇ。今ある幸せを大切にすればいいのに、もっともっとって思っちゃう子が多いの。身の丈に合わない幸せなんて、身を亡ぼすだけなのに。どうしてそうなっちゃうのか、私にはよく分からないわ」
腕を組み、ティリスタリスは複雑そうな表情を浮かべた。
普段から思うところがあるようだ。しかしその話を聞いているはずの悠里は、押し上げられた胸に視線が行きそうになって、それどころでは無かった。
「そ、それで、そのゲームって一体何なんですか?」
胸を張り続けるティリスタリスに目を向けないよう、悠里は必死に話を戻す。
「じゃじゃーん! これよ!」
ティリスタリスが腕を振るうと、ちゃぶ台の上に一台の小さな機械が現れる。
それは赤と白のカラーリングの、古めかしいデザインのゲーム機だった。
「こ、これ……ですか?」
ゲームと聞いて悠里が思っていたのは、綺麗なグラフィックで描かれた3Dのゲームだ。
相手は神様だと言っているし、もしかしたらそれ以上の代物かもしれないと、少し期待もしていた。
しかし、出てきたそれは想像を悪い方向に遥かに超えた。
もう何十年も前に発売された、8bitのゲーム機だったのだ。
「この、レトロゲーを?」
「そうなの!」
悠里は困惑しながらそれを指さす。
返されたのは、満面の笑みだ。
「私の代わりにクリアしてもらえる? さっきも言ったけど、私本当に向いてないの。全然クリアできなくって……。お願いできないかしら」
困り顔で両手を合わせ、小首を傾げる。
その仕草は卑怯だ。この人――いや、神様には、絶対敵わないと悠里は思った。
悠里が頷くと、ティリスタリスは「やった! ありがとう~」とはしゃぐ。
やっぱり卑怯だと、悠里の顔には思わず笑みが浮かんだ。
「それじゃあこれ、取説を渡しておくわね。分からなかったらこれを読んでね」
彼女がひらりと手を振ると、ゲーム機の横に手の平サイズの冊子が現れる。
悠里はとりあえずパラパラとめくるが、中は真っ白だった。
「これ、何も書いてませんよ?」
「悠里ちゃん。その取説の使い方が知りたい~って思いながら、もう一度開いてみて?」
ティリスタリスの言うように、一度閉じてからまた開く。
すると、真っ白だった中身に文字が書かれていた。
取説の使い方、と書いてある。取説の取説とはこれ如何に。
「知りたいことを考えながら開くと、その内容が書かれるの。それを上手く使って、ゲームを進めてね?」
「あー、そういう事ですか。分かりました」
しかしこれは便利だ。ゲームの取説なんて見た覚えは殆どないが、操作方法が複雑だった場合、ごく稀に見たりすることはあった。
悠里はゲームの操作方法が知りたいと思いながらページをめくる。
コントローラーの操作方法が出てくるが、想像通りの使い方がそこに書いてあった。
その内容はつまらない。しかし知りたいことが表示される取説自体は面白かった。
「あと、冷蔵庫がそこにあるから好きに使ってね。食事はちゃんと食べないと駄目よ? あとトイレはそっち」
「え? ああ、はい。――はい? 冷蔵庫? トイレ?」
取説に夢中になっていて、返事がおざなりになっていた。
丸い目を向けた悠里に、ティリスタリスは可笑しそうに笑う。
「向こうがトイレで、冷蔵庫はそっち。中に入っているものは自由に食べていいわ。温めたいものがあれば、レンジもあるからチンして食べてね。ちゃんと食事をして、休みながらゲームするのよ?」
見れば、またいつの間にかドアや冷蔵庫が設置してあった。隣には電子レンジもある。
非常に不可思議だ。しかし先ほどからそんな場面を見せられていた悠里は、それよりも、自分が生前と同様に生活しないといけない、という理由のほうが気になった。
「え、俺、死んでるんですよね? 寝たり食べたりしないといけないんですか?」
「今悠里ちゃんは魂の状態だから、厳密には必要ないわ。でも寝食っていうのは人間に必要なものでしょ? それをしないと、魂のほうが『自分は人間じゃないんだなー』って適応しちゃうの。そうすると悠里ちゃんの人格が薄くなっていって、そのうち消えちゃうわ」
「じ、人格が、消える……」
それは死ぬと言う事に等しいのではないか。自分に待つのが緩やかな死のように思えて、悠里の顔から血の気が引いて行く。
「大丈夫よ。悠里ちゃんが今まで生きてきたようにここで生活すれば、悠里ちゃんは消えないわ。もし消えそうになっても、私が絶対守ってあげる。だから、安心して?」
そんな悠里の手を両手で優しく握り、ティリスタリスは真剣な表情を見せる。
柔らかな手から、暖かさがじんわりと伝わってくる。
「……分かりました。なら、いつも通り生活するよう気を付けます」
この人――いや、神様が言うなら大丈夫だろう。安心感に、悠里はほっと息を吐く。
しかしそんな悠里を、ティリスタリスは突然優しく抱きしめた。
「え、えっ――」
「水の神、ティリスタリスの加護を田中悠里に授けます。貴方の行く先を、私はずっと見守っていますからね」
そして、額に軽い口づけをする。
慌てる悠里から静かに離れ、ティリスタリスはにこりと微笑んだ。
「辛かったらいつでも言って。私はいつでも悠里ちゃんの味方だから。これだけは絶対に忘れないでね」
彼女はそうして微笑んだまま、その空間から姿を消した。