15話
ポッポロンはいつもの通り、薄暗い地面の中で目を覚ました。
今日もまた、緊張感を持ちながらの生活が始まる。
ため息を吐きながら簡素なベッドから降り、机の上に置いたそれに目を落とす。
姉が昔作った魔力磁石がそこにあった。
いつも変わらず同じ方角を示し続けている魔力磁石。
きっと今日も変わらないだろう。
ポッポロンは特に何も期待していない。これは、ただの習慣だった。
「えっ?」
しかしそんな予想は裏切られる。
「魔力磁石の反応が、変わった?」
いつも東を示しているはずが、東南東を示していたのだ。
「……姉さん?」
ひとり呟く。
この魔力磁石は、姉が持つもう一つと対になっている貴重なものだ。
姉は昔から、魔力を込めると独特な動きをする道具――魔道具を作るのが得意だった。
魔力磁石を作ったのは、姉がまだ10歳の時。
姉には間違いなく魔道具作りの才能があった。
10年前、竜族に一網打尽にされることを懸念し、1つの集落を2つに分けた。
この魔力磁石があれば、お互いの場所を知ることが出来る。
もし竜族に対抗できる戦力が整ったとき、また一堂に会そう。
魔法使いとしての才能があった姉と自分。
得意分野の異なる姉と弟は、その才能故引き離されることになり、それ以来顔を合わせていなかった。
「まさか、何かできたのか? 竜族を倒せる道具が」
外は隠れる場所もない荒野が広がっている。
不用意に出歩けば竜族に襲われる可能性が高い。
それが白昼堂々移動しているということは。
竜族の打倒は一族の悲願。しかし本当にその日が来るのか疑うこともあった。
現実味のない希望が近づいている。
ポッポロンはこれは夢ではないのかと、魔力磁石から目が離せずにいた。
「ポッポロン……。ポッポロのことは残念じゃった……」
長、グゥポッポが絞り出すように言った言葉が、頭を通り抜けていく。
希望などなかった。
魔力磁石を持って現れたのは、ポッポロではなかった。
先ほど現れた、ユーリと名乗るおかしな見た目の男。
彼は自分がいた集落で起こったことを、皆に静かに話して聞かせた。
夢だろうと思った。
しかし、それを証明する魔力磁石はここにある。
もしこれが悪い夢なら早く冷めて欲しい。
ユーリが部屋を出て行った後、ポッポロンはふらふらと部屋を出て行った。
誰もポッポロンに声をかけられない。気づかわしそうに目を向けて、彼の背中を見送っていた。
「……やはり、無謀じゃったのか」
静まり返った部屋に長の声が響く。
「我々はただ、餌として殺されるのを待つことしかできんのか」
この集落を半分に分けようと提案したのは、当時この集落をまとめていた長、ブゥポッポだった。
彼はその責任を取るように、新天地を探す一団に加わり、この集落を出て行った。
グゥポッポは自分が行くと説得した。だがどうしてもと、兄は首を縦に振らなかった。
彼らが死ねば、四日と持たず魔力磁石の反応は消える。
兄が集落を出て行ってから、グゥポッポは毎日のように魔力磁石を見に行った。
反応があるかどうか。示す方角が変わったかどうか。
当時は気が気で眠れなかったものだ。
そんなグゥポッポの心配をよそに、魔力磁石は一カ月の間、ずっと東を示し続けていた。
それは1年が経ち、5年が経ち、10年が経っても変わらなかった。
お互いの状況を魔力磁石だけが知っていた。
知りたいと思うことはあったが、無事であることを信じて、今の今までこの集落を守ってきた。
それなのに今日、自分達も知ることになってしまった。残酷な現実と共に。
魔力磁石の反応だけが彼らを繋ぐ希望だった。
しかしそんな希望は儚く消えた。
誰も言葉を発せない。
口を閉ざしたまま大部屋を出ていく。
がらんとした大部屋で一人、グゥポッポは立ち尽くす。
誰の姿も無くなって初めて、彼は静かに涙を流した。
翌日。
何もする気が起きず呆然と歩いていたポッポロンは、不意に騒がしい声が聞こえて来て足を止めた。
「いってえええ!? こいつマジで魔法撃ってきやがった! まいったまいった! 降参だっ!」
声の主は兵士長のポッポリーだろう。
普段から騒がしい男だが、今日はまた何をやらかしたのか。
(こんな時にまで、何なんだ)
若干苛立ちながら、ポッポロンは声のする方向に足を向けた。
ピロパッポ族は耳が良く、遠くの音も拾うことが出来る。
ポッポリーの騒がしい声は、地下の集落では特に良く聞こえた。
ただ、距離があって姿はまだ見えてこない。
ポッポロンは歩きながら聞き耳を立てる。
するとポッポリーは、どうやら昨日集落に来た男、ユーリと話をしているようだった。
正直なところ、ポッポロンはユーリに良い感情を持っていなかった。
姉の住む集落から逃げてきた男。つまり皆を犠牲にして生き残ったのだ。
もしこの男が戦っていれば、他の皆は助かったのではないか。
どうしてもそんな考えが浮かんでしまう。
彼らの姿が遠目に見え、ポッポロンは近づきながら声をかけた。
「ユーリさん待って下さい」
彼がこちらを向く。嫌な気持ちがむくりと頭をもたげた。
「知っていると思いますが、外は危険です。もし竜族に見つかったらここも危ない。理由は知りませんが、止めて貰えませんか」
「おいおいポッポロン。その言い方はないだろう。俺達だって偵察で出ることもあんのによ」
思わず口調が厳しくなってしまう。
あのポッポリーにすら注意されてしまった。
普段なら改めていただろう。
ただ今は、どうしてか妙に苛立ってしまった。
ポッポロンは彼をじろりと見る。
敵意すら感じる視線に、ポッポリーは困った様子で頬を掻き、黙ってしまった。
ポッポロンはその視線を、今度は隣のユーリにも遠慮なく向ける。
文句があるなら言ってみろと、そんな思いすらあった。
「――っ」
しかし。そこにある顔を見て、ポッポロンは思わず息を飲んだ。
自分を真っすぐに見つめ返すその顔からは、気負いと言ったものが全く見られない。
それどころか、何か強く固い、決意のようなものすら感じられたのだ。
「……分かりました。それなら仕方がありません。僕も同行しましょう」
この人は絶対に折れない。そう思わされてしまった。
「竜族は魔法に弱いですから、もし見つかっても魔法で撃退しましょう。一匹くらいだったら、僕の魔法なら何とか倒せると思います」
だからだろうか。
ポッポロンは、無意識にそんな言葉を口に出してしまっていた。
ピロパッポ族が竜族を倒せた事など、一度だって自分の記憶に無いはずなのに。




