最終節【邪竜ケイオスグリュード】
全身を温かな光が、包み込んでいる。
ハクビから供給される闇の魔力が、優しい光と折り重なっている。血中に流れる忌まわしき古竜の血が、闇と同化していくかのように穢れを浄化されていく。そんな感覚に捉われながら、竜化する身体の変化に気付く。
これまでは竜化するたびに、何かに取り憑かれたように制御が難しかった。それなのに、今は心と体が一体化したかの様に、自然と古竜の力を引き出せた。全身を竜鱗が幾重にも折り重なる。背に生えた翼は、意の儘に動かせた。
風を割いて急行する中で、ハクビへの想いが溢れていた。何が在っても守護るなんて大層なことを誓ったけど、自分はまだ余りにも弱い事に気付いた。
ハクビやハウゾウ達に、助けられてばかりいる。自分の弱さに対する甘えかもしれないが、一緒に成長していきたい。もっと強く為って、ハクビを幸せに出来るような男に為りたい。ハデスとの一戦で、自分の弱さに気付いた。ハクビの大切さに気付いた。
想いが強く為るに連れて、自分の中の弱さに気付いていく。
そんな自分に、ハクビは優しさを伝えてくれている。感謝の気持ちが、心の中に満ちている。
折り重なる闇の光が、古竜の血に溶け合いながら変化を与える。
温かな力が、全身を駆け巡る。
「真面な面構えに、為ったみたいやな?」
バウルの全身を、異常な魔力が包んでいる。
目の前には、人化した邪竜がいる。こちらを窺いながら、臨戦態勢を執っている。明らかに、バウルを警戒している。
「本当に……その小僧に勝てれば、見逃してくれるんだな?」
「約束しよう」
一体、どんな取引をしたのだろうか。すでに話が、付いているような感じだった。
邪竜に警戒されるバウルは、異常すぎる。
「さぁ、小僧。邪竜ケイオスグリュードを見事、討ち斃してみろッ!」
「アンタが、やれば良いだろッ!」
言っても無駄なのは、解っている。
「倒すこと自体は、可能や。だが、私がやれば……国が滅んでしまう」
言っている意味が、解らなかった。
「私の本来の魔力は、封印されてるんや。体内に流れている一部の魔力しか、練り上げられない」
益々、訳が解らない。
目の前にいるのは、間違いなく邪竜を凌駕した化物だ。
「冗談だろ?」
はっきり言って、笑えない冗談だ。
「冗談だったら、どれほどいいやろうか。私の魔力を封印したのは、元妻だ」
「はぁっ……?」
何もかもが、イカれすぎている。
だけど、バウルの眼が余りにも哀しそうで、冗談には聞こえなかった。
「だから、魔力疾走の様な単純な技しか使えん。使えるんは、苦手な聖属性の術だけや」
元嫁が一体、どんな化物かは解らないが、一つだけ解ることがある。
バウルが異常だということだ。
「今のアンタから感じる魔力なら、勝てる気がするんだが?」
並々ならぬ魔力が、バウルを包んでいる。
「一時的に封印を、無理やりこじ開けてるだけや。これでも全開やないし、振るえば手加減はできひん。隣国が消し飛ぶことになる」
話がぶっ飛びすぎている。
前方の邪竜から感じる魔力は、相当なものではあるが絶望的な実力差は感じない。尤も、勝てるとも思っていない。
明らかに邪竜の方が、自分よりも強いのは確かだ。
「どうして、封印を解いた? 放っておけば、害はなかったはずだろ?」
「依頼主が、邪竜の骨を欲している。ギルド的には、邪竜の討伐は必要なんや。本来なら、倅にやらせる予定やったんやが、別件で動いている」
真面に話していると、こっちまでおかしくなりそうだった。
溜め息をつくと、レウスは抜刀していた。
――破竜断裂斬。
斬撃が邪竜に届いた頃には、レウスは邪竜との距離を詰めている。明らかな実力差を埋めるには、奇襲しかない。すでにハクビは自分の意図を汲みとって、闇の力を供給してくれている。出し惜しみするつもりは、一切ない。一気に叩いてやる。
――無尽竜刃。
無呼吸運動からの連続斬撃を、邪竜は涼しい顔で受け流している。全ての攻撃を、捌き払いながら反撃を入れてくる。ハクビの呼吸が、闇を通じて伝わってくる。邪竜の手刀を破竜刀で右側に往なして、左側から懐に潜り込む。それと同時に、ハクビが斬撃を放っている。
