プロローグ
「1分と30秒前、あなたの人生は終わりを迎えました。次の人生には、どのような器を望みますか?」
地位、財力、名声、幸運。『初期設定』を登録する今ならば、どんなステータス値も調整が可能であると、その声は告げた。
無機質な理が、整然と提示されていく。
「次のあなたは、これまでとは異なる世界線で生きなければなりません。一つの大きな戦争を止めて、国に生きる民草を救うシナリオを担うことになります。その道には、多くの艱難辛苦が降り注ぐことでしょう。運営側からは異世界への初回移籍特典として、あなたの望む姿、なりたい自分の器をご用意します」
餞別なら、平穏無事な人生を用意してほしい。そう願ったが「因果律そのものの調整は不可能です。管理者権限の範囲外ですので」と、素気無く断られてしまった。
さて、どうしよう?
望む姿も、なりたい自分も、理想だけならばいくらでも挙げることができる。
異世界で、とびきり素敵な自分に生まれ変わって人生を謳歌する?
非常に厨二心の擽られる選択肢ではあるーーが、いかんせんそれに飛びつくには精神が大人になりすぎていた。
「……普通に考えて、飛び抜けた取り柄もない、昨日までごく普通の一般市民として生きてきた人間が、異世界でいきなり大活躍なんてできるわけがないわよね」
多少生まれや外見をいじったところで、中身が同じならば、たどり着く未来に劇的な変化は望めないだろう。
「現代人の一般教養があれば、中世ヨーロッパの世界観でチートになれる?そんなわけないわよね。むしろ時代に見合った知力体力を持たない分、現代人の軟弱さと役立たず度合いが、より一層際立つだけだわ」
人類史の積み重ねてきた、万物への知的探究はたしかに素晴らしい。その成果の一端に、義務教育を通して触れることの許された自分は、あるいは異世界における一般市民よりも基礎教養に恵まれているかもしれない。
しかし、それはあくまで上辺の話だ。
特定分野で学びを修めたわけでもない自分の知識など、所詮は付け焼け刀でしかない。異世界の社会常識に斬り込めるだけの武器を、自分が持っているとは思えない。そこまで傲慢にはなれそうもない。
「……戦争を止めて、民を救わなければって言ったわよね?」
「はい」
「王様とか、戦争に直接関与できそうな立場からはほど遠い、ごく普通の一般市民の器を得ても、それは変わらないの?」
「初期設定のステータス値に関わらず、運営側があなたに期待するシナリオは同じです。あなたの意思に関わらず、因果律はあなたを一国の動乱に組み込む形で調節されるでしょう」
「たとえば私が何もしなかったら?戦争に関わらない生き方を選んだ場合でも、戦争は勝手に止められる方向に動くってこと?」
「いいえ」
感情の籠らない声が否定する。
「戦争を止めること、民を救うこと。いずれもあなたに課せられたシナリオです。あなたの行動いかんで、結果が伴わない未来も生じ得ます」
「えーと、私が戦争を止められなかったらどうなるの?ある日突然世界が終わっちゃうとか?」
「何も起こりません。あなたの日常は連綿と続き、戦争を防ぐことの出来なかったユーザー例として、データベースに記録が保管されるだけです」
「ふぅん……?」
じゃあ何もしなくてもいいのでは?という本音は胸の奥に仕舞い込み、とりあえず納得した素振りで頷いておく。
「さあ、あなたは次の人生を、どのような器で臨みますか?」
暗がりの中に多種多様な容姿のモデルが表示される。
宙に浮いたそれらを一瞥したのちに、ゆっくりと口を開いた。
「ーーこのままの私でいい。地位とか財力とか、その辺のステータス値も、前の世界と同等で適当に設定しておいてくれる?仕事は……そうね、前職の経験を活かせる内容だと嬉しいわ」
「よろしいのですか?初期設定は、後日修正不可能ですが」
「よろしいですとも。私、身の丈に合わない服は着ない主義なの」
闇雲に、自分ではない何者かになりたいお年頃はもう過ぎた。
どうせ馴染みのない異世界での生を強いられるのなら、自分の身体くらい、故郷を懐かしめる器を選んでも良い筈だ。
「ーーわかりました。それでは、こちらにユーザー名の登録をお願いします」
目の前に、二つの小さな枠組みが浮かび上がる。ご丁寧にも『姓』、『名』と日本語で表記された枠の中に、指先で文字を書いた。
「小鳥遊 優里ーーユーリ=タカナシ様。ユーザー登録が完了致しました。あなたの次の人生が充実したものとなるよう、運営一同心よりお祈り申し上げます」