第一節【血の衝動】
古竜の血が、騒ついていた。
忌まわしき血の衝動を、抑えられないでいる。
押し寄せる破壊欲が、目の前の男を滅ぼせと囁いている。
「どうした……小僧。お前の力は、そんな物なんか?」
男は僧侶であった。
だが、その佇まいは何処か、神聖な物とはほど遠い印象が感じられる。
レウスは男の醸し出す雰囲気に、得体の知れない恐怖を感じている。他者を圧倒する様な鋭い眼光が、レウスを捉えている。
先程から古竜の血を開放して、全力の剣撃を繰り出しているが、悉く躱されている。それも、至近距離であるにも関わらずにだ。どうにも、調子が狂わされる。
「この距離は、やりづらいか?」
余裕の表情を携える男は、只の一撃も放ってはいない。防御だけで圧を掛けて、レウスを後退させている。
古竜の血が、強大な魔力を帯びて己の身体を変容させていく。全身の表皮を、竜鱗が覆う。硬質化された肉体は、如何なる物理攻撃も、魔力をも撥ね退けるほどに強靭な物となる。
男の拳に、尋常じゃない魔力が収束している。
――やる気だ。
背筋を、悪寒が走る。
それは、死のイメージだ。
「ちょっと痛いから、歯ぁ喰いしばれよ?」
次の瞬間。
身体の中心から全身に有りえないほどの衝撃が走る。
竜化した肉体を、身体の内側から破壊されていく。骨は砕け、臓腑が悲鳴を上げている。地に伏しながら、吐血しながら身悶えしているレウスを、男は見下ろしている。
「必殺、衝撃疾走や」
大層な名前を付けているが、単に魔力を込めた拳で殴っただけだ。
それだけで、レウスの身体を致命的に破壊している。
男の名は、バウル。
悪名の高いギルド、【ジャム】のギルドマスターだ。
大僧正バウルの名を聞いた者は、どんな猛者も青い顔をして避けるほどの傑物である。
全く、厄介な男に捕まった物である。薄れていく意識の中で、レウスは微睡んでいた。
●
滅竜士の家系に生まれたレウスは、幼少の頃に古竜の血を飲まされた。
両親はすでに、物心がついた頃に死んだと聞かされている。
厳格な祖父に、滅竜士として育てられてきた。古竜の力の使い方を、徹底的に叩き込まれている。祖父は曾て、大きなギルドに所属していたと聞かされた事がある。
その頃から、バウルの名は有名だった。デルファデルの悪魔の異名は、異様に強かった祖父ですら、倦厭させていた。
――バウルに出逢ったら、全力で逃げろ。もしも捕まったら、その時は諦めるのじゃ。
事在る毎に、祖父はバウルの話を語っていた気がする。
古竜の血は、大きなリスクと引き換えに強大な力を与えてくれる。祖父の全盛期には、多くの竜を一族が屠ってきたと聞かされていた。
仕事の依頼は尽きる事がなく、多大な財と地位を築いている。
そんな祖父を、引退にまで追い込んだのがバウルだという。
レウスが生まれた頃には、人里が離れた地で細々と家業が行われている。レウス自身も十二歳の頃から、一人前の滅竜士として働かされてきた。
家業を熟していく内に、レウスは常人離れをした力を持てあますようになっていた。
増大する力に比例して、古竜の血を制御することが出来なくなっていたのだ。
その事を祖父に相談する前に、他界してしまった。現存する親族は、どこに居るかも解らない姉だけであった。レウスが十二歳の誕生日を迎えた日、姉は忽然と姿を眩ませた。ゆえに頼れる存在が居なくなってしまった。
そんな中で、粛々(しゅくしゅく)と家業を続けていた。
ところがある日、バウルに出逢ってしまう。
竜を滅ぼした直後、古竜の血が暴走したのだ。
脳裏を古竜の血が、総てを壊せと囁いている。目に映るものを全て、破壊し尽くしてしまいたい衝動に駆られて、レウスは無作為に力を開放させていた。
体の内側から押し寄せる力を、抑えることなく解き放った時の快感を今も忘れられないでいる。甘く脳を痺れさせるほどの力が、レウスの心を縛りつけているのだ。
その力の矛先は、バウルに向けられていた。その時のバウルは、とても優しい眼をしていたのを良く憶えている。
気付いた時にはレウスは地に伏して、異様に大きな数珠に縛られていた。
只、バウルの唱える経文を聞くことしか出来ないでいた。温かな力が、古竜の力を包み込んでいるのが理解った。レウスの頬を、涙が伝っている。腹の底から、振り絞った言葉は声にならなかった。
――ちくしょう。
確か、そんな言葉を漏らしていたと思う。
レウスは生まれて初めて、涙を流していた。それほどまでに、過酷な人生を歩まされてきたのだ。
「負けたのが、そんなに悔しいのか?」
冗談交じりに、バウルが問う。
その声が、異様に優しく感じられた。
頭を振ろうとしたが、地に伏しているので出来なかった。認めたくないが、確かにバウルという男に惹かれてしまっていた。
「小僧、名前は?」
バウルの誰何に応えたかったが、口の中はズタズタだったし、上手く声が出せなかった。
――と。唐突に、バウルが笑い出す。
「何や、お前。どんなけ、シャイやねん。おもろい奴っちゃなぁ。良し、気に入った。お前をウチのギルドに入れたる。勿論、断ったら殺すからな?」
滅茶苦茶な申し出であったが、内心では嬉しかった。
それが不運なのか、幸運なのかは解らないが、レウスは【ジャム】に加入する事となった。
●
以来、連日の様にバウルとの組手が行われた。
毎度、半殺しにされては、治療を受けている。
意識を取り戻した頃には、バウルは煙草を吹かしていた。
「そろそろ、お前にも仕事を任しても良いかな?」
嬉々とした目で、此方を見つめている。
そんなバウルも、今年で還暦だと聞かされている。正直、気色が悪い。素直にその事を伝えれば、殺されてしまう事だろう。
「向こうの方に、何たらって町がある。そこで邪竜が復活するから、倒してこい」
仕事の内容が、余りにもフワッとし過ぎているが、抗議すれば殴られそうだった。
バウルと出逢って二週間だったが、理不尽な目にしか遭わないので、従うしかなかった。未だにギルドのメンバーには、サブマスター以外には会った事がないのは、恐らくその所為だ。
碌でもない目に、自ら遭いに来る物好きはいない。
「ほな、任せたでぇ~!」
笑いながら手を振るバウルに、殺意を感じたがレウスは吞み込んだ。
日はすでに、沈んでいる。
夜気が肌を撫でるが、レウスは直ぐにギルドを後にした。少しでも早く、バウルから離れたかったからだ。
何とか、という町が何処にあるかは解らないが、邪竜の気配を探りながら歩いていくしかなかった。
古竜の血が、竜の気配を教えてくれる。だから、竜の居場所を探知することが出来る。勿論、その逆もありえる。竜に己の存在を勘付かれる事も、これまでに何度かあった。竜の中には、非常に憶病な種も存在する。
異例が無いぐらいに、竜は決まって強い力を有している。にも拘らず、臆病な種や慎重な者が存在する。邪竜がどんなタイプかは解らないが、心して掛からなければならない。
初の仕事が馴染みのある内容で、レウスは安心していた。
それがどれほど甘い考えだったかを、これから嫌と言うほどに思い知らされる事になる。
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