――死影半円月斬。
闇の斬撃が、邪竜を捉えている。すでに破竜刀には、ハクビの魔力が宿っている。幾重にも折り重なる光と闇が、極限まで魔力を高めている。
至近距離から、滅竜断影斬を叩き込んでやった。
「私の皮膚を切り裂くとは小僧、人間にしては中々、やりおるな」
血に染まりながら、邪竜が嗤った。
「今度は、こちらから行かせて貰おうかッ!」
禍々しい魔力の結晶が、邪竜の前方に出現する。
背筋に寒気が走って、反射的に後退していた。
――貪婪結晶。
●
ハクビの胸奥を、不安が埋めていく。
性格が災いしているのか、不安を抱くと際限がなく捉われてしまう。どうしようもない恐怖が、全身をそっと包み込んでいる。強大な魔力の渦が、邪竜を中心にうねりをあげている。
――貪婪結晶。
魔力の結晶から、幾筋もの光が伸びている。全身を焼かれるような痛みを感じているのに、皮膚が凍っている。燃えるような痛みが走り抜けていく。
レウスの全身を、炎が包んでいる。焼かれながらも、刀を振るっている。
「ママ上、大丈夫でござるかッ!」
燃えながら、ハウゾウが語りかけてくれている。
「ハウタ、寒いの嫌いッ!」
氷に包まれるハウタの周囲を、魔力が収束している。
「どうやら、氷属性と炎属性の両方を、同時に行使しているようやな?」
バウルが静かに、こちらに歩み寄ってくる。
優しい眼差しを、こちらへ送ってくれている。不安が静かに、瓦解していく。不思議で在った。バウルの存在が、心を落ち着けてくれている。
――神聖鎮火。
バウルが手を翳しただけで、周囲の魔力が消えた。痛みも何もかもが、癒えている。
「お嬢さん。月の満ち欠けを、イメージしなさい。ゆっくりと、呼吸を落ち着けて」
バウルの指示に従いながら、鎌を握る手に力を籠める。
後ろから大きな魔力が、渦を巻いているのを感じた。もうすぐ、ハウタ奮塵が起きる。
「ハウタ、駄目だッ!」
「ハウタ、寒いの嫌いーーーーッ!」
物凄い勢いで、ハウタが突進している。
邪竜はそれを、全く意に介していない。巻き起こる爆発の中で、レウスが動いているのが解った。ハウタを庇おうと、動いているのが解った。
――死影満月裂斬。
闇が温かく、包み込んでいる。ゆっくりと、ゆっくりと、時がスローモーションのように流れている。
ハクビの放った斬撃が、邪竜の右手を切り落としていた。次にレウスの身体が、邪竜の一撃で吹き飛んでいた。その際に、ハウタも同時に吹き飛ばされている。瞬時にして、魔力が膨らむのを感じていた。大きな魔力の爆発が起きていた。
ハウタ奮塵と同じことを、邪竜もしているのだ。
視界を爆炎だけが埋めていく。
記憶が残っているのは、それだけだった。
●
大爆発が、全てを呑み込んでしまった。
自分とバウル以外は皆、倒れている。
レウスの胸裏を、悲しみが満ちている。
「ごめんな、ハウタ……」
まだ、息は在る。だけど、危険な状態だった。ハクビが邪竜の右手を切り落としていなかったら、バウル以外は全滅していただろう。
ハウゾウやハクビも、同じように倒れている。
歯嚙みしながら、己の弱さに怒りが込み上げてくる。
「頼みが在る。皆を、治療してくれ」
バウルならば、皆を救う事ができる。
静かに経文を唱え始めるバウルから、温かな光が発せられた。光に充てられたハウタの傷が、癒えていく。少しだけ安堵して、レウスは頭上を見上げていた。
巨大な竜が、こちらを見下ろしている。
邪竜ケイオスグリュードの本来の姿だった。
「貴様らは、残らず皆殺しにしてやる」
どうやら余程に、腹に据えかねているようだ。
だが、怒りに関していえば、邪竜を遥かに超えている。
懐から、龍鳳石を取り出す。力を解放してやると、大きな魔力が全身を流れてきた。だけど、これだけでは未だ、足りてない。腹立たしい事だが、今の自分では邪竜の力には及ばない。だから、覚悟を決めなければいけない。
自分の弱さの所為で、大切な人達を傷付けさせてしまった。泣き言なんて、言ってられなかった。
