第七節【破竜刀アポカリプス】
甘い微睡みが、心を捉えている。柔らかな温もりが、肌に伝う。ハクビの吐息が、優しく耳に掛かるのを感じて、心を秘めやかな熱情へと彩って往く。ハウタはいつの間にか、ハウゾウと共にベットの下で寝ている。完全にハクビと密着する形で、抱き付かれている。
「レウスさん……」
耳元で囁く声が、心博を加速させる。
横目でハクビを見る。余程に疲れていたのだろう。完全に熟睡しているようだった。可愛らしい寝顔が、無性に愛惜しく感じられた。このままずっと、いつまでも見つめていたい。深雪のような白い肌に、そっと触れてしまいたい衝動に駆られていた。どうしようもなく、ハクビに恋慕の情を抱いている。生まれて初めての感情に、戸惑い憂いている自分がいる。愛しくて、恋しくて、気が変になりそうだった。
――ハクビを失いたくない。
ずっと、一緒に居たかった。自分だけの物にしたいと言う独占欲に駆られて、身勝手な自分に苛立ちを感じる。自己嫌悪と慕情の波状攻撃に、激しく心が乱れている。ハクビの唇に、なぜだか視線が吸い込まれた。
狂い咲いた恋心が、下心と合い舞う。
このままでは、不味い。
過ちをおかしてしまいそうだった。
ハクビを起こさないように、ベットの下に左手を伸ばす。
手に触れた毛並みからして、ハウゾウだと解った。彼女は少し、ごわごわしている。首根っこを掴み上げると、そっと抱き寄せる。意識が不思議と、ハウゾウへと向いた。獣の匂いが、平静を取り戻してくれる。
溜め息をつきながら、眼を閉じる。
頬を生温かい感触が、粘りつく。大方、寝惚けたハウゾウが顔を舐めているのだろう。
少しでも眠って、魔力を回復させないといけない。
バウルは本気で、邪竜を復活させるつもりだ。恋心に、惑わされている場合ではない。
湧き上がる恋心を無理やり押し込めて、レウスは眠りに就いた。
●
目を覚ますと、牢が開いていた。
ベットの脇には、取り上げられていた筈の破竜刀が立てかけられている。心当たりは、バウルしかない。邪魔をしたり、協力したり、バウルの真意を計り兼ねている。只、一つだけ言える事があるとすれば、間もなく邪竜ケイオスグリュードが復活すると言う事だ。だからこそ、バウルは自分を解放したのだ。
「レウスさん……?」
全身を竜鱗が覆うのを見て、ハクビが不安げな声を漏らす。
「近くに誰か居る」
声を落として、周囲を窺う。
気配の殺し方からして、【アサシン・ファング】の連中だろう。
「ハウタ、そろそろ起きな」
気持ちよさそうな寝息を立てるハウタの身体を揺すると、ゆっくりと目を開く。寝ている所を起こすと、ハウタは激昂する。
不機嫌なハウタは、はっきりと言って手が付けられない。
「ハウタ、寝てるーーーーーーーーッ!」
鼓膜を激しく刺激しながら、怒号を上げる。声が高い所為で、これだけで耳が痛くなる。
狭い室内の空気が、びりびりと震える。
空気中の魔力が、見えない渦と為ってうねりを上げる。
不機嫌なハウタは、本当に手が付けられない。まだ子供とは言えハウタは、竜なのだ。怒れる姫君の逆鱗に触れる事は、死を意味する。
「又、始まったでござるなッ!」
いつもの事なので、慣れた様子でハウゾウは伏せをする。
ハクビを抱き寄せると、防御態勢を取る。魔力を練り上げて、闇の暗幕を全身に纏う。
その刹那、大爆発が起きる。
――ハウタ奮塵。と、個人的に呼んでいる。様々なものが、物凄い衝撃で吹き飛んでいく。毎度の事だが、物凄い威力である。と言うか、ハウゾウは伏せただけで毎度、耐え凌いでいるが一体、どういう原理なのだろうか。本人、曰く。気合いでござる、との事だが。
