第八節【闇の覚醒】
天候が荒れていた。
雷鳴と共に、土砂降りの雨が打ちつける。
「ハウタ、水きらい~ッ!」
「拙者、水浴びは好きでござるッ!」
ハウゾウ達の愉しそうな笑い声をよそに、レウスの身体は緊張しているのが伝わる。闇を通じて、感覚を共有しているような錯覚に陥る。
天高く飛翔したハデスからは、禍々しい力を感じた。何か途轍もない不安が、心に纏わりついて離れない。このままでは、不味いと謂う事だけは理解った。今のままでは、自分たちに勝ち目はない。絶望的なまでの魔力の差を感じて、泣きたくなってきた。だけど懸命に歯を喰いしめて、堪えている。どうにかして、レウスの力に為りたい。
レウスの為ならば、何だってしてあげたい。
譬えそれが、どんなに苦しくても構わない。自分の中に宿る力の全てを、レウスの為だけに捧げたい。
自分でも不思議だった。出逢って数日だと言うのに、こんなにもレウスを想っているのだ。自分の全てを、差し出したいと感じている。
ハデスが雄叫びを上げるのと同時に、周囲を大きな魔力が渦を巻いて光を放った。その光は幾筋もの雷鳴となって、レウスを襲う。
瞬きをした時には、レウスの姿は消えて物凄い雷鳴だけが鼓膜を振るわせていた。上空でもう一度、雷鳴がした頃には、全身を炎に焼かれたレウスが落下していた。ほんの一瞬の攻防の中でも、レウスが押されているのが解る。ハデスが急降下して、レウスの襲い掛かっている。
闇の残滓が、糸を引いている。
レウスが後方に吹き飛んでいくのが見えて、胸が苦しくなった。レウスが傷つく姿なんて、見たくない。心の奥底から沸き起こる悲しみと、どす黒い怒りの感情が周囲の魔力を掻き集めていく。
「止めるでござるッ!」
「パパを、虐めるなッ!」
ハウゾウとハウタが、獰猛な表情でハデスの元に飛び込んでいく。
「駄目っ……」
気付いた時には、動いていた。
大きな光の弾丸が、ハウゾウとハウタに向けて放たれている。弾丸には、途轍もなく大きな魔力が籠められている。いくら強靭な竜とは言え、真面に受けては只では済まない。
ハウゾウ達が傷つけば、レウスが悲しんでしまう。レウスを、悲しませたくない。不意に大きな闇の魔力が、身体の中から沸き起こるのを感じた。これまでに感じた事のないほどの強大な力は、不思議と温かな優しさに溢れている。
――ハクビよ。
唐突に、世界から光が消えた。
「……え?」
音が無くなり、闇だけが全てを彩っている。脳裏に木霊する声だけが、全てを物語っている。
●
曾て神に、反逆を企てた者が存在する。
闇の神官リラ。
彼女は自らの身体を、闇に捧げる事によって精霊と一体化した。
闇の大精霊と化して、強大な魔力を手に入れた事によって、神に届くだけの力を手に入れたと錯覚した。
結果だけ言えば、リラは神の御遣いの手によって敗北を喫した。その魂は荒ぶる精霊として、祠に奉られて鎮められた。
長い永い年月を掛けて、リラの魂は次第に浄化された。そして完全に鎮静化された頃を見計らって、神は再びリラに更生の機会を与えた。
転生された魂は全ての記憶を奪われて、別の生命として生まれた。
――ハクビよ。
神の御使いの声は、優しさに満ち溢れている。
――闇の荒霊リラと共に、贖罪を果たしなさい。
自分自身に課された使命が、何なのかは解らないけれど、はっきりしている事だけは在った。レウスの為に、自分の全てを捧げたい。この身を犠牲にしたって構わない。
温かな光が、闇の中で燦然と輝いていた。
それは、生命の煌めきであった。
●
気付けば、ハデスの放った弾丸を掃っていた。
全身から、重力の束縛が失われている。手に握られた大鎌からは、温かな力が感じられた。
ハウゾウ達は空中で静止しながら、此方を見ている。その表情は、いつもの陽気なものに戻っていた。少しだけ安堵する。
――漆黒死影斬。
弾丸をはらった闇の斬撃が、勢いを増してハデスの身体を捉えている。
空中を舞いながら、ハクビは微笑を浮かべていた。レウスを包み込む闇にも、変化は訪れている。レウスの竜鱗に、闇が溶け込んで大きな翼を与えていた。
レウスもまた微笑を投げ返すの見て、途端に心が跳ねるほどに嬉しかった。
「レウスさん、今ですッ!」
飛翔するレウスからは、迸るほどの魔力が感じられた。
大きく息を吸い込むレウス。ハウゾウとハウタもまた、同じように息を吸い込んでいた。とんでもない量の魔力が、一瞬にして集められている。三者が同時に、炎を吐き出していた。三つの炎が一つに重なり、溶け込んでいる。
――豪炎煉獄。
煉獄の炎に焼かれる罪人のように、ハデスは苦しみ悶えている。
破竜刀に持てる全ての魔力を送り込むと、闇が鋭く折り重なった。
――滅竜断影斬。
レウスの放った無数の斬撃が業火と共に、ハデスの身体をバラバラに分断した。
全ての肉片が燃え尽きて、ハデスはこの世から完全に消滅する。
安心して気を抜いた途端、重力が全身に圧し掛かった。
「あっ……」
間抜けな声を漏らすハクビを、竜の翼を羽搏かせたレウスが抱き留めていた。
温かな優しさに触れて、心が急激に乱れるのが解った。
「ハクビ。何も言わずに、聞いてくれ!」
遥か先に、大きな魔力が息衝いているのを感じた。
邪竜が復活してしまったのだろう。だけど今は、それどころではなかった。
ハクビに取っては、それどころではない。
余りにもレウスの表情が真剣だったので、呼吸すら忘れてしまっている。真っ直ぐな瞳に見つめられて、苦しくなる。だけど、いつまでも見つめられていたい。
――いつまでも、見つめていたい。
何よりも、誰よりも、レウスが好きで在った。自分に取って、レウスが全てだ。レウスの為だけに、人生の全てを捧げたいぐらいに大好きだ。
其の想いを打ち明けてしまいたくなる程に、今のレウスが真剣に自分を見つめている。
「俺は、ハクビが好きだ。何が在っても、守護ってやる。だから、俺と一緒に来てくれ!」
――嬉しかった。
素直に、泣くほどに、嬉しかった。大粒の涙が溢れ出して、上手く言葉が紡げなかった。
「私も……レウスさんが、大好きです」
それだけ言うので、精一杯であった。
気付けばハウゾウ達が、周囲を旋回している。その姿がまるで、天使のようで可愛らしかった。
「パパ上、一大事でござるッ!」
「解ってる。皆、もうひと踏ん張りだからね」
レウスの魔力が、優しさを帯びているのが理解った。
先程までと、明らかに違っている。
光と闇が折り重なりながら、ハクビとレウスをより強固に繋げていた。
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