――全身を熱く、鈍い衝撃が衝き抜けていく。
破竜刀で、自分の身体を貫いていた。
自分の体には、忌まわしき古竜の血が流れている。
吐血しながら、古竜の血を無理やり解放していく。
破壊される細胞が、強靭な竜の身体へと作り替えられていく。大きな魔力の渦が、心を優しく撫でている。甘やかな幻想が、脳裏を甘く痺れさせていく。力に酔い痴れそうになるのを、抑えながら邪竜を睨みつける。
――ハクビの存在が、自分を変えてくれた。ハウゾウやハウタが、教えてくれた。
守護るべき大切な存在が、強さを与えてくれている。
不意に、大きな魔力が身体に流れ込んでくる。
「……レウスさん」
倒れながら、ハクビが微笑を投げ掛ける。
穏やかな気持ちが、心を満たしている。
「ありがとう、ハクビ!」
翼を広げ、力強く羽搏かせる。
飛翔しながら、雄叫びを上げていた。
ハクビへの想いが、心を満たしている。弱い自分を、ハクビは優しく抱き締めてくれている。
強く、為りたかった。
強く、在りたかった。
ハクビを守護りたい。ハクビを、喜ばせたい。ハクビと共に、生きていきたい。共に笑い合いながら、一緒に歩んでいきたい。哀しい表情なんて、見たくなんてない。辛い想いなんて、させたくない。初めて出逢った時に、すでにハクビに惹かれていた。何よりも、誰よりも、ハクビを愛している。素直に気持ちを伝えられないけど、誰よりもハクビの傍に居たかった。
その為にも、己の限界を超えなければいけない。
「愚かな人間よ。我が力を、思い知るが良いッ!」
闇色の吐息が、魔力の塊となって飛び込んできた。
破竜刀で受け止めながら、飛翔を続ける。激しい衝撃が、全身を撫でつけている。
全身を流れる古竜の血が、騒ついている。全てを破壊しろと、脳裏に囁き掛けている。
だけど、まだ足りない。まだまだ、力が必要だった。
――絶対聖域。
全身を大きな力が、流れ込んできた。見ると、バウルが笑い掛けている。
「何が、聖属性が苦手だ。いつか絶対、ぶっ飛ばすからなッ!」
「やってみろ、小僧ッ!」
バウルの術によって、邪竜の動きが鎮静化されていた。
完全竜化する身体からは、有り得ない程の力が迸っていた。
――破竜無尽斬。
無呼吸運動からの連続攻撃。その一撃一撃が、強靭な邪竜の身体を分断していく。細切れになるまで、動きを止める気はなかった。
●
全身の力が、入らなかった。
邪竜ケイオスグリュードは、レウスの剣撃でバラバラに砕けてしまった。
気付けばハウゾウ達が、邪竜の肉を食べている。
「旨ーーーーッ……で、ござる!」
「美味しいんにーーーーッ!」
レウスは力を使い果たしたのか、眠ってしまっている。
ハウゾウ達の見た目は変わらないが、魔力の量が急激に上昇しているのが理解った。きっと、あとからレウスに、しこたま怒られるんだろうな。庇ってあげたいけど、怒ると恐いもんなぁ。
そんな事を思いながら、レウスを想った。
ハクビにとってレウスは、特別な存在だ。誰よりも愛おしい存在だ。
だから、常に一緒に居たい。ずっと、一緒に居たい。
その為には、自分もギルド【ジャム】に所属しなければいけないのだが。
どうしたものだろうか。
ハクビは引っ込み思案で、人見知りなのだ。
なので、人にお願い事をするのが、非常に苦手なのだ。
「ところで、お嬢さん。ウチのギルドに入らないかい?」
バウルの唐突な申し出に、言葉が出なかった。
「そうか、嫌か。なら、レウスをどつき回さんとアカンくなるなぁ」
バウルが、めちゃくちゃな事を言っている。
「入りたいです……」
それだけ言うのが、精一杯だった。
「そうか、そうか。それは、良かった。では、私は先に帰らせて貰おうか」
「え……?」
レウスは意識不明。
自分も立ち上がる力が、残っていない。
なのに、置き去りですか。
「置き去りですかーーーーッ!」
ハクビの叫びだけが、快晴の青に吸い込まれていた。
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