歓迎会(1)
日が暮れ、訓練が終了した。下士官の大半は、1時間を切ることができた。恐らく、身体を酷使するのに慣れているのだろう。しかし、日頃、監督と称してサボっていた曹長たち、また日々の訓練を怠けていた少数の兵たちは、余分に草原を走ることになった。
「走ることは歩兵戦闘の基本だ。基本的な体力がつくまで毎日行うから、そのつもりでいてくれ。以上だ」
ヘーゼンがそう告げて、彼らに背を向け歩き出した。後ろからついてくるカク・ズが下士官たちを眺めながら口を開く。
「全員が、こっち睨んでるよ? 特に曹長のチョモってやつ」
「睨むことは軍規違反ではないから問題ない」
「……そう言うことじゃないと思うんだけど」
と言いつつも、それがヘーゼンの性格であることを熟知している巨漢の男は、それ以上なにも言わなかった。
部屋に戻り、支給された日用品を置く。歯ブラシ、コップ。寝癖直し用のヘアブラシ。魔杖以外は持って来なかったので、かなり簡素な内装になった。堅めのシングルベッドに寝転びながら、隊員の名簿を眺めていると、ノック音が響いた。
「誰だ?」
ヘーゼンは廊下にいるカク・ズに尋ねる。
「チョモ曹長だよ」
「……入ってもらえ」
扉が開くと、小太りの中年がうすら笑みを浮かべて入ってきた。
「あの、歓迎会の準備ができたのでお誘いしようかと思いまして」
「歓迎会? とても、歓迎してるようには見えなかったが」
ヘーゼンは、隊員名簿に目を通しながら言う。
「いや。俺らも、別にあんたと敵対しようとしてる訳じゃないんだ。少し、お互いに誤解があったと思うんだ。だから、美味しい酒と料理で親睦をさ」
「……」
無駄だな、と口から出そうになったが、こらえる。チュモの瞳からは、ありありと敵意が見て取れた。ヘーゼンはため息をつき、起き上がる。
「……わかった。食堂でやっているのか?」
「いえ。曹長が集まってる部屋があるんで」
「わかった、ありがとう。では、そこへ行けばいいんだな?」
「へへ。ご一緒しますよ」
「ヘーゼン。俺も行こうか?」
カク・ズが申し出ると、チョモ曹長の顔色が曇る。
「護衛なんて、必要ないって。俺たちは同じ第8小隊の仲間なんだから。まさか、仲間を疑おうってのか?」
「……はぁ」
ヘーゼンは思わずため息をついた。こうも、あからさまな阿呆が曹長の地位にいるなんて。下の者を虐げて、ずいぶんと図に乗ってきたのだろうと推察した。
「いいよ。僕、一人で行こう」
「おっと。そんな物騒なものは置いてくださいよ」
チュモ曹長はヘーゼンが魔杖を持ち出そうとしていたところを制止する。
「護衛用だ。いつ、なにがあるかわからないからな」
「だから、心配ありませんって。曹長が集まってるんで、敵襲が来ても俺たちが護ります。それとも、怖いんですか?」
「……わかった。では、行こう」
あからさまな挑発に乗ったフリをして、ヘーゼンは、魔杖を置いて部屋の外を出た。
チョモに案内された部屋の中に入ると、そこには曹長が5人、すでに席に座っていた。全員が嘘くさい笑みを浮かべている。
「……」
ワインの瓶が6本ほど置かれていた。料理は肉、魚が両方豪華なものが並べられている。自慢げにチュモがワインの瓶を一つ手に取る。
「へへっ、凄いでしょ? 料理人に言って作らせたんだ」
「……ああ」
恐らく無理矢理なんだろう。まったくもって無駄だと、ヘーゼンは思う。まあ、開かれたイベントを無下にはできないと、あきらめて席に座った。
「さっ。俺たちの気持ちです。グイッといきましょう」
チュモがワインのコルクを抜き、ヘーゼンの杯に注ぐ。
「……」
「ほら、どうしたんですか? 毒なんて入ってませんよ。まさか、怖いってこたぁないでしょうね?」
チュモが挑戦的な瞳を向ける。ヘーゼンは彼の瞳を見続けながら、別のワイン瓶を選び、コルクを抜いた。途端に、その場にいた全員がギョッとした表情を浮かべる。
「いや、僕だけじゃ悪いな。乾杯にしよう。全員、飲めるクチだろ? 君たちにもついであげよう」
「えっ!? いやいや、俺たちは少尉殿が飲んだ後、適当にワインを注いで飲みますよ」
「なにを遠慮している? 歓迎会なんだ。『最初は一緒に乾杯』が世間の常識だろう」
ヘーゼンは強引にチュモの杯を取って注ぎ、他の曹長たちにも順番に注いでいく。
「では、これからよろしく。乾杯」
端的に挨拶をして、ヘーゼンは一気に杯を傾ける。
「いいワインだな。美味しいよ……あれ、どうした? 浮かない顔をして。上官のついだ酒が飲めないのか?」
「……」
「安心してくれ。毒など入っていないよ。当たり前だ。このワインは君たちが用意したものだろう?」
ヘーゼンが青ざめたチュモの顔を覗き込む。顔面蒼白で杯を持つ手が震えている。黒髪に青年は、そんな表情の奥底を覗き込むように見つめる。
「……ある時期、毒の研究に没頭した時期があってね。わかるんだよ。どのワインに毒が入ってるかどうかなんて……一目でね」
「ひっ」
「なーんてね? 冗談だ」
ヘーゼンは満面の笑みを浮かべた。