建物が一瞬で、内側から吹き飛んでいた。
「やれやれ、でござるな」
瓦礫から顔を出したハウゾウが、煤で汚れている。優しく払ってやると、少しだけ焦げ臭かった。
可愛らしい笑顔に、心が和む。
「ハウゾウ。女の子なんだから、綺麗にしないとね」
「御意ッ!」
なぜか、伏せをするハウゾウ。
可愛らしい。
「えっ……ハウゾウちゃん、女の子なんですか?」
驚く、ハクビ。
そう言えばハウゾウもハウタも、女の子で在ることを、言っていなかった。
「ママ上っ……失礼でござるッ!」
「ごめんなさい~ッ!」
――不意に、悪寒が走る。
反射的に破竜刀を引き抜きながら、背後を振り返る。
破竜刀を通して、鈍い衝撃が走る。
「昨日の決着を付けようかッ!」
ぎらつく眼光が、こちらを捉えている。
本能を剥き出しにしたハデスは、昨日とは印象が違って映った。
剣撃の威力が、以前とは段違いである。
●
――破竜刀アポカリプス。
竜の住まう火山帯では、特殊な金属が産み出される。火山の熱で長い年月をかけて、竜の鱗や皮膚の表皮が溶けていく。それらが火山灰や土中の金属と混ざり合って、一つの鉱石が産まれる。
一般的にドラグナー鉱石と呼ばれるその金属は、オリハルコンに並ぶほどの高度と魔力を持つ。
破竜刀アポカリプスには、ドラグナー鉱石を用いられている。特殊な錬金によって打たれたその刀には、鍛冶師の魔力が宿っている。
呼吸に呼応する様に、破竜刀に宿った魔力が目を醒ます。業火のように宿った魔力が、破竜刀を燃やしている。
「どうやら、お主も本気のようだな。為らば、全霊の剣で応えるまでだッ!」
暑苦しい言葉とは裏腹に、ハデスの剣に冷気が宿る。
全身を流れる古竜の血が、身体を変異させる。表皮を覆う竜鱗は、幾重にも折り重なっている。
視界が異常に明瞭に為っている。全身が異様に熱い。体内を廻る魔力の量が、普段とは桁違いだ。バウルに施された封印術に依って、制御できる臨界点までしか力は発揮されないが、気を抜けば一瞬で意識を持っていかれそうであった。
ハデスの動きが、スローモーションのように錯覚される。気が付いた時にはすでに、抜刀を終えて、破竜刀を鞘に納めている自分がいた。
――破竜断裂斬破竜断裂斬。
ハデスの剣が折れて、全身を覆う鎧が砕けていく。
激しく後方に吹き飛んでいくハデスを見て、驚愕して、更に警戒を強める。
「やったでござるッ!」
「パパ、強いんに~」
ハクビだけが、眼を閉じて意識を研ぎ澄ませている。影がこちらに伸びてきて、闇が全身を包み込んでいる。
ハデスの全身を、竜鱗が覆っている。
それはつまり、古竜の血を飲んだことを意味する。
先程の一撃に、慥かな手ごたえを感じた。完全にハデスの意識は断たれていても、何らおかしくはなかった。もしも、意識を喪失していたとすれば――。
禍々しい魔力の渦が、暗雲を呼び込んでいる。
悪い予感は、不思議と当たる。
「ハクビ。ハウゾウ達を、護ってやってくれッ!」
ハクビが返事をするよりも早く、ハデスは天高く羽搏いていた。
全身を覆う竜鱗。背に生えた翼。異様に赤い眼に、額の角。何とか肉眼で確認されたその姿は、竜その物で在る。
すでにハデス自身の自我は、存在していない。古竜の血が暴走すると、理性は失われ、自我は次第に薄れていく。尋常じゃない程の大きな力だけが、己の心を酔い痴れさせる。
力の暴走は、個の終わりを意味する。
バウルが居なければ、自分も力尽きるまで破壊の限りを尽くしていただろう